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​​#36「正しき心中」

(♂1:♀1:不問0)上演時間30~40


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雅也

【秦野雅也(はだの まさや)】男性

小説家志望の26歳男性。在宅ライターの仕事をして糊口をしのいでいる。

ヘッドフォン依存症で、小説家「古賀あすみ」の大ファン。

あすみ

【古賀あすみ(こが あすみ)】女性

人気女流作家。年齢は「30代」としか公表されていない。

ある日不慮の事故で死に、雅也のヘッドフォンに不本意ながら取り憑く形になる。

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―雅也の部屋

(雅也、パソコンに向かい小説を書いている)

雅也:「やがてミスミの大きな瞳からは真珠のごとき涙がこぼれ、シーツを濡らしたのであった」……「完」っと。うん、なかなかよく書けた。もしかしたら今までの中で一番いい線行くかも。

 

あすみ:行けない。

 

雅也:え?

 

あすみ:だから、行けないってば。

 

雅也:ちょ、ちょっと! 

 

あすみ:それじゃあ賞はおろか、一次審査も通らない。

 

雅也:はぁ!?

あすみ:ラストの数行だけを見ても、文脈がおかしいって分かるもの。

雅也:ちょっと待ってください!

 

あすみ:残念だったわね。

 

雅也:……ですか。

 

あすみ:ん?

 

雅也:姿を見せずに言いたいだけ言うなんて、卑怯じゃありませんか?

 

あすみ:え、そこ?

 

雅也:空き巣なのかなんなのか知りませんけど、そこまで言うなら堂々と姿を見せてください。

 

あすみ:そう言われて姿を見せる空き巣なんていないと思うんだけど。そもそも姿見せちゃダメでしょ、空き巣なら。

 

雅也:どこですか?押し入れですか?

 

あすみ:姿ならさっきからずうっと見せてるんだけど。

雅也:は?

 

あすみ:こーこ。

 

雅也:ここ、って。

 

あすみ:ばあっ!

 

雅也:うわっ!?

 

あすみ:あははははは!びっくりした?

 

雅也:耳が……あたたた……。

 

あすみ:そもそもあなた、ずうっとヘッドフォンで音楽聴いてるじゃない。それなのに私の声が聞こえるなんて、おかしいと思わなかったの?

 

雅也:そういえば……

 

あすみ:でしょう?ねえ、ちょっとヘッドフォンを外してみてくれない?

 

雅也:はぁ……?

 

(雅也、ヘッドフォンを外す)

 

雅也:……あれ?今何か話してます?

 

(雅也、もう一度ヘッドフォンを付ける)

 

あすみ:あー!あー!あー!

 

雅也:うわびっくりした。

 

あすみ:やっぱり私の声が聞こえるのは、ヘッドフォンを付けている時限定みたいね。

雅也:つまり、あなたはヘッドフォンの妖精か何かですか。


あすみ:ヘッドフォンの妖精とは、またずいぶんとメルヘンな方向にいったわね。

 

雅也:じゃあ何ですか。

 

あすみ:幽霊、ってことになるのかしら。

 

雅也:何故疑問形に?

 

あすみ:だって私にもよく分からないんだもの。

 

雅也:分からない?

 

あすみ:だってそんなものどうやって自覚するのよ。

 

雅也:今の状況が全てじゃないんですか。

 

あすみ:多分私、死んだばっかりなのよ。だから分からないんじゃないかしら。

雅也:多分って。

あすみ:ちょっとテレビつけてみてくれる?

雅也:幽霊もテレビ見られるんですか?

あすみ:実体がないだけで、見たり聞いたりは普通にできるみたいよ。現にあなたの小説が読めたわけだし。

雅也:あ、その話なんですけどね

あすみ:いいからテレビ。

 

雅也:随分と人遣いの荒い……

 

(雅也、テレビをつける)

 

あすみ:あーほら、やっぱり。ニュースでやってる。

 

雅也:「小説家の古賀あすみが自宅で死亡」……嘘だろ……?

