#60「正しき心中 L」
(♂0:♀2:不問0)上演時間30~40分
※こちらの作品は#36「正しき心中」の比率変更版です。
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里穂
【佐倉里穂(さくらりほ)】
小説家志望の二十六歳女性。ヘッドフォン依存症で、小説家「古賀あやの」の大ファン。
あやの
【古賀あやの(こがあやの)】
人気作家。ある日不慮の事故で死に、不本意ながら里穂のヘッドフォンに取り憑く形になる。
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―里穂の部屋
(里穂がパソコンに向かい小説を書いている)
里穂:「やがてミスミの大きな瞳からは真珠のごとき涙がこぼれ、シーツを濡らしたのであった」。「完」っと……。ん、我ながらよく書けた気がする。もしかしたら、今までの中で一番いい線行くかも。
あやの:無理ね。
里穂:え?
あやの:だから、無理だって言ってるの。
里穂:ちょ、ちょっと!
あやの:それじゃあ賞はおろか、一次審査だって通らない。
里穂:はあ!?
あやの:ラストの数行だけを見ても文脈がおかしいのが分かるし、唐突なベッドインなんてご都合主義の塊でしかないじゃない。なんの余韻も無くて……つまらないのよ、単純に。
里穂:ちょ、ちょっと待って。
あやの:ま、残念だけど、また頑張ればいいわ。
里穂:……です。
あやの:なあに?
里穂:姿を見せずに言いたいだけ言うなんて、卑怯です。
あやの:え、そこ?
里穂:空き巣なのかなんなのか知りませんけど、そこまで言うなら、堂々と姿を見せたらどうですか?
あやの:ねえ。私が空き巣だとして、そう言われて姿を見せると思う?第一、姿を見せずして事を働くのが空き巣でしょう?
里穂:どこですか。押し入れですか?
あやの:人の話を聞かない子ね。姿なら、さっきからずうっと見せてるのよ、私。
里穂:は?
あやの:こーこ。
里穂:ここ?
あやの:わっ!
里穂:うわっ!
(あやの、けらけらと笑う)
あやの:驚いた?
里穂:み、耳が……あいたたた……
あやの:そもそもあなた、ずうっとヘッドフォンで音楽を聴いているでしょう?それなのに私の声が聞こえるなんて、おかしいとは思わなかったの?
里穂:そ、そういえば……
あやの:ね?……で、本題なんだけど。
里穂:なんですか?
あやの:ちょっとヘッドフォンを外してみてもらえないかしら。
里穂:え、なんで?
あやの:いいからいいから。少し気になることがあるのよ。
里穂:わ、わかりました。
(里穂、ヘッドフォンを外す)
里穂:……あれ?今何か話してます?
(里穂、もう一度ヘッドフォンをつける)
あやの:あー!あー!あー!
里穂:うわ、びっくりした!
あやの:ふぅん、やっぱり私の声が聞こえるのは、ヘッドフォンをつけている時限定みたいね。
里穂:つまり、あなたはヘッドフォンの妖精か何か、ということですか?
あやの:やめてよ。メルヘンは嫌いじゃないけど、私には似合わない。
里穂:そうなんですか?
あやの:そうなの。
里穂:じゃあ、あなたは一体なんなんですか。
あやの:おそらく世間一般で言うところの「幽霊」ってやつじゃないかな、って思ってはいるんだけど。
里穂:なんだか歯切れが悪いですね。
あやの:自分でもよく分からないものは仕方ないじゃない。
里穂:分からない?
あやの:だってそんなの、どうやって自覚したらいいのよ。
里穂:今の状況が全てだと思うんですけど……。
あやの:恐らく私は死にたてで、まだその辺が曖昧なのよ、きっと。
里穂:はあ。
あやの:あ。そうよ、テレビ。テレビをつけてみてくれない?
里穂:幽霊もテレビ見られるんですか?
あやの:実体こそないけど、見たり聞いたりは普通にできてるわよ?現にあなたの小説だって読めたわけだし。
里穂:あ!そう、その話なんですけど
あやの:まあそれは後でまた気が向いたらね。今はテレビよ。ほら早く。
里穂:幽霊のくせに人遣いの荒い……
(里穂、テレビをつける)
あやの:えっと今の時間だと、ニュースは……そう、そのチャンネル。ああほら、やっぱり。
里穂:「小説家の古賀あやのが自宅で死亡」……?
