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​​#37「正しき心中 ― if ―」

(♂1:♀1:不問0)上演時間30~40

※こちらの作品は#36「正しき心中」の男女逆転版です。


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律子

【綾瀬律子(あやせ りつこ)】女性

小説家志望の26歳女性。在宅ライターの仕事をして糊口をしのいでいる。

ヘッドフォン依存症で、小説家「古賀彰人」の大ファン。

 

彰人

【古賀彰人(こが あきひと)】男性

人気作家。年齢は30代後半としか公表されていない。

不慮の事故で死に、律子のヘッドフォンに不本意ながら取り憑く形になる。

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―律子の部屋

 

(律子がパソコンに向かい小説を書いている)

 

律子:「やがてミスミの大きな瞳からは真珠のごとき涙がこぼれ、シーツを濡らしたのであった」。「完」っと、……うん、なかなかよく書けた気がする。もしかしたら、今までの中で一番いい線行くかも。

 

彰人:無理だな。

律子:え?

 

彰人:だから、無理だと思うよ。

 

律子:ちょ、ちょっと! 

 

彰人:それじゃあ賞はおろか、一次審査も通らない。

 

律子:はぁ!?

 

彰人:ラストの数行だけを見ても、文脈がおかしいと分かるし、ご都合主義の塊だ。

 

律子:ちょっと待って!

 

彰人:残念だったね。まあまた頑張ればいい。

 

律子:……ですか。

 

彰人:んん?

 

律子:姿を見せずに言いたいだけ言うなんて、卑怯じゃありませんか。

 

彰人:え?そこ?

 

律子:空き巣なのかなんなのか知りませんけど、そこまで言うなら、堂々と姿を見せてから言ってください。

 

彰人:俺が空き巣だとして、そう言われて姿を見せると思うかい?姿を見せずして事を働くのが空き巣だろう?

 

律子:どこですか?押し入れですか?

 

彰人:話を聞きなさいよ。姿なら、さっきからずうっと見せてるんだよ。

律子:は?

 

彰人:ここ。

 

律子:ここ、って。

 

彰人:わっ!

 

律子:うわっ!?

(彰人、大笑いする)

彰人:驚いたかい?

 

律子:耳が……あいたたた……

彰人:そもそも君、ずうっとヘッドフォンで音楽聴いてるじゃないか。それなのに俺の声が聞こえるなんて、おかしいと思わなかった?

 

律子:そういえば……

 

彰人:だろう?ところで、物は相談なんだけど。

律子:……なんですか?

彰人:ちょっと、ヘッドフォンを外してみてくれないか?

 

律子:はぁ?

 

彰人:いいから。少し気になることがあるんだ。

 

律子:わ、わかりました。

 

(律子、ヘッドフォンを外す)

 

律子:……あれ?今何か話してます?

 

(律子、もう一度ヘッドフォンを付ける)

 

彰人:あー!あー!あー!

 

律子:うわびっくりした。

 

彰人:うーん、やっぱり俺の声が聞こえるのは、ヘッドフォンを付けている時限定みたいだね。

 

律子:つまり、あなたはヘッドフォンの妖精か何か、ということですか。

 

彰人:こんなおじさんを捕まえて「ヘッドフォンの妖精」だなんてやめてくれよ。寒気がする。

 

律子:あ、おじさんなんですね。

 

彰人:追及するのはそこじゃないだろう。

(律子、ため息をつく)

 

律子:もう。あなたは一体なんなんですか。

彰人:どうやら、世間一般で言うところの「幽霊」というものらしい。

 

律子:らしい? 

 

彰人:俺自身もまだその辺、曖昧模糊(あいまいもこ)としているんだけどね。

律子:そう、ですか。

 

彰人:恐らく、俺は死んだばかりなんじゃないかな。

律子:そこも曖昧なんですね。

 

彰人:そもそも幽霊というもの自体が曖昧な存在なんだ。しかたないだろう?ああそうだ、ちょっとテレビをつけてみてくれるかな?

律子:幽霊もテレビ見られるんですか?

彰人:実体がないだけで、見たり聞いたりは普通にできるようだよ。現に君の小説が読めたわけだし。

律子:ああその話なんですけど

彰人:それは後にしよう。今はテレビだ。ほら早く。

 

律子:幽霊のくせに人遣いの荒い……

 

(律子、テレビをつける)

 

彰人:今の時間だとニュースは……そう、そのチャンネル。ああほら、やっぱり。

 

律子:「小説家の古賀彰人(こがあきひと)が自宅で死亡」……?うそ、でしょ……?