 

あすみ:嘘じゃないのよ。

 

雅也:古賀あすみが……死んだなんて……

あすみ:ねえちょっと。

 

雅也:もうだめだ……死のう。

 

あすみ:え。

 

雅也:僕にもう生きる理由はなくなりました。

あすみ:ちょっと待って。

雅也:なんですか?放っといてください。

あすみ:さすがに目の前で死なれたら気分が悪いわ。

雅也:じゃあどこへなりと好きに行ってください。幽霊なんでしょう?

あすみ:……動けないのよ。

雅也:どういうことですか?

あすみ:さっきのでなんとなく分からなかった?あなたのヘッドフォンから出られないの、私。

雅也:何故?

あすみ:そんなの私が聞きたいわよ。

雅也:じゃあヘッドフォンは置いていきます。死ぬ時こそいつも通り好きな音楽を聴いていたかったけれど、仕方ありませんね。

あすみ:ちょっと。

雅也:まだ何かあるんですか?

(あすみ、ため息をつく)

あすみ:私の話聞いてた?さっき言ったじゃない、私死んだばっかりだって。

雅也:そういえばそうでしたね。

あすみ:だから、ニュースのそれ、それが私。

雅也:それ、って……古賀……あすみ?

あすみ:そう。姿をお見せできないのが残念だけど。

雅也:信じると思いますか?

あすみ:思わない。

雅也:ですよね。

あすみ:んん~。あ、それじゃあこれならどう?「闇が音を立てる。キリキリとした不協和音。キョウコと私の混沌が目合(まぐわ)い、歓喜の声を上げているのだ」。

雅也:「カナリア、闇に溶ける」……!

あすみ:正解。どう?少しは信じる気になった?

雅也:「私が触れるそばから、キョウコの髪の感度は上がってゆく。蕩(とろ)けてゆくその身体は、この部屋に満ちる気温の粒全てを絡め取らんとする、触手のバケモノに変化し、私をさらに恍惚とさせる」。

あすみ:よく覚えているじゃない。

雅也:ファンですから。

あすみ:そうね、さっきからそんな気はしてたけど。

雅也:「ファン」なんて軽い言葉で片づけるのも嫌なんですけどね。

あすみ:じゃああなたは何者のつもり?

雅也:僕にとってあなたは崇敬の対象で、いつかあなたに会うのが、僕の生きる目的でした。

あすみ:なるほど、確かに重いわ。

雅也:どう取ってもらっても構いません。少なくとも後を追って死のうと思うくらいには、僕はあなたのことが、あなたの作品が好きです。

あすみ:「好きでした」じゃないところ、好みだわ。

雅也:そうですか。それは良かった。

あすみ:ねえ、まだ死のうと思ってる?

雅也:分かりません。今こうしてあなたと話せていることは本当に夢のようだけど、あなたはもう死んでいて、あなたの作品ももう読めないんですから。浮かれたいのか死にたいのか、僕にもさっぱりです。

あすみ:それならさ、少し私に付き合ってくれない?

雅也:付き合う?

あすみ:私、まだ書きたいのよ。

雅也:僕にゴーストライターをしろと?

あすみ:少し違うわね。そもそも私はもう死んでいるわけだし、今更私の名前で発表することなんて一ミリも考えてない。だから、書いたものはどうしてくれても構わない。出したければあなたの名前で発表すればいい。

雅也:そんな惨めなことしませんよ。


あすみ:まあその辺は興味ないわ。私はただ、自分の頭の中にあるものを形に残させてもらえれば、それでいいの。

 

雅也:あなたが成仏できないのは、もしかしてその未練のせいですか?

 

あすみ:かもしれないわね。

 

雅也:それなら何故、賞の一次審査にも通過できない僕なんかのヘッドフォンに。

 

あすみ:それが分かれば苦労はしないわ。ああでも、私が死んだ瞬間に私のことをもっとも強く思っていた存在がいて、魂が惹かれ合った、とかだと、すごく私好みなんだけど。

雅也:あながち間違いではないかもしれませんよ。ほら。

 

あすみ:私の最新作?

 

雅也:今日も書き始める前に読んでいました。六回目です。そしていつものようにあなたに会うことを想像して……

 

あすみ:自慰してた、なんて言わないでよ?