あやの:そんな気はしてたけど、やっぱりそうだったのねぇ。あーあ。
里穂:うそ、でしょ……
あやの:私もそう願いたいわ。
里穂:古賀あやのが……死んだなんて……
あやの:ねえ。
里穂:もう……死ぬしかない……
あやの:え?
里穂:私の生きる理由はたった今、この瞬間なくなりました。
あやの:ちょ、ちょっと待ちなさいよ。
里穂:なんですか?放っといてください。どうせあなたのお仲間になるだけです。
あやの:目の前で死なれるのは、さすがに気分が悪いわ。
里穂:じゃあどこへなりと好きに行ったらいいじゃないですか。幽霊なんでしょう?
あやの:……動けないのよ。
里穂:は?
あやの:だから、動けないの。さっきのでなんとなく分からなかった?私、あなたのヘッドフォンから出られないみたいなの。
里穂:え、なんで?
あやの:そんなのこっちが聞きたいわ。
里穂:……じゃあヘッドフォンは置いていきます。死ぬときこそ、いつも通り好きな音楽を聴いていたかったけれど、仕方ありませんね。そうすればあなたは、私の死に顔を見る必要もありません。これで文句ないでしょう。
あやの:あーもう!
里穂:まだ何かあるんですか?
あやの:本当に察しが悪いわね。さっき言ったでしょ?私は死んだばっかりだ、って。
里穂:それがなにか?
あやの:だーかーら、ニュースのそれ。それが私なの。
里穂:「それ」って……え……?古賀……あやの……!?
あやの:その通り。姿をお見せできないのが残念だけど。
里穂:その話、私が信じると思います?
あやの:あら、信じてくれないの?
里穂:はい。
あやの:悩ましいわね。このままじゃあなたは私の目の前で、私の死を悼(いた)んで死んでしまうわけでしょ?こんなナンセンスな話ってないわよ。
里穂:じゃあどうしろって言うんですか。
あやの:……どうしよう?
里穂:知りませんよ……。
あやの:あ、じゃあ、これならどうかしら?「闇が音を立てる。キリキリとした不協和音。キョウコと私の混沌が目合(まぐわ)い、歓喜の声を上げているのだ」。
里穂:「カナリア、闇に溶ける」……!
あやの:正解。どう?少しは信じる気になった?
里穂:「私が触れるそばから、キョウコの髪の感度は上がってゆく。蕩(とろ)けてゆくその身体は、この部屋に満ちる気温の粒全てを絡め取らんとする、触手のバケモノに変化し、私をさらに恍惚とさせる」……!
あやの:やるじゃない。
里穂:……ファンですから。
あやの:そうね。さっきからそんな気はしてた。
里穂:「ファン」なんて軽い言葉で片づけるのも嫌なんですけどね。
あやの:へえ。じゃああなたは何者なの?
里穂:私が何者かは分かりませんけど、私にとってのあなたは崇敬の対象で、いつかあなたにひと目会うのが、私の生きる目的でした。
あやの:なるほど、これは確かに軽くないわ。
里穂:どう取ってもらっても構いません。少なくとも後を追って死のうと思うくらいには、私はあなたのことが……あなたの作品が好きです。
あやの:ふふふ。
里穂:なんですか?
あやの:「好きでした」じゃないところが好みだなあって。
里穂:そ、そうですか。それは、良かったです。
あやの:まだ死のうと思ってる?
里穂:分かりません。今こうしてあなたと話せていることは本当に夢のようだけれど、あなたはもう死んでいて、あなたの作品ももう読むことができないんですから。浮かれたいのか死にたいのか、私にもさっぱりで、感情が追いつきません。
あやの:それならさ、あなたの時間を少し私にくれないかしら?
里穂:時間?
あやの:私ね、まだ書きたいの。
里穂:私にゴーストライターをしろってことですか?
あやの:その表現はなんとなく違和感ね。なんたって私はもう死んでいるわけだし。だから別に、書いたものをどうしてくれても構わない。出したければあなたの名前で発表してもいい。
里穂:そんな……
あやの:どう?悪い話じゃないと思うんだけど。
里穂:……そんな惨めなことしませんよ。
あやの:まあその辺はどっちでもいいわ。私はただ、自分の頭の中にあるものを形にして残させてもらえればそれでいいのよ。
里穂:あなたが成仏できないのは、もしかしてその未練のせいですか?
