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​​#46「あかへび ―赤楝蛇―」 

(♂2:♀0:不問0)上演時間30~40

※こちらの作品は#45「あかへび ―地潜―」の比率変更版です。

※「赤楝蛇」は「ヤマカガシ」と読みます。


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直純

【直純(なおずみ)】男性

博義の従兄弟で、妻を亡くしたばかり。

 

博義

【博義(ひろよし)】男性

直純の年上の従兄弟で緊縛師。直純の妻の告別式直後に直純を訪ねる。

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―直純の家のリビング

(博義が座っている)

(直純が茶を持ってくる)

博義:別にお茶なんかいいって。

直純:そうもいかないよ。お客様なんだから。

博義:お客様なんて言ったって、俺らは従兄弟同士だろう?

直純:それでも、お客様はお客様だよ。

博義:相変わらず、真面目だな。

直純:今開けたばかりの頂き物のお茶だから、美味しいかは分からないけどね。

博義:そんな細かい味の違いなんか、俺には分からない。

(直純、くすりと笑う)

直純:俺にも分からない。

博義:そうか。

(少しの間)

博義:……このたびは、ご愁傷様でした。

直純:……

博義:えっと、奥さん。沙織さん。

直純:……痛み入ります。

博義:今ので合ってたか?

直純:何が?

博義:こういう時の挨拶。

直純:多分。

博義:あんまりきちんとした場に出ることがないから、正解がよく分からないんだ。

直純:そう。

博義:いい年して、恥ずかしい話だけどな。

直純:そんなことないって。冠婚葬祭の挨拶なんて、俺だってよく分からないよ。そういう場に出向くことが無ければ――当事者になることがなければ。

博義:ご愁傷、さまでした。

直純:ありがとう。

博義:……

直純:それにしても、どうして今ごろ?告別式、さっき終わったばっかりだよ。

博義:知ってる。元々、葬儀に参加するつもりはなかった。

直純:だったら何も今日でなくても。

博義:今日でなきゃ、駄目だったんだ。

直純:そっか。

博義:不審には、思わないのか。

直純:思ってほしいの?

博義:そういうわけじゃないけれど。

直純:ひろ君のことだから、本当に何か大切な意味があるんだろうなと思っただけだよ。

博義:直純。

直純:昔から、君はそうだったから。君にとって大切な意味のあることであれば、それが周りから見たら理解できないようなことでも、絶対に曲げなかった。だから、今日もそうなのかなって。従兄弟の勘ってやつ。

博義:まあ、お前なら理解してくれるとは思っていた。

直純:カマをかけたの?

博義:大人になるとな、どうしても昔と全く同じようにはできないものなんだよ。

直純:そうだね。それは確かにそうかもしれない。

(少しの間)

博義:沙織さん、自殺だって?

直純:どこでそれを?

博義:ひとづてに、とだけ。

直純:まあ人の口に戸は立てられないよね。そう、自殺したんだ。間違いなく自殺。

博義:……

直純:あそこの寝室で、首を括って死んでいたよ。それからすぐのことは、あんまり覚えていないけれど。後始末が大変だった、ってことくらいしか。

博義:つらかったか。

直純:そりゃあ、十数年連れ添っていれば、それなりにね。

博義:そうか。

直純:うん。

博義:直純。

直純:うん?

博義:お前の奥さんは、俺が殺したんだ。

直純:何を

博義:これ。

直純:赤い、紐……

博義:俺がこの赤い紐で、お前の奥さんを、殺して吊ったんだ。

(少しの間)

直純:ふふ。

博義:何がおかしい。

直純:だって、ありえないから。

 

博義:どうして?

 

直純:君がその赤い紐で沙織を殺してしまったのなら、何故凶器であるその紐を、君自身が持っているの?

 

博義:……

 

直純:警察が全て回収するだろう?そういうのは。

 

博義:でも、否定はしないんだな。

 

直純:何を?

 

博義:沙織さんが、赤い紐で死んでいたということを。俺は、首を括ったとしか聞いていない。

直純:……

博義:……

直純:沙織は、自殺だよ。

博義:何故、そう言い切れる。

直純:警察がそう言ったから。それに、ここのところ彼女はずっと、心を病んでいたし。

博義:それだけ?

直純:それ以上の理由が必要かな。

博義:……

直純:でも、そうだね。やっぱり違うのかもしれない。

博義:なにが。

直純:俺が、殺したのかもしれない。

博義:直純?