 

(雅也、ため息をつく)

 

あすみ:何よ。

 

雅也:僕が憧れ続けた古賀あすみが、想像していた姿とだいぶかけ離れていたもので。

あすみ:知らないわよそんなこと。どんな姿をイメージしていたか知ったこっちゃないけど、それはただの偶像よ。偶像に幻滅したのは私の責任じゃない。迷惑よ。

 

雅也:そうですね。それは正しい。正しいけど、ちょっとそっとしておいてください。

 

あすみ:それじゃ話が進まないのよ。

 

雅也:書きます、書きますよ。あなたの脳内を僕が形にできるなんて、それこそこれ以上の興奮はありませんから。でも、それとこれとは別なんです。

 

あすみ:興奮、って。……自慰ってのも案外図星なんじゃないの?

 

(雅也、無視する)

あすみ:つまんないの。

 

雅也:……で?書き出しは?

 

あすみ:あら、もう始めていいの?

 

雅也:待てないでしょう、どうせ。あなたも僕も。

(あすみ、ふっと笑う)

あすみ:「空が茜と紺のグラデーションを描く時」、テン、「私は彼に攫(さら)われました」、マル。あ、「攫い」は漢字でお願いね。

 

雅也:はい。

 

あすみ:「彼は」、テン、「人攫いの魔法使いだったのです」、マル。

(雅也、黙々と入力していく)

雅也:……悔しいなあ。

 

あすみ:何が?

 

雅也:なんでこんなに俗っぽい人から、これほど綺麗な言葉が出てくるんだろう、と。

あすみ:誉め言葉と受け取っておくわ。これからよろしくね、私のゴーストさん。

 

雅也:ゴーストはそっちでしょう?

 

あすみ:そういう返しは好きよ。合格。

雅也:ありがとうございます。

 

【間】

 

―数日後

 

あすみ:「彼は何時(いつ)も私の望むものを与えてくれました」、マル。

 

雅也:「何時も」は漢字ですね。

 

あすみ:あらよく分かったじゃない。

 

雅也:どれだけあなたの本を読んできたと思っているんですか。あなたの文章の癖や書き方はしっかり覚えていますよ。

 

あすみ:……ふぅん。

 

雅也:なんですか?

 

あすみ:覚えてはいるけど、トレースはしないってことね。感心だわ。

 

雅也:……僕の小説のことですか。

 

あすみ:あなたの作品からは、私の影は全く感じなかったから。良くも悪くも。

 

雅也:最初の日に比べると、随分柔らかい物の言い方になりましたね。「良くも悪くも」だなんて。

 

あすみ:あら、これでも恩義は感じているのよ?

 

雅也:へえ、意外だ。

 

あすみ:むしろあなたは、初日より手厳しくなったわね。

 

雅也:古賀あすみという一人の「生身の人間」と接した結果、です。

 

あすみ:もう死んでるけどね。

 

雅也:揚げ足を取らないでください。そういうところですよ。

 

あすみ:破壊された偶像を踏み台に、少年は大人になった、と。

 

雅也:少年って。僕もう二十六ですから。

 

あすみ:嘘でしょ?

 

雅也:嘘じゃありませんよ。

あすみ:ずいぶん若く見えるわよ。

 

雅也:よく言われます。

 

あすみ:顔の造形もあるんだけど、なんていうか……擦(す)れてないのよ、あなた。やけにお綺麗で。

雅也:僕は決して美形ではありませんけど?

あすみ:揚げ足を取り返してきたわね。

 

雅也:世間知らずに見える、って言いたいんでしょう?

 

あすみ:端的に言えば。

 

雅也:多分それ、コレのせいです。

 

あすみ:ヘッドフォン?

 

雅也:僕がずっと家から出ずにあなたのゴーストをしていること、変だと思いませんでしたか?

あすみ:別に?