あやの:他に理由も思いつかないから、そうなのかもしれないわね。
里穂:それなら何故、賞の一次審査にも通過できない、私なんかのヘッドフォンに。
あやの:それが分かれば苦労しないわよ。ああでも、私が死んだ瞬間にもっとも強く私を思っていた存在がいて、魂が惹かれ合ってしまった、なんてことだったりすると、すごく私好みでキュンとするかも。
里穂:えっと、それはあながち間違いじゃないかもしれません。
あやの:そうなの?
里穂:ほら。
あやの:私の最新作じゃない。
里穂:今日も書き始める前に読んでいました。六回目です。そしていつものように、いつかあなたに会うことを想像して……
あやの:自慰でもしてた?
(里穂、ため息をつく)
あやの:なによ。
里穂:そういうの、セクハラっていうんですよ。
あやの:別に私、あなたにセクシャルな興味なんてないわよ?
里穂:……私が憧れ続けた古賀あやのが、こんなに軽薄な人だったなんて。
あやの:あなたがどんな私をイメージしていたのかなんて知ったこっちゃないけど、それはただの偶像よ。偶像に幻滅したところで、そんなのは私の責任じゃないわ。
里穂:そうですね。それは正しい。正しいけど、ちょっとそっとしておいてください。
あやの:それじゃ話がちっとも進まないじゃない。
里穂:書きます。書きますから。あなたの脳内を私が形にできるなんて……それこそこれ以上の興奮はありませんよ。でも、それとこれとは別なんです。
あやの:潔癖ねえ。もしかしてヴァージン?
(里穂、あやのを無視する)
あやの:つまんないの。
里穂:……で?書き出しは?
あやの:あら、やっと書く気になってくれた?
里穂:待てないでしょう、どうせ。私も、あなたも。
あやの:よく分かってるじゃない。
(少しの間)
あやの:「空が茜と紺のグラデーションを描く時」、テン、「私は彼に攫(さら)われました」、マル。あ、「攫い」は漢字でね。
里穂:はい。
あやの:「彼は」、テン、「人攫いの魔法使いだったのです」、マル。
(里穂、入力していく)
里穂;……悔しいな。
あやの:何が?
里穂:軽薄の塊みたいな人なのに、出てくる言葉も文章もこんなに美しいなんて。
あやの:誉め言葉として受け取っておくわ。これからよろしくね、私のゴーストさん。
里穂:ゴーストはそっちでしょ?
あやの:そういう返しは好きよ。合格。
里穂:……ありがとうございます。
【間】
―数日後
あやの:「彼は何時(いつ)も」、テン、私の望むものを与えてくれました」、マル。
里穂:「何時も」は漢字でいいですね。
あやの:あら優秀。
里穂:どれだけあなたの本を読んできたと思っているんですか。あなたの文章の癖や書き方はしっかり覚えています。
あやの:ふぅん。
里穂:なんですか?
あやの:覚えてはいるけれど、トレースはしないのね。えらいじゃない。
里穂:それ、私の小説のことですか?
あやの:あなたの作品には、私の匂いを全く感じなかったから。良くも悪くも。
里穂:最初の日に比べると、随分と柔らかい物の言い方になりましたね。「良くも悪くも」だなんて。
あやの:やあね、これでも恩義は感じているのよ?
里穂:意外。
あやの:逆にあなたは、日を追うごとに手厳しくなっていくわね。
里穂:古賀あやのという一人の「生身の人間」と接した結果、です。
あやの:もう死んでるけど?
里穂:いちいち揚げ足を取らないでください。そういうところですよ。
あやの:破壊された偶像を踏み台に、少女は大人になった――うん、素敵。
里穂:少女って。私、もう二十六です。
あやの:うそでしょ?
里穂:サバを読む必要あります?嘘じゃありませんよ。
あやの:それにしたってあなた……随分若く見えるわよ。
里穂:よく言われます。中学生みたいだ、って。
あやの:化粧っけがないのとか顔の造形とか、原因は色々あるとは思うけど、とにかくなんていうか……擦(す)れてないのよ、あなた。やけにお綺麗で。
里穂:私の顔は、美形というには程遠いと思いますけど。
あやの:揚げ足を取り返してこないでよ。
里穂:また理不尽な……。世間知らずのヴァージンに見える、って言いたいんでしょう、どうせ。
あやの:まあ……端的に言えばそうね。
里穂:それは多分、コレのせいです。
あやの:ヘッドフォン?