 

彰人:俺もそうであることを願いたいけどね。

律子:古賀彰人が……死んだなんて……

彰人:ショックだよねえ。

律子:もうだめだ……死のう。

 

彰人:え?

 

律子:たった今この瞬間、私の生きる理由はなくなりました。

 

彰人:ちょ、ちょっと待ちなさいって。

 

律子:なんですか?放っといてください。どうせあなたのお仲間になるだけですよ。

 

彰人:いや、流石に目の前で死なれたら気分が悪いんだけど。

 

律子:じゃあどこへなりと好きに行ったらいいじゃないですか。幽霊なんだから。

 

彰人:……動けないんだ。

 

律子:どういうことですか?

 

彰人:本当に察しの悪い。さっきのでなんとなく分からなかったかい?

 

彰人:俺はどうやら、君のヘッドフォンから出られないようだ。

 

律子:なんで。

 

彰人:それは俺が聞きたいね。

(律子、ため息をつく)

律子:じゃあヘッドフォンは置いていきます。死ぬ時こそ、いつも通り好きな音楽を聴いていたかったけれど、仕方ありませんね。こうすればあなたは、私の死に際を看取る必要もありません。これで問題ないでしょう?

 

彰人:ちょっと。

 

律子:まだ何かあるんですか?

 

彰人:君、本当に俺の話を聞いてたのか?さっき言ったじゃないか、俺は死んだばっかりだって。

 

律子:それがどうかしましたか。

 

彰人:だから、ニュースのそれ。それが俺。

 

律子:「それ」って……。古賀……彰人?

 

彰人:そういうこと。姿を見せられないのが残念だけど。

 

律子:その話、私が信じると思いますか?

 

彰人:まあ無理だよね。

 

律子:ですよね。

 

彰人:困ったなあ。このままじゃあ君は僕の目の前で、僕の死を悼んで死んでしまう。こんな馬鹿げた話があるかい?

 

律子:……

 

彰人:ああじゃあ、これならどうかな?

 

彰人:「闇が音を立てる。キリキリとした不協和音。キョウコと私の混沌が目合(まぐわ)い、歓喜の声を上げているのだ」。

 

律子:「カナリア、闇に溶ける」……!

 

彰人:正解。どうだい?少しは信じる気になった?

 

律子:「私が触れるそばから、キョウコの髪の感度は上がってゆく。蕩(とろ)けてゆくその身体は、この部屋に満ちる気温の粒全てを絡め取らんとする、触手のバケモノに変化し、私をさらに恍惚とさせる」。

 

彰人:ほう、やるじゃないか。

 

律子:ファンですから。

 

彰人:さっきからそんな気はしていたよ。

 

律子:「ファン」なんて軽い言葉で片づけるのも嫌なんですけどね。

 

彰人:なるほど。じゃあ、君は何者になるのかな?

 

律子:私にとってあなたは崇敬の対象で、いつかあなたにひと目会うのが、私の生きる目的でした。

 

彰人:ああ、これは確かに重たいなあ。

 

律子:どう取ってもらっても構いません。少なくとも後を追って死のうと思うくらいには、私はあなたのことが、あなたの作品が好きです。

 

彰人:おや。

 

律子:なんですか?

 

彰人:「好きでした」じゃないところが非常に好ましいなあ、と。

 

律子:そうですか。それは良かった。

彰人:まだ死のうと思ってる?

律子:分かりません。今こうしてあなたと話せていることは本当に夢のようだけれど、あなたはもう死んでいて、あなたの作品ももう読めないんですから。浮かれたいのか死にたいのか、私にもさっぱりで、感情が追いつきません。

 

彰人:それならさ、君の時間を少し俺にくれないかな。

 

律子:時間?

 

彰人:俺は、まだ書きたいんだ。

 

律子:私にゴーストライターをしろということですか?