雅也:そうですか。

 

あすみ:何よ。

 

雅也:いいえ。あなたも大概だなあ、と思って。

あすみ:だって興味ないもの、そんなこと。あなたがどんな仕事をしていようが、それこそ仕事をしていなかったとしても、そんなこと私にはなんの関係もないじゃない。


雅也:それはそうですけど。


あすみ:文字を綴り、自分が気に入った人間とだけ戯れて、そして新しく見えた世界を再び文字にして綴る。それが私の全てで、それ以外はぜぇんぶどうでもいいことだもの。

 

雅也:なるほど。そこは僕のイメージ通りです。

あすみ:ふぅん?

 

雅也:何にも縛られず、歌うように踊るように話を作る人だと思っていたので。

 

あすみ:それだけ詩的な表現ができるのに、どうしてあなたの書くものはあんなにお粗末なのかしら。

 

雅也:ワンシーンを切り取るだけならいいんですけどね。それらを繋げることが苦手なんです。語彙力や文章力の不足、あとはそれこそ「経験不足」なんでしょうね。

あすみ:なんだ、やっぱり世間知らずなんじゃないの。

 

雅也:別にそこは否定しませんでしたよ。

 

あすみ:そうだった?

雅也:はい。


あすみ:話が逸れたわね。それで?なんであなたが仕事もせず、家からも出ない理由がヘッドフォンなの?

 

雅也:僕の仕事の話なんて興味ないんじゃなかったんですか?

 

あすみ:ちょっと興味が出てきたのよ、あなた自身に。

 

雅也:……光栄です。でもそんなに楽しめる話でもありませんよ。

 

あすみ:楽しいか楽しくないかは私が判断することよ。そういうもったいぶりかた、好きなじゃないわ。

 

雅也:……僕、ヘッドフォン依存症なんです。

 

あすみ:ヘッドフォンがないと生活できないってこと?

 

雅也:そうです。

 

あすみ:そう言えばあなた、お風呂に入るとき以外はずっとヘッドフォンしてるわね。つまり、音楽依存症と同じようなものってことでいいのかしら?


雅也:確かにいつも音楽を聴いていないと落ち着かないし、何も手につかないんで、もしかしたらそれもあるのかもしれません。でもそれ以上に、ヘッドフォンが僕の「ライナスの毛布」なんです。

 

あすみ:子供がお気に入りの毛布に執着して、いつも持ち歩くアレ?

 

雅也:さすがによくご存じで。イヤフォンじゃ駄目なんですよ。このヘッドフォンがいいんです。

 

あすみ:そのヘッドフォン、ずいぶんと古いみたいだけど。

 

雅也:中学生の時から使っていますからね。

 

あすみ:10年以上使ってるってこと?

 

雅也:あなたが僕のヘッドフォンに宿っていることに比べたら、可愛いものでしょう?

 

あすみ:そうかしら。十二分に面白いと思うけど。なるほど、それは確かに「ライナスの毛布」ね。

雅也:ありきたりな話なんですけど、中学に入ってすぐ、僕、苛められまして。苛めのテンプレートは一通り経験した、という自負があります。

 

あすみ:いらない自負ね。……つまり、その時にあなたの救いになったのがそのヘッドフォンだった、ってことかしら?


雅也:その通り。これ、姉がくれたんです。少しでもひとりで心穏やかに過ごせる時間が作れるように、って。

あすみ:心のお守りになったのね。

雅也:授業中でもヘッドフォンを外さない、外せと教師に言われれば、暴れた挙句授業をボイコットして帰宅してしまうようになった僕を、クラスメートはおろか、教師や両親までもが気味悪がるようになりました。これがある限り、僕はこの世界を生きていける、そう思ったものです。

 

あすみ:いい話じゃない。

 

雅也:そう、ここだけ切り取ればいい話に見えるのかもしれません。

 

あすみ:ところが大人になった今は、それのせいで世界に馴染めないでいるってわけね。

 

雅也:ヘッドフォンをつけたままで就職活動はできませんからね。でも大丈夫です。今は在宅ライターなんて素敵な仕事があって、そのおかげで僕はヘッドフォンを外すことなく、安心して好きな小説を読み、大好きだけどゴミにしかならない小説を書きながら生きていける、というわけです。

 

あすみ:ふぅん。じゃああなたは、今の自分の生き方に誇りを持ってる、ってわけ。

 

雅也:そうなりますかね。あなたから見たら馬鹿みたいな話でしょうが。

 

(あすみ、にやりと笑う)

 

あすみ:ますます気に入ったわ。

雅也:え?