里穂:私が全く家から出ずにあなたのゴーストをしているのを、変だとは思いませんでしたか?
あやの:え、別に?
里穂:……そうですか。
あやの:何よ。
里穂:いいえ。あなたも大概だなあ、と思って。
あやの:興味のないものは仕方ないじゃない。あなたがどんな仕事をしていようが、それこそ仕事をしていなかったとしても、そんなこと私にはなあんの関係もないんだから。
里穂:それは……そうですけど。
あやの:文字を綴りながら、自分が気に入った人間とだけ戯れて、そして新しく見えた世界をまた文字にして綴る。それが私の全てで、それ以外はおしなべてどうでもいいことだもの。
里穂:そこは、私のイメージした古賀あやの像そのまんまです。
あやの:そうなの?
里穂:何にも縛られず、歌うように、踊るように話を作る人だと、そう思っていました。
あやの:不思議ね。
里穂:なにがですか?
あやの:それだけ詩的な表現ができるのに、どうしてあなたの書くものはあんなにお粗末なのかしら。
里穂:ワンシーンを切り取るだけならいいのかもしれません。美しい……美しいと思えるワンシーンは山ほど浮かびます。でもそれらを繋げることが苦手なんです。繋げると、途端にチープになる。よく言われました。
あやの:ふうん。
里穂:切り取られたワンシーンを繋ぎ合わせてひとつの美しいものを作るには、語彙力や文章力が圧倒的に足りないんでしょうね。あとはそれこそ「経験不足」じゃないですか?
あやの:なあんだ、やっぱり世間知らずのヴァージンってのは正解だったんじゃない。
里穂:別にそこは否定しませんでしたよ。
あやの:そうだったっけ?
里穂:はい。
あやの:すっかり話が逸れちゃったわね。それで?あなたが仕事もせず、しかも家からも出ない理由が、どうして「ヘッドフォン」なの?
里穂:私の仕事の話なんて、興味ないんじゃなかったんですか?
あやの:あなた自身に、ちょっとだけ興味が湧いてきたの。
里穂:……光栄、です。でもそんなに楽しめる話でもありませんよ。
あやの:いいから聞かせて頂戴。楽しいか楽しくないかは私が判断することよ。そういう焦らされ方は、趣味じゃない。
里穂:……私、ヘッドフォン依存症なんです。
あやの:つまり、ヘッドフォンがないと生活できないってこと?
里穂:そうです。
あやの:そう言えばあなた、お風呂に入るとき以外はずっとヘッドフォンをしていたわね。音楽依存症と同じようなもの、ってことでいいのかしら。
里穂:確かにいつも音楽を聴いていないと落ち着かないし、何も手につかないので、もしかしたら音楽依存症の気もあるのかもしれません。でもそれ以上に、ヘッドフォンが私の「ライナスの毛布」なんです。
あやの:ええと、子供がお気に入りの毛布に執着して、いつも持ち歩くってアレで合ってる?
里穂:さすがによくご存じで。イヤフォンじゃ駄目なんです。このヘッドフォンがいいんです。
あやの:でもそのヘッドフォン、随分と古くない?
里穂:中学生の時から使っていますからね。
あやの:つまり、十年以上使っているってわけね。
里穂:あなたが私のヘッドフォンに宿っていることに比べたら、常識的な方だと思います。
あやの:どうかしら。少なくとも私には十二分に面白いけど。でもそうね、それは確かに「ライナスの毛布」ね。
里穂:よくある話ですよ。私、中学に入ってすぐに苛めに遭いまして。苛めのテンプレートは一通り経験した、という自負があります。
あやの:馬鹿ね、そういうのは自負じゃなくて自虐っていうのよ。それにしても……なるほど。つまり、その時のあなたの救いになったのがこのヘッドフォンだったのね。
里穂:そういうことです。これ、姉がくれたんです。少しでも、ひとりで心穏やかに過ごせる時間作れるように、って。
あやの:心のお守り、ってやつね。
里穂:授業中でもヘッドフォンを外さない、外せと言われれば、暴れた挙句授業をボイコットして帰宅してしまうようになった私を、クラスメートはおろか、教師や両親までも気味悪がるようになりました。これがある限り、私はこの世界を生きていける、そう思ったものです。
あやの:良い話じゃない。
里穂:そうですね、確かにここだけ聞けば、良い話かもしれません。
あやの:でも大人になった今は、それのせいで世界に馴染めないでいる。そうよね?