直純:いいや、俺が殺したんだ。沙織を。あの赤い紐で。

博義:さっきまで自殺だと言い張っていたのに、どうして。

直純:確かに沙織は自殺だったよ。それでもやっぱり、俺が殺したんだ。

博義:……

直純:俺が、殺した。

博義:……

直純:……

博義:直純。

直純:なに。

博義:聞かせてくれないか。どうして、そう思うのか。

直純:君は、聞かせてくれないのかい?

博義:そうだな、今のは少しずるかった。まずは俺が、俺自身の罪を告白すべきだったな。

直純:……

博義:直純。俺は……

直純:……

博義:俺は、お前を縛りたかったんだ。

 

直純:その、赤い紐で?

 

博義:随分と冷静なんだな。

 

直純:……

 

博義:一年前の夏を、覚えているか?

 

直純:法事で、親戚一同集まった時のこと?

 

博義:ああ。ものすごく久しぶりにお前の顔を見た。

 

直純:結婚して以来、そっちにはほとんど帰らなくなっていたからね。

 

博義:そうか。俺も、高校を卒業して今の仕事についてからは、ろくに帰ることもなかったし、それじゃあ本当に偶然だったんだな。

直純:忙しい仕事なんだね。

博義:いいや、他人には理解されづらい仕事ってだけだ。分かっているんだろ。どうせどこかで聞いたはずだ。

直純:……緊縛師っていうんだっけ?君の仕事。確かに、あの田舎の町じゃ、理解はされづらいかもしれないね。

博義:SMクラブやハプニングバーでのショーがメインの収入源だからな。一応アート的な撮影なんかもあるはあるけど、まあどうしたっていかがわしいイメージはつくよな。

直純:そうかもね。

博義:少し、話が逸れてもいいか。

直純:好きにしなよ。俺を急かす人間も、もういないから。

博義:そうか。

(少しの間)

博義:俺が緊縛師になるきっかけの話を、させて欲しい。

直純:……

博義:何年前だったか。とにかく、俺が恋というものを理解して、さらにそこに付随してくる性の衝動を、ただ持て余していた頃だった。

直純:……恋。

博義:好きな奴が、いたんだ。

直純:……それで?

博義:最初は、ただ「好き」で「もっと近くに居たい」という気持ちだけだった。そのはずなのに、段々と別の、何か漠然とした、もっと動物的な欲求を感じ始めていたんだ。

直純:そのくらいの時期だったら、その欲求の正体を仲間内で話し合ったりもしたでしょ。

博義:ああ、むしろ毎日そんな話ばかりだった。けれど、俺にはどうもそれがしっくりこなくてね。

直純:そうか。

博義:あれは、夏の日だった。そう、それはよく覚えている。とにかく暑かった。あの時代にしては、ひどく暑い夏の日だった。俺らの家から十分程度のところに、川があったろ。覚えているか?

直純:もちろん。小さい時はよくあそこで一緒に水遊びをしたっけ。

博義:そう、そこだ。あの河川敷で一冊の……その、雑誌を見つけたんだ。

直純:ああ、そういう類の。

博義:ああ。

直純:そういえば、よく捨てられていたよね。どうしてああいうところって、その手の本がよく捨てられているんだろう。今でも不思議だよ。

博義:そうだな。……とにかく、俺が見つけたそれは、今までに見たもののどれよりもいかがわしかった。

直純:それが、緊縛の?

博義:悪い。こんな仕事をしているから、言葉にするのは抵抗がないはずなのに、お前の前だとどうにも後ろめたくて、歯切れが悪くなる。

直純:どうして?

博義:分かるだろう、もう。

直純:口には出さないでおくよ、まだ。

博義:すまない。

直純:その本が、きっかけだったんだね。

博義:ああ。それは今までに見たもののどれよりもいかがわしかったが、どれよりも俺を惹きつけて放さなかった。俺は河川敷にしゃがみこんで、熱心にその本のページをめくった。手が泥だかなんだかよく分からないものに汚れても、お構いなしに。

直純:……

博義:暑かった。とにかく暑かった。自分の汗と吐息が、酷く匂う気がした。それでも俺は、手を止めなかった。

直純:今なら、説明できるのかい?

博義:何を。

直純:その衝動の正体を。

博義:……単純に、美しいと思ったんだよ。縛られている女たちが。縄が誰かの腕のように、人間の腕には到底出来ないような形で、到底届かないようなところに巻き付いているのは、ただの抱擁よりよほど情熱的な、愛の証明に見えた。

直純:その人の全てを絡め取って、抱きしめているような?