あすみ:あなたのその、どうしようもなさが。

雅也:気に入っているとは到底思えない言葉ですけど。

 

あすみ:世間的に見ればあなたはどうしようもないわよ、じゅうぶんに。でもそのどうしようもなさを理解しながらも、誇りを持っている。それがいいのよ。あなた、名前は?

 

雅也:そういえば名前を聞かれたこと、ありませんでしたね。

 

あすみ:だって、あなたが名乗らなかったから。

 

雅也:名乗れるほどの者でもないので。

 

あすみ:そう!今日この瞬間まで、私の中のあなたは、特に名を知る必要もないゴーストだったのよ。でも今は違う。堂々と名乗って良いわ。


雅也:……秦野雅也(はだのまさや)です。


あすみ:雅也ね、オッケー。

 

雅也:……

あすみ:なあに?照れてるの?

雅也:異性に下の名前で呼ばれるなんて、なかったもので。

あすみ:恋人は?

 

雅也:いると思いますか?

 

あすみ:思えない。いたとも思えない。

 

雅也:正解です。

 

あすみ:あなた、本当にどうしようもないもんねえ。

 

(雅也、笑う)

 

雅也:そういうことです。で?僕はともかく、あなたはどうなんです?

あすみ:何が?


雅也:恋人とか、いたんじゃないですか?

 

あすみ:いたわよ。たくさん。

 

雅也:たくさん!?

あすみ:私は男も女も、気に入ったものは全部愛する主義なの。貪欲に愛して愛して、全部貪(むさぼ)って、時に貪られるのが大好き。いい顔だけでなく、醜い顔も見るのが好き。見せるのも好き。本音も嘘もどちらも好き。偽善も露悪もぜえんぶ好き。たくさんたくさん見たいから、心が震えた数だけ恋をしたわ。で、それをぜえんぶ文字にしてきたってわけ。


雅也:それって結局、誰も愛していなかったのでは?

 

あすみ:陳腐な台詞だけど、間違ってはいないわ。私が好きなのは物語が生まれる瞬間と、その後の物語を紡ぐ作業だけ。真実の所在なんて、どうでもいいの。


雅也:つまりあなたにとって、他人はネタでしかない、と。

 

あすみ:さっきまでと比べると、えらくつまらない言い方ね。

 

雅也:すみません。

 

あすみ:ネタというより、私にとって自分以外の人間は全て「扉」なの。異世界への「扉」。私はそれをこじ開けて中を覗き見るのが好きなのよ。

 

雅也:果てしなく悪趣味ですけど、それが全てあなたの作品に繋がっていくのなら、「扉」側からしたら光栄なことでしょうね。


あすみ:さあどうかしら。それなりに恨みも買った気もするわ。

雅也:そんなものですか?

 

あすみ:だから、神は私を罰したのかもしれない。

 

雅也:え?

 

あすみ:私の死因。

 

雅也:テレビでは「事故」だと言っていましたけど。

 

あすみ:過去に殴り殺されたのよ。

 

雅也:え?

(あすみ、小声で雅也に囁きかける)

あすみ:押し入れから落っこちてきたアルバムが数冊、頭にクリティカルヒットしたの。

 

雅也:……は?

 

あすみ:当たり所が悪かったみたいね。なんとも間抜けだけど、我ながら面白い死に方をしたもんだと思うわ。

 

雅也:そんな馬鹿な話ってあります?

 

あすみ:こじ開けて中身を食いつぶした残骸をコレクションのごとく取っておいたのが、神の目には傲慢に映ったのかもしれないわね。

 

雅也:それでもあなたは物語を紡ぐのをやめようとせず、今に至るわけですか。

 

あすみ:そういうこと。

 

雅也:罪深さの極致ですね。

 

あすみ:嫌いになった?