彰人:少し違うな。なんたって俺はもう死んでいる。今更自分の名前で作品を発表する気なんかこれっぽっちもない。だから、書いたものをどうしてくれても構わない。出したければ君の名前で発表すればいい。どうかな?悪い話じゃあないと思うんだけど。

 

律子:……そんな惨めなことしませんよ。

 

彰人:そうかい。まあその辺はどちらでもいいさ。俺はただ、自分の頭の中にあるものを形にして残させてもらえれば、それでいいから。

 

律子:あなたが成仏できないのは、もしかしてその未練のせいですか?

 

彰人:かもしれないね。

律子:それなら何故、賞の一次審査にも通過できない、私なんかのヘッドフォンに。

彰人:それが分かれば苦労しないよ。ああでも、俺が死んだ瞬間にもっとも強く俺を思っていた存在がいて、魂が惹かれ合ってしまった、なんてことだったりすると、大変に俺好みで素晴らしいと思うけど。

 

律子:それは、あながち間違いではないかもしれません。

 

彰人:え?

 

律子:ほら。

 

彰人:俺の最新作?

 

律子:今日も書き始める前に読んでいました。六回目です。そしていつものように、いつかあなたに会うことを想像して……

 

彰人:自慰でもしていた?

 

(律子、大きなため息をつく)

 

彰人:何だい。

 

律子:そういうの、セクハラっていうんですよ。

 

彰人:俺は君にセクシャルな興味はないよ。単なる事象の確認だ。

 

律子:私が憧れ続けた古賀彰人が、こんなに俗っぽい人だったなんて。

 

彰人:知らないよそんなこと。どんな姿をイメージしていたか知ったこっちゃないけどね、それはただの偶像だ。偶像に幻滅したところで、そんなのは俺の責任じゃない。

 

律子:そうですね。それは正しい。正しいけど、ちょっとそっとしておいてください。

 

彰人:それじゃ一向に話が進まないんだよ。

 

律子:書きます。書きますから。あなたの脳内を私が形にできるなんて、それこそこれ以上の興奮はありません。……でも、それとこれとは別なんです。

 

彰人:初心(うぶ)だねえ。処女というわけでもあるまいに。

 

(律子、彰人を無視する)

 

彰人:君、めんどくさいな。

 

律子:……で?書き出しは?

 

彰人:お、やっと書く気になったかい?

律子:待てないでしょう、どうせ。私も、あなたも。

(少しの間)

彰人:「空が茜と紺のグラデーションを描く時」、テン、「私は彼に攫(さら)われました」、マル。あ、「攫い」は漢字で頼むよ。

律子:はい。

 

彰人:「彼は」、テン、「人攫いの魔法使いだったのです」、マル。

 

(律子、入力していく)

律子:悔しいな。

 

彰人:何が?

 

律子:本人は信じられないくらい俗っぽいのに、言葉も文章もこんなに美しいなんて。

彰人:誉め言葉と受け取っておこう。これからよろしく頼むよ、俺のゴーストさん。

 

律子:ゴーストはそっちでしょう?

 

彰人:そういう返しは好きだね。合格。

 

律子:ありがとうございます。
 

【間】

 

―数日後

 

彰人:「彼は何時(いつ)も」、テン、私の望むものを与えてくれました」、マル。

 

律子:「何時も」は漢字ですね。

 

彰人:よく分かったじゃないか。

 

律子:どれだけあなたの本を読んできたと思っているんですか。あなたの文章の癖や書き方はしっかり覚えていますよ。

 

彰人:ふぅん。

 

律子:なんですか?

 

彰人:覚えてはいるけれど、トレースはしないんだね。感心だ。

 

律子:……私の小説のことですか?

 

彰人:君の作品からは、俺の匂いは全く感じなかったから。良くも悪くも、ね。

 

律子:最初の日に比べると、随分柔らかい物の言い方になりましたね。「良くも悪くも」だなんて。

 

彰人:これでも恩義は感じているんだよ。

 

律子:へえ、意外。

 

彰人:逆に君は、日を追うごとに手厳しくなっていくね。

 

律子:古賀彰人という一人の「生身の人間」と接した結果、です。

 

彰人:もう死んでいるけどね。

 

律子:いちいち揚げ足を取らないでください。そういうところですよ。

 

彰人:破壊された偶像を踏み台に、少女は大人になった、ってところかな。

 

律子:少女って。そんな年じゃありませんよ。私、もう二十六ですから。

 

彰人:二十六?嘘だろう?