博義:ああ。だから、ただのセックスより神聖に感じた。勿論、そこに性的な興奮が全くないと言ったら嘘になるが、緊縛っていうのは、肉体だけでなく精神のすみずみまでも抱きしめて慈しむ行為なんだと、俺は解釈したんだ。

直純:そうして、君の心も縛られたってことか。

博義:大抵の人間は、それを不健全なものとして、受け入れがたいものとして、顔をしかめるだろう。そんなことは、よく分かっていたよ。特にあそこは閉鎖的な町だったからな。

直純:そうだね。

博義:だから当時の俺は、緊縛への想いを募らせながらも、それを隠し通した。

直純:……

博義:もっとも、理由はそれだけじゃなかったけどな。

 

直純:……

 

博義:ただ、すごく楽にもなったのも事実だった。こういう愛し方も許されるんだ、と。だから、そう、確かに俺もあの日縛られたんだ。そして今も、縛りたいという思いに縛られ続けている。

直純:そう。

博義:お前もだろう、直純。

直純:……どういうこと?

(少しの間)

博義:お前、見ていただろう?

直純:……何を?

博義:俺が、女を縛るのを。

直純:……

博義:目が合ったような気がしたのは、やっぱり錯覚じゃなかったんだな。

(少しの間)

直純:……一度目は、高校生の時だったかな。それこそ君のように、恋に付随する肉体的な何かを持て余していた時期だった。

博義:ああ。

直純:あれも、夏の日だった。蝉の声が酷く五月蠅かったのを覚えているよ。君の家の前を通った。いつもの帰り道だ。でもその時、いつもの蝉の声に混じって、耳慣れない声が聞こえたんだ。

博義:……

直純:垣根越しに見えた君の家の雨戸は――閉まっているように見えた雨戸は、ほんの少しだけ開いていた。

博義:暑かったんだよ、単に。あの頃の俺の家には、エアコンなんてなかったから。

直純:畳が見えた。子供の頃からしょっちゅう遊びに行って、見慣れた畳。その上を、赤い蛇が這っている――最初はそう思った。

 

博義:ああ。

 

直純:本当に僅かしか見えなかったはずなのに、その蛇が俺のクラスメイトの身体に巻き付いていることや、幸せそうに小さく声を漏らす彼女に顔を寄せているのが、その蛇を握りしめているのが君だということは、何故かはっきり分かったんだ。

 

博義:お前の視線に、俺が気付かないわけがなかった。

 

直純:……だから、こちらを見たんだろう?そして、見せつけた。

博義:あれは、言い訳のつもりだったんだ。

直純:言い訳?

博義:「本当は、お前だったんだ」。

直純:俺を縛りたかったんだ、って?

博義:ああ。でも、お前にそれをぶつけるのは、あの時の俺にはまだできなくて。

直純:じゃあなんで彼女と?

博義:彼女の方から俺に告白してきたんだ。「あなたのことならなんでも受け入れる」なんて言うから、試しに縛らせてくれと頼んでみた。一時の気の迷いだったんだと思う。まさか本当に受け入れてもらえるとは思わなかったがな。それで、ああいうことに。まあとにかく、そういう言い訳を全部、お前と目が合ったあの一瞬でした。

直純:俺に縋っていたってこと?

博義:そうだ。

直純:縋りながら、俺にも巻き付けた。その赤い蛇を。

博義:あの時の俺に、そんなつもりは微塵もなかった。

直純:じゃあ、一年前は?

博義:……すまん。

直純:それは、何について?

博義:分からない。

直純:分からないの?

博義:思い当たることがあり過ぎるんだ。

直純:……

博義:あの時と同じ女に――お前の元クラスメイトに誘われるがまま、同じことをしたこと。それをお前がまた見つけるんじゃないかと期待したこと。そして、今度ははっきりとお前に見せつけたこと。

(少しの間)

直純:悔しかったよ。

博義:……そうか。

直純:彼女の心にも、たとえそれが意図的でなかったにせよ、君が縄をかけていたこと。あの夏の日から、俺を避けるようになったこと。それなのに今更また、見せつけてきたこと。全部。全部だ。

博義:ああ。

直純:そして、俺に思い出させたこと。

博義:……そうだな。

直純:あの時俺が感じ、恐れ、見ないようにしていたものを、思い出させたこと。

博義:……すまなかった。

直純:……

博義:俺も、見ないようにしてきた。この蛇とはきっと一生離れられない。なぜならこれは、俺自身だから。でもお前からは、他人であるお前からは離れられる。そう思っていた。

直純:……それで?