 

雅也:それこそ陳腐な台詞ですよ。らしくない。

 

あすみ:私とて、己の死におセンチになることもあるのよ。

 

雅也:あなたが死ななきゃ、僕はあなたとこうして話すこともなかったし、あなたの頭の中を覗くこともなかった。しかもあなたは今、あろうことかこの僕の扉をこじ開けて中身を啜(すす)ろうとしている。嫌いになるなんてとんでもない。これを光栄と言わずして何と言いますか?

 

あすみ:あなた、今堂々と私の死を喜んだわね。

 

雅也:言われてみればそうですね。あきらめてください。僕はどうしようもないので。

 

(あすみ、笑う)


あすみ:困ったわ。また書きたいものが増えたじゃない。

 

雅也:僕を使っていくらでも書けばいい。時間はまだまだありますから。

(雅也、咳き込む)

 

あすみ:あら風邪?

 

雅也:家からほとんど出ないのに、風邪なんかひきようないでしょう?喉が乾燥したんですよ。……さ、続きをどうぞ。

 

あすみ:……「彼はその大きな両手で私の眼(まなこ)を塞ぎ」、テン、「低い声で言うのです」、マル。鍵括弧、「『ゆっくり十(とお)数えてご覧』」、括弧閉じ。「その両手の温もりがもたらす暗闇が」、テン、「私は一等好きでした」、マル。

 

【間】


―さらに数日後

 

(雅也、激しく咳き込む)

 

あすみ:咳、酷くなる一方ね。

 

雅也:どうしちゃったんでしょうね。

 

あすみ:医者に行きなさいよ。

 

雅也:嫌です。

 

あすみ:どうして?

 

雅也:書かなきゃ。あなたの作品を。

 

あすみ:あなた馬鹿なの?

雅也:自分でも、明らかにこれはまずそうだなってのはなんとなく分かりますけど。

 

あすみ:それならなおさら

 

雅也:だからこそ、時間がもったいないんです。

 

(少しの間い)

 

あすみ:……これはひとつの仮説なんだけど。

 

雅也:はい?

 

あすみ:私って、所謂「亡霊」じゃない?

 

雅也:そうですね。

 

あすみ:で、あなたの命綱ともいえるヘッドフォンに取り憑いているわけよね。

 

雅也:ええ。

 

あすみ:私あんまりオカルトは詳しくないんだけど、霊に取り憑かれてると、徐々に衰弱して死ぬんじゃなかった?

雅也:つまり、僕のこの体調はあなたのせいだと?

あすみ:仮説だけど。

 

雅也:……あなたという人は本当に不思議ですね。

 

あすみ:何よ、急に。

 

雅也:自分勝手なくせに、時にひどく優しいから。

 

あすみ:あなたに死なれちゃ困るってだけよ。私には、まだまだ書きたいものがあるんだもの。

 

雅也:そのアンバランスさで人を振り回して、中身を引きずり出して、作品にしてきたんですね。今ならよく分かります。


あすみ:言うじゃない。

 

雅也:あなたも大概、どうしようもない人です。

 

あすみ:その通りよ。だからきっと、今の私は悪霊だわ。

 

雅也:その姿は案外おどろおどろしいものかもしれませんね。僕、実はオバケの類とか苦手なんです。見えなくて良かった。

 

(雅也、小さく笑うとさらに激しく咳き込む)

 

あすみ:そうね。分かったらさっさと病院に

 

雅也:行きません。

 

あすみ:……

 

雅也:僕が死んだら、あなたはもうどこにも行けない。このヘッドフォンから出られないまま、僕の死体を眺めるだけ。そうですよね?

 

あすみ:それは独占欲?それともくだらない正義感?

 

(雅也、ふっと笑う)

 

雅也:さあ、どっちでしょう?

 

あすみ:生意気。

 

雅也:でも、嫌いじゃないでしょう?

 

あすみ:そうね。でも残念だわ。今のあなたなら、もう少しいい物が書けそうなのに。

 

雅也:経験値だけは、稼がせてもらいましたからね。

 

(雅也、呼吸を整える)

 

雅也:……さあ、続きを書きましょう。急がないと。

 

あすみ:……

 

雅也:さあ。

 

あすみ:「ある日彼は私の前から姿を消しました」、マル。「彼は」、テン、「その両手を温かく濡らすものが恋の涙だと」、テン、「気付いてしまったのです」、マル。

 

【間】

 

―数日後

 

あすみ:生きてる?