里穂:ヘッドフォンをつけたままで就職活動はできませんからね。でも大丈夫です。今は在宅ライターなんて素敵な仕事があって、そのおかげで、私はヘッドフォンを外すことなく、安心して好きな小説を読み、大好きだけどゴミにしかならない小説を書きながら生きていける、というわけです。
あやの:それじゃああなたは、今の自分の生き方に誇りを持っているのね。
里穂:考えたことはありませんけど、そうなるんでしょうね、きっと。あなたから見たら馬鹿みたいな話でしょうけど。
あやの:ううん、全然?むしろ気に入ったわ。
里穂:え?
あやの:あなたって本当にどうしようもないのね。
里穂:気に入っているとは到底思えない言葉ですけど。
あやの:世間的に見れば、あなたはじゅうぶんどうしようもないと思うわ。でもあなたは、それを理解しながらも、そのどうしようもなさに誇りを持っている。そういうのって、すっごくそそられる。ねえあなた、名前は?
里穂:そういえば、名前を聞かれたこと、ありませんでしたね。
あやの:だってあなたが名乗らなかったから。
里穂:名乗れるほどの者でもないので。
あやの:そう。今日この瞬間まで、私の中のあなたは、特に名を知る必要もないゴーストだった。でも今は違うわ。だから知りたいの、あなたの名前を。
里穂:……佐倉里穂です。
あやの:里穂、って呼んでもいい?
里穂:あ……
あやの:なあに?不服?
里穂:いえ、そういうことでは。あの、それで構いません。ただ……家族以外に下の名前で呼ばれるなんて、今までになかったので。
あやの:恋人は?
里穂:いると思いますか?
あやの:ううん、思えない。いたとも思えない。
里穂:正解です。
あやの:あなた、どうしようもない女だものね。
里穂:そういうことです。で?私はともかく、あなたはどうなんですか?
あやの:私?
里穂:恋人とか、いたんじゃないですか?
あやの:いたわよ。それはもう沢山。星の数ほど。
里穂:沢山!?
あやの:私はね、男だろうが女だろうが、気に入ったものは全部愛する主義なの。全部貪って、時に貪られて、いい顔も醜い顔も見て、そして見せる。本音も嘘もどちらも愛しているし、偽善も露悪も、全部愛してる。良くも悪くも、心が震えた数だけ恋をして、そしてそれらを全て、快楽の吐息と共に文字にしてきたわ。
里穂:でもそれって……
あやの:なに?
里穂:それって結局、誰も愛していなかったってことじゃないですか。
あやの:陳腐な台詞だけど、まあ間違ってはいないわ。私が心底愛しているのは、物語が生まれる瞬間とその後の物語を紡ぐ作業だけ。真実の所在なんて、どうでもいいの。
里穂:あなたにとって他人は、他人の愛は、ネタでしかないんですね。
あやの:さっきからつまらない事ばっかり言うのね。
里穂:……すみません。
あやの:私にとって自分以外の人間は全て「扉」なの。異世界への「扉」。私はそれをこじ開けて、中を覗き見るのが好き。それだけよ。
里穂:果てしなく悪趣味ですけど、それが全てあなたの作品に繋がっているのなら、「扉」側からしたら光栄なことでしょうね。
あやの:さあどうかしら。それなりに恨みも買っていたと思うけど。
里穂:そんなものですか?
あやの:……だから、神は私を罰したのかもしれないわ。
里穂:え?
あやの:私の死因。
里穂:テレビでは「事故」だと言っていましたけど。
あやの:過去に殴り殺されたのよ。
里穂:え?
(あやの、小声で話す)
あやの:本棚から落っこちてきたアルバムが数冊、頭にクリティカルヒットしたの。
里穂:……は?