 

律子:サバを読む必要、あります?嘘じゃありませんよ。 

 

彰人:それにしたって君……ずいぶん若く見えるな。

 

律子:よく言われます。中学生みたいだ、って。

 

彰人:化粧っけがないのや顔の造形もあるとは思うけど、なんというか……擦(す)れてないんだよね、君。やけにお綺麗だ。

 

律子:私の顔は、美形というには程遠いと思いますけど。

 

彰人:揚げ足を取り返してきたな。

 

律子:世間知らずの処女に見える、って言いたいんでしょう?

彰人:端的に言えば。

律子:……それは多分、コレのせいです。

 

彰人:ヘッドフォン?

 

律子:あなたは、私がずっと家から出ずにあなたのゴーストをしているのを変だと思いませんでしたか?

彰人:いいや、別に?

 

律子:……そうですか。

 

彰人:何だい。

 

律子:いいえ。あなたも大概だなあ、と思って。

 

彰人:興味のないものは仕方ないだろう?君がどんな仕事をしていようが、それこそ仕事をしていなかったとしても、そんなことは、俺にはなんの関係もないことだ。

 

律子:それは……そうですけど。

 

彰人:文章を綴り、己が気に入った人間と戯れ、そして新しく見えた世界を再び文章にして綴る。それが俺の全てで、それ以外はおしなべてどうでもいいことなのさ。

 

律子:そこは、私のイメージした古賀彰人像そのまんまです。

 

彰人:ほお?

 

律子:何にも縛られず、軽くステップを踏むように、口笛でも吹くかのように話を作る人だと、そう思っていました。

 

彰人:なかなかどうして、それだけ詩的な表現ができるのに、何故君の書くものはあんなにお粗末なんだろうね。

 

律子:ワンシーンを切り取るだけならいいのかもしれません。美しい……美しいと思えるワンシーンは山ほど浮かびます。でもそれらを繋げることが苦手なんです。繋げると、途端にチープになる。よく言われました。

 

彰人:……

 

律子:切り取られたワンシーンを繋ぎ合わせてひとつの美しいものを作るには、語彙力や文章力が圧倒的に足りないんでしょうね。あとはそれこそ「経験不足」じゃないですか?

 

彰人:なんだ、やっぱり世間知らずの処女だったんじゃないか。

 

律子:別にそこは否定しませんでしたよ。

彰人:そうだったかな?

 

律子:はい。

 

彰人:話が逸れた。それで?なんで君が仕事もせず、しかも家からもろくに出ない理由が「ヘッドフォン」なんだい?


律子:私の仕事の話なんて、興味ないんじゃなかったんですか?

 

彰人:ちょっと興味が湧いてきたんだよ、君自身に。

律子:……光栄、です。でもそんなに楽しめる話でもありませんよ。

彰人:いいから話しなさいよ。楽しいか楽しくないかは俺が判断することだ。そういう焦らされ方は、好きじゃない。

律子:私、ヘッドフォン依存症なんです。

 

彰人:依存症、つまりヘッドフォンがないと生活できないということかい?

律子:そうです。

 

彰人:そう言えば君、入浴する時以外はずっとヘッドフォンをしていたな。音楽依存症と同じようなもの、でいいのかな。

 

律子:確かにいつも音楽を聴いていないと落ち着かないし、何も手につかないので、もしかしたらそれもあるのかもしれませんけど。でもそれ以上に、ヘッドフォンが私の「ライナスの毛布」なんです。

 

彰人:子供がお気に入りの毛布に執着して、いつも持ち歩くってアレかい?

 

律子:さすがによくご存じで。イヤフォンじゃ駄目なんです。このヘッドフォンがいいんです。

 

彰人:しかしそのヘッドフォン、ずいぶんと古いようだけど。

 

律子:中学生の時から使っていますから。

 

彰人:つまり、10年以上使っているってことか。

 

律子:あなたが私のヘッドフォンに宿っていることに比べたら、常識的な方だと思います。

 

彰人:そうかな。十二分に面白いと思うけどね。なるほど、それは確かに「ライナスの毛布」だ。

 

律子:よくある話ですよ。私、中学に入ってすぐ苛めにあいまして。苛めのテンプレートは一通り経験した、という自負があります。

 

彰人:そういうのは自負とは言わない。ただの自虐だ。……ふむ、つまり、その時の君の救いになったのがこのヘッドフォンだった、ってことか。

 