(雅也、荒い呼吸を繰り返す)

 

あすみ:生きてるわね。

 

雅也:あと少し、でしょう?それくらい……頑張りますよ。

 

あすみ:休憩してもいいわよ。

 

雅也:必要ありません。

 

あすみ:本当に頑固ね。

 

雅也:……それ、で?なん……でしたっけ?

 

あすみ:「彼は最後の最後で」、テン、「私の望むものを取り上げたのです」、マル。

 

(雅也、息を切らしながら入力する)

 

あすみ:……私には理解できないわ。 

 

雅也:何が?

 

あすみ:自分の命と引き換えにしてまでやりたいこと?これって。

 

雅也:ええ。あなたには、理解できないでしょうね。

 

あすみ:私は自分が一番大事だもの。自分が書きたいものを書かずに、ゴーストのまま命を落とすなんて、絶対に嫌。

 

雅也:だから……なんですかね。

 

あすみ:何が?

 

雅也:あなたと僕を、隔てるモノです。

 

あすみ:隔てるモノ?

 

(雅也、咳き込みながら話す)


雅也:僕は、今はゴーストのままでいい。誰よりも早くあなたの作品に触れることができるから。僕の手では到底生み出すことができないような物語に、ね。でもあなたは……自分が書きたい世界を書けなければ、生きる意味など無い、そう思っている。根本から違うんです。僕とあなたは。だから、あなたは僕の永遠の崇敬の対象で、僕は永遠に芽が出ることのない物書きなんだなぁ、って、今思いました。

 

あすみ:……やっぱり独占欲ね。

 

雅也:え?

 

あすみ:私自身を、私の作品を、あなたはこのまま自分だけのものにしたいんだわ。

雅也:軽蔑しますか?そして後悔しますか?……気持ちの悪いファンに取り憑いてしまったと。

あすみ:いいえ、納得したわ。

 

雅也:納得?

 

あすみ:だから私はあなたのヘッドフォンに閉じ込められのね。「古賀あすみ」という名前を挟んで、一番どうしようもない男と一番どうしようもない女が出会った、それだけの話だったのよ。

 

(雅也、小さく微笑む)

 

雅也:なるほど……

 

(雅也、いっそう激しく咳き込む)

 

あすみ:この部屋もずいぶん汚くなったわね。血まみれのタオルやらゲロの染み込んだティッシュやらが散らばって。まさに地獄絵図よ。

 

雅也:悪い僕と、悪いあなたにはぴったり……でしょう?

 

あすみ:ええ、本当に。

 

(雅也の呼吸が浅くなってゆく)

 

雅也:これ、って、心中、になるんですかね?

 

あすみ:え?

 

(雅也、ふっと笑う)

 

雅也:いいえ。なん、でもありま、せん。……ほら、次で、ラスト、でしょう?早く。

 

あすみ:「彼は人攫いの魔法使いで」、テン、「私の男でした」、マル。

 

(雅也、大きく息をつく)

 

雅也:ああ……やっぱり素敵だな、あ……

 

あすみ:お疲れ様。ゆっくり休んでいいわよ。

 

雅也:お先に……失礼しま、す。地獄で、待って、ます……ね……

 

(雅也、小さく息を吐き、息絶える)

 

【間】

あすみ:ねえ、すごく締まらない話をするわね。私、ヘッドフォンから出られたわ。結局、私を縛っていたのはあなたの執着だった、ってことになるのかしら。大したものだわ。本当に気持ち悪い。でも、嫌いじゃないわ。ここまでグロテスクな中身を見たのは久しぶりだったもの。……いいわよ、行ってやろうじゃないの。あなたの待つ地獄に。私が紡ぐあなたの物語は、地獄でしか受けなそうだもの。だから、そうよ。雅也。これは正(まさ)しく、正(ただ)しく、「心中」よ。


 

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【幕】

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