あやの:当たり所が悪かったのね。なんとも間抜けだけど、我ながら面白い死に方をしたものだわ。
里穂:そ、そんな馬鹿な話ってあります?漫画じゃあるまいし。
あやの:でもあったのよ。こじ開けて中身を食いつぶした残骸を、コレクションの如く取っておいたのが、神の目には傲慢に映ったのかもしれないわね。
里穂:それでもあなたは物語を紡ぐのをやめようとせず、今に至る、というわけですか。
あやの:そういうこと。
里穂:罪深さの極致ですね。
あやの:嫌いになった?
里穂:それこそ陳腐な台詞ですよ。らしくない。
あやの:私だって、己の死におセンチになることくらいあるわよ。
里穂:あなたが死ななければ、私はこうしてあなたと話すこともなかったし、あなたの頭の中を覗くこともなかった。しかもあなたは今、あろうことかこの私の扉をこじ開けて、中身を啜ろうとしているんでしょう?嫌いになるなんてとんでもない。最高の気分です。
あやの:あなた、今堂々と私の死を喜んだわね。
里穂:どうしようもない女なので、そこはあきらめてください。
(あやの、けらけらと笑う)
あやの:本当に可愛くないわね。困ったわ、また書きたいものが増えちゃったじゃない。
里穂:私を使っていくらでも書いてください。時間はまだまだありますから。
(里穂、咳き込む)
あやの:あら、風邪?
里穂:家からほとんど出ないのに、風邪なんかひきようがないですよ。喉が乾燥したんだと思います。
(里穂、呼吸を整える)
里穂:……さ、続きをどうぞ。
あやの:「彼はその大きな両手で私の眼(まなこ)を塞ぎ」、テン、「低い声で言うのです」、マル。鍵括弧、「『ゆっくり十(とお)数えてご覧』」、括弧閉じ。「その両手の温もりがもたらす暗闇が」、テン、「私は一等好きでした」、マル。
【間】
―さらに数日後
(里穂、激しく咳き込む)
あやの:あなたの咳、酷くなる一方じゃない。
里穂:あはは……一体どうしちゃったんでしょうね。
あやの:医者に行きなさいよ。
里穂:嫌です。
あやの:どうして。
里穂:私は、書かなきゃいけないんです。あなたの作品を。
あやの:あなた、馬鹿なの?
里穂:自分でも、明らかにこれはまずそうだな、ってのはなんとなく分かります。でも、だからこそ、時間がもったいないんです。
(少しの間)
あやの:……これは私の仮説なんだけど。
里穂:はい?
あやの:私って、所謂「亡霊」よね。
里穂:そうですね。
あやの:そして、あなたの命綱ともいえるヘッドフォンに取り憑いている。
里穂:ええ。
あやの:私、オカルトは専門外なんだけど、確か霊に取り憑かれると、徐々に衰弱して死ぬんじゃなかった?
里穂:つまり、私のこの体調はあなたのせいだって言いたいんですか?
あやの:あくまでも仮説よ、仮説。
里穂:……あなたって人は、本当に不思議ですね。
あやの:何よ、急に。
里穂:軽薄で自分勝手なくせに、時にひどく優しいから。
あやの:あなたに死なれちゃ困るってだけよ。私には、まだまだ書きたいものがあるんだから。
里穂:そのアンバランスさで人を振り回して、中身を引きずり出して、作品にしてきたんですね。今ならよく分かります。
あやの:言うじゃない。
里穂:あなたも大概、どうしようもない人ですから。
あやの:ええ、そうよ。だからきっと、今の私は悪霊ね。
里穂:その姿は案外おどろおどろしいものかもしれませんね。私、実はオバケの類とか苦手なんです。見えなくて良かった。
(里穂、笑った後さらに激しく咳き込む)
あやの:そうね。それじゃあさっさと病院に
里穂:行きません。
あやの:……
里穂:……私が死んだら、あなたはもうどこにも行けない。このヘッドフォンから出られないまま、私の死体を眺めるだけ。そうですよね?
あやの:それは独占欲?それともくだらない正義感?
里穂:どっちだと思います?
あやの:生意気。
里穂:でも、嫌いじゃないでしょう?