律子:その通り。これ、姉がくれたんです。少しでも、ひとりで心穏やかに過ごせる時間作れるように、って。

彰人:心のお守り、か。

律子:授業中でもヘッドフォンを外さない、外せと教師に言われれば、暴れた挙句授業をボイコットして帰宅してしまうようになった私を、クラスメートはおろか、教師や両親までも気味悪がるようになりました。これがある限り、私はこの世界を生きていける、そう思ったものです。

 

彰人:良い話じゃないか。

 

律子:そうですね、確かにここだけ聞けば、良い話かもしれません。

彰人:ところが大人になった今は、それのせいで世界に馴染めないでいる、と。

 

律子:ヘッドフォンをつけたままで就職活動はできませんから。でも大丈夫です。今は在宅ライターなんて素敵な仕事があって、そのおかげで、私はヘッドフォンを外すことなく、安心して好きな小説を読み、大好きだけどゴミにしかならない小説を書きながら生きていける、というわけです。

 

彰人:ふむ。じゃあ君は、今の自分の生き方に誇りを持っている、と捉えていいのかな?

 

律子:考えたことはありませんけど、そうなりますかね。もっとも、あなたから見たら馬鹿みたいな話でしょうけど。

 

彰人:何を言ってるんだ。俺は君がますます気に入った。

 

律子:え?

 

彰人:君は本当にどうしようもない。

 

律子:気に入っているとは到底思えない言葉ですね。

彰人:俺が君をどう思うかは置いておいて、世間的に見れば、恐らく君は相当にどうしようもない。でもそのどうしようもなさを理解しながらも、誇りを持っている。それが非常にそそられるね。君、名前は?

 

律子:そういえば、名前を聞かれたことありませんでしたね。

 

彰人:君が名乗らなかったからね。

 

律子:名乗れるほどの者でもないので。

 

彰人:その通り。今この瞬間まで、俺の中で君は、特に名を知る必要もないゴーストだったんだ。でも今は違う。堂々と名乗って欲しい。

 

律子:……綾瀬律子(あやせりつこ)です。

 

彰人:律子、と呼んでもいいかな? 

 

律子:あ……

 

彰人:何だい?

 

律子:いえ別に。それで構いません。ただ……異性に下の名前で呼ばれるなんて、今までになかったもので。

 

彰人:恋人は?交渉に至らなくとも、恋人くらいはいるだろう?

 

律子:いると思いますか?

 

彰人:いいや思えない。いたとも思えない。

 

律子:正解です。

 

彰人:君はどうしようもない女だからな。

 

律子:そういうことです。で?私はともかく、あなたはどうなんですか?

彰人:俺?

 

律子:恋人とか、いたんじゃないですか?

 

彰人:いたね、沢山。それはもう星の数ほど。

 

律子:沢山!?

 

彰人:俺は男だろうが女だろうが、気に入ったものは全部愛する主義だ。全部貪って、時に貪られて、いい顔も醜い顔も見て、そして見せる。本音も嘘もどちらも愛しているし、偽善も露悪も、勿論遍(あまね)く愛している。良くも悪くも、心が震えた数だけ恋をして、そしてそれらを全て、快楽と共に文字にしてきた。

 

律子:でもそれって結局、誰も愛していなかったのでは?

 

彰人:陳腐な台詞だけど、間違ってはいないね。俺が真実愛しているのは、物語が生まれる瞬間と、その後の物語を紡ぐ作業だけ。真実の所在なんて、どうでもいい。

 

律子:つまりあなたにとって、他人はネタでしかない、と。

 

彰人:さっきからえらくつまらない言い方ばかりするじゃないか。

 

律子:すみません。

彰人:ネタ、というより、俺にとって自分以外の人間は全て「扉」なのさ。異世界への「扉」。俺はそれをこじ開けて、中を覗き見るのが好きなんだよ。

律子:果てしなく悪趣味ですけど、それが全てあなたの作品に繋がっていくのなら、「扉」側からしたら光栄なことでしょうね。

彰人:さあどうだろう。それなりに恨みを買った気もするけどね。

 

律子:そんなものですか?

 

彰人:だから、神は俺を罰したのかもしれない。

 

律子:え?

 

彰人:俺の死因だよ。

律子:テレビでは「事故」だと言っていましたけど。

 

彰人:過去に殴り殺されたのさ。

 

律子:え?

(彰人、小声で話す)

 

彰人:押し入れから落っこちてきたアルバムが数冊、頭にクリティカルヒットしてね。

 

律子:……は?

 

彰人:当たり所が悪かったんだろう。なんとも間抜けだけど、我ながら面白い死に方をしたもんだ。

 

律子:そんな馬鹿な話ってあります?

 

彰人:こじ開けて中身を食いつぶした残骸をコレクションの如く取っておいたのが、神の目には傲慢に映ったのかもしれないね。

 

律子:それでもあなたは物語を紡ぐのをやめようとせず、今に至る、というわけですか。

 

彰人:そういうこと。

 

律子:罪深さの極致ですね。

 

彰人:見損なったかい?

 

律子:それこそ陳腐な台詞ですよ。らしくない。

 

彰人:俺とて、己の死におセンチになることだってあるさ。

 

律子:あなたが死ななければ、私はこうしてあなたと話すこともなかったし、あなたの頭の中を覗くこともなかった。しかもあなたは今、あろうことかこの私の扉をこじ開けて、中身を啜(すす)ろうとしている。嫌いになるなんてとんでもない。これを光栄と言わずして何と言いますか?

 

彰人:君、今堂々と俺の死を喜んだな。

 

律子:どうしようもない女なので、そこはあきらめてください。

(彰人、笑う)

彰人:困ったな。また書きたいものが増えた。

 

律子:私を使っていくらでも書いてください。時間はまだまだありますから。

 

(律子、咳き込む)

 

彰人:風邪かい?

 

律子:家からほとんど出ないのに、風邪なんかひきようないですよ。喉が乾燥したんだと思います。……さ、続きをどうぞ。

 

彰人:「彼はその大きな両手で私の眼(まなこ)を塞ぎ」、テン、「低い声で言うのです」、マル。鍵括弧(かっこ)、「『ゆっくり十(とお)数えてご覧』」、括弧閉じ。「その両手の温もりがもたらす暗闇が」、テン、「私は一等好きでした」、マル。

 

【間】

 

―さらに数日後

 

(律子、激しく咳き込む)


彰人:君のその咳、酷くなる一方じゃないか。

 

律子:あはは……一体どうしちゃったんでしょうね。

 

彰人:医者に行きなさい。

 

律子:嫌です。

 

彰人:どうして?

 

律子:私は、書かなきゃいけないんです。あなたの作品を。

 

彰人:君は馬鹿か。

 

律子:自分でも、これは明らかにまずそうだな、ってのはなんとなく分かります。でも、だからこそ、時間がもったいないんです。


(少しの間)

 

彰人:……これは俺の、ひとつの仮説なんだけどね。

律子:はい?

 

彰人:俺は、所謂「亡霊」だ。

 

律子:そうですね。

 

彰人:そして、君の命綱ともいえるヘッドフォンに取り憑いているわけで。

 

律子:ええ。

 

彰人:俺はオカルトは専門外なんだけど、霊に取り憑かれると、徐々に衰弱して死ぬんじゃなかったか?

 

律子:つまり、あなたのせいだと?

 

彰人:あくまでも仮説、だけどね。

 

律子:……あなたという人は本当に不思議ですね。

 

彰人:何だい、急に。

 

律子:いやらしくて自分勝手なくせに、時にひどく優しいから。

彰人:君に死なれちゃ困るってだけさ。俺には、まだまだ書きたいものがあるんだ。

律子:そのアンバランスさで人を振り回して、中身を引きずり出して、作品にしてきたんですね。今ならよく分かります。

 

彰人:言うじゃないか。

律子:あなたも大概、どうしようもない人ですから。

彰人:その通り。だからきっと、今の俺は悪霊だな。

 

律子:その姿は案外おどろおどろしいものかもしれませんね。私、実はオバケの類とか苦手なんです。見えなくて良かった。

 

(律子、笑った後さらに激しく咳き込む)

 

彰人:そうだな。さあ、それじゃあさっさと病院に

 

律子:行きません。

 

彰人:……

 

律子:……私が死んだら、あなたはもうどこにも行けない。このヘッドフォンから出られないまま、私の死体を眺めるだけ。そうですよね?

 

彰人:それは独占欲?それともくだらない正義感かな?

 

律子:さあ、どっちでしょう?

 

彰人:生意気な。

 

律子:でも、嫌いじゃないでしょう?