あやの:よく分かってるじゃない。でも残念な気持ちもあるのよ。今のあなたなら、もう少しいい物が書けそうなのに。
里穂:経験値だけは、稼がせてもらいましたからね。……さあ、続きを。急がないと。
あやの:……
里穂:さあ。
あやの:「ある日彼は私の前から姿を消しました」、マル。「彼は」、テン、「その両手を温かく濡らすものが恋の涙だと」、テン、「気付いてしまったのです」、マル。
【間】
―数日後
(机に突っ伏している里穂)
あやの:生きてる?
(里穂、咳き込み、荒い呼吸を繰り返す)
あやの:……生きてるわね。
里穂:あと少し、でしょう?それくらい……頑張りますよ。
あやの:別に休憩してもいいのよ。
里穂:必要ありません。
あやの:頑固ね。
里穂:それ、で?なん……でしたっけ?
あやの:「彼は最後の最後で」、テン、「私の望むものを取り上げたのです」、マル。
(里穂、息を切らしながら入力する)
あやの:……ちっとも分からないわ。
里穂:はい?
あやの:自分の命と引き換えにしてまでやりたいこと?これって。
里穂:ええ。あなたには、理解できないでしょうね。
あやの:私は自分を一番愛しているもの。自分が書きたいものを書かずに、ゴーストのまま命を落とすなんて、絶対にいや。
里穂:だから……なんですかね。
あやの:何が?
里穂:あなたと私を、隔てるモノです。
あやの:隔てるモノ?
(里穂、咳き込みながら話す)
里穂:私は、今はゴーストのままでいい。誰よりも早くあなたの作品に触れることができるから。私の手では到底生み出すことができないような、物語に。でもあなたは……、自分が書きたい世界を書けなければ、生きる意味など無い、そう思っている。ふふ、根本から違うんです。私とあなたは。だから、あなたは私の永遠の崇敬の対象で、私は永遠に芽が出ることのない物書きなんだなぁ、って、今思いました。
あやの:やっぱり独占欲だったのね。
里穂:え?
あやの:私の作品を、私自身を、あなたはこのまま自分だけのものにしたいのよ。そうでしょう?
里穂:軽蔑しますか?そして後悔しますか?気持ちの悪いファンに取り憑いてしまったと。
あやの:いいえ、ちっとも。むしろ納得したわ。
里穂:納得?
あやの:だから私は、あなたのヘッドフォンに閉じ込められたのね。「古賀あやの」という名前を挟んで、一番どうしようもない人間が、同じ一番どうしようもない人間と出会った、それだけの話だったのよ。ひどくシンプルな、ね。
里穂:なるほど……
(里穂、激しく咳き込む)
あやの:この部屋もずいぶん汚くなっちゃったわね。まあ元々そんなにきれいでもなかったけど。血まみれのタオルやらゲロの染み込んだティッシュやらが散らばって。こんな部屋、見たことがないわ。まさに地獄絵図よ。私、綺麗好きだったはずなのに。
里穂:悪い私と、悪いあなたにはぴったり……でしょう?
あやの:本当ね。
(里穂、少しずつ呼吸が浅くなる)
里穂:これ、って、心中、になるんですかね?
あやの:え?
(里穂、小さく笑う)
里穂:いえ……なん、でもありま、せん。……ほら、次で、ラスト、でしょう?早く。
あやの:「彼は人攫(さら)いの魔法使いで」、テン、「私の男でした」、マル。
(里穂、大きなため息をつく)
里穂:ああ……やっぱり素敵だな、あ……
あやの:お疲れ様。ゆっくり休みなさい。
里穂:お先に……失礼しま、す。地獄で、待って、ます……ね……
(里穂、小さく息を吐き、呼吸を止める)
【間】
あやの:ねえ、すごく締まらない話をするわね。私、ヘッドフォンから出られちゃった。結局、私を縛っていたのはあなたの執着だった、ってことよね、これって。大したもんだわ、この私を縛るなんて。本当に気持ち悪い。でも、嫌じゃなかったわ。ここまでグロテスクな中身を見たのは久しぶりだったもの。いいわ、行ってあげる。あなたの待つ地獄に。私が紡ぐあなたの物語は、地獄でしかウケなそうだもの、ちょうどいいわ。あなたは最後の最後にはぐらかしたけれど、心中が男と女のためのものだなんて、誰が決めたの?そういうところよ、あなたのお粗末なところは。だからそうよ、里穂。これは正(まさ)しく、正(ただ)しく、「心中」よ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【幕】