彰人:そうだね。でも残念だ。今の君なら、もう少しいい物が書けそうなのに。

 

律子:経験値だけは、稼がせてもらいましたからね。

 

(律子、呼吸を整える)

 

律子:……さあ、続きを書きましょう。急がないと。

 

彰人:……

 

律子:さあ。

 

彰人:「ある日彼は私の前から姿を消しました」、マル。「彼は」、テン、「その両手を温かく濡らすものが恋の涙だと」、テン、「気付いてしまったのです」、マル。

 

【間】

 

―数日後

 

彰人:生きてるかい?

 

(律子、荒い呼吸を繰り返している)

 

彰人:……生きてるね。

 

律子:あと少し、でしょう?それくらい……頑張りますよ。

彰人:休憩してもいいんだぞ。

 

律子:必要ありません。

 

彰人:本当に頑固だな。

律子:……それ、で?なん……でしたっけ?

 

彰人:「彼は最後の最後で」、テン、「私の望むものを取り上げたのです」、マル。

 

(律子、息を切らしながら入力する)

 

彰人:……俺には理解できないな。 

 

律子:何が?

 

彰人:自分の命と引き換えにしてまでやりたいことかい?これって。

律子:ええ。あなたには、理解できないでしょうね。

彰人:俺は自分が一番大事だからね。自分が書きたいものを書かずに、ゴーストのまま命を落とすなんて、絶対に嫌だ。

 

律子:だから……なんですかね。

 

彰人:何が?

 

律子:あなたと私を、隔てるモノです。

 

彰人:隔てるモノ?

(律子、咳き込みながら話す)

律子:私は、今はゴーストのままでいい。誰よりも早くあなたの作品に触れることができるから。私の手では到底生み出すことができないような、物語に。でもあなたは……、自分が書きたい世界を書けなければ、生きる意味など無い、そう思っている。根本から違うんです。私とあなたは。だから、あなたは私の永遠の崇敬の対象で、私は永遠に芽が出ることのない物書きなんだなぁ、って、今思いました。

 

彰人:……やっぱり独占欲だな。

 

律子:え?

 

彰人:俺自身を、俺の作品を、君はこのまま自分だけのものにしたいんだ。

 

律子:軽蔑しますか?そして後悔しますか?……気持ちの悪いファンに取り憑いてしまったと。

 

彰人:いいや、納得した。

 

律子:納得?

 

彰人:だから俺は君のヘッドフォンに閉じ込められたんだ、ってこと。「古賀彰人」という名前を挟んで、一番どうしようもない男と一番どうしようもない女が出会った、それだけの話だったのさ。

 

(律子、小さく微笑む)

 

律子:なるほど……

 

(律子、激しく咳き込む)

 

彰人:この部屋もずいぶん汚くなったもんだ。血まみれのタオルやらゲロの染み込んだティッシュやらが散らばって。こんな女の部屋、見たことがない。まさに地獄絵図だ。

 

律子:悪い私と、悪いあなたにはぴったり……でしょう?

 

彰人:ああ、本当だ。

 

(律子、少しずつ呼吸が浅くなる)

 

律子:これ、って、心中、になるんですかね?

 

彰人:ん?

 

(律子、小さく笑う)

 

律子:なん、でもありま、せん。ほら……次で、ラスト、でしょう?早く。

 

彰人:「彼は人攫(さら)いの魔法使いで」、テン、「私の男でした」、マル。

 

(律子、大きくため息をつく)

 

律子:ああ……やっぱり素敵だな、あ……

 

彰人:お疲れさん。あとはゆっくり休むといい。

 

律子:お先に……失礼しま、す。地獄で、待って、ます……ね……

 

(律子、小さく息を吐き、息絶える)

 

【間】

 

彰人:さて、すごく締まらない話をしよう。どうやら俺は、ヘッドフォンから出られたようだ。結局、俺を縛っていたのは君の執着だった、ということになるのかな。大したもんだよ。実に気持ち悪い。でも、嫌いじゃない。ここまでグロテスクな中身を見たのは久しぶりだった。……いいさ、行ってやろうじゃないか。君の待つ地獄に。俺が紡ぐ君の物語は、地獄でしか受けなそうだからね。だから、そうだ。律子。これは正(まさ)しく、正(ただ)しく、「心中」だ。


 

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【幕】

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