博義:でも、だめだった。一年前のあの一瞬。お前の視線を感じた一瞬で、俺は全てを理解した。俺が縛り続けてきた女たちは、絡みついて抱きしめ続けてきた女たちは、みんなお前の顔をしていた。俺が心から縛りたいのは、幼い頃から一緒にいた、同性であるお前だけだった。俺がそれを「恥ずべきもの」として見ないふりをしてきただけだったんだ、と。

直純:……

博義:恥じたところで、何が変わるわけでもないのに、な。

直純:だからって、俺にそれを見せつけていい理由には、ならないよ。

博義:全くだ。

直純:でも、そんなこと、俺が言えた義理でもないね。結局あの一瞬で、俺は戻ってきてしまったんだから。あの夏の日に。……同性である君から愛されることに、ああいう愛され方に、戸惑いながらも惹かれてしまった、あの日に。

(少しの間)

博義:……沙織さんは、俺が殺したんだよ。お前を縛るための、この赤い蛇で。

直純:君は、気付いていたんだね。あの時俺の隣にいた沙織が、俺と君がほんの一瞬だけ交わした視線の意味を、理解してしまったことに。

博義:お前を見つめていれば、どうしたって視界に入るからな、彼女が。

直純:……そう。

博義:あれから、なんだろう。沙織さんが心のバランスを崩し始めたのは。

直純:浮気でも本気でもない。ただの情欲でもない。しかも相手は同性。それなのに、確かに君が俺を縛りたがっていて、俺も君に縛られたがっていた、ということを、どう処理していいか分からなかったんだよ。あれから毎日のように、沙織は俺を疑い、なじり、時には強引に、俺を縛ってみせた。そして決まってその後、涙を流して俺に詫び続けたよ。

博義:詫びた?

直純:「どうしてそんな顔をするの」「どうして私じゃだめなの」「男性であるあなたを受け入れられるのは女性である私のはずなのに」「あなたの欲しいものが与えられない」「こんなに愛しているのに」「あなたはもう二度と、私によって満たされることはない」「ごめんなさい」「ごめんなさい」……って。

博義:やっぱり、俺が殺したんだ。死んでしまえとは、思わなかった。でも、お前を絡め取ってしまったのは、事実だ。そうだろう?

直純:俺の肉体を、心を縛れるのは、自分しかいないと思っていたんだね。

博義:ああ。

直純:傲慢だね。

博義:この手の中の赤い蛇を引けば、その先にいるお前がそれを手繰ってこちらにやってきてくれると、確信していたよ。

直純:傲慢だけど、間違ってはいなかったよ。俺が行動に移さなかっただけ。もしかしたら、あの時衝動に従って、そのまま君のところに飛んでいってしまった方が、沙織にとっては楽だったのかもしれないね。

博義:心置きなく責めることが、できるからな。

直純:うん。

博義:俺が、殺した。

直純:俺も、殺したんだよ。

 

博義:それは

 

直純:俺の心に巻き付く赤い蛇を彼女に見せつけ、そのままそれを巻き付けて、殺したんだ。

 

博義:その蛇は俺自身だ。それにお前は結局、俺のところには来なかった、それが答えだ。

 

直純:全てを捨てる勇気も、責められる覚悟もなかっただけだよ。

 

博義:悔しいな。

 

直純:……愛していたはずなんだ。

 

博義:沙織さんを?

 

直純:だからなおさら、この身に絡みつく赤い蛇が怖かった。強く絡みつく赤い蛇が、いつかそのまま、俺をまっぷたつに引き裂いてしまうんじゃないかって。

 

博義:俺の赤い蛇は、絶対にお前にそんなことはしない。

 

直純:……ものの喩えだよ。

 

博義:そうか。

 

(少しの間)

博義:「愛していた」んだな。

 

直純:ああ。

博義:過去形で、いいんだな。

 

直純:だって沙織は、死んでしまったから。死人は、過去にしかならない。

 

博義:俺たちで、殺した。

 

直純:そうだよ。

 

(博義、微笑む)

 

博義:俺たちは、罪人だな。

 

直純:でも、それを知る人間は、俺たちだけだよ。

 

博義:もう一度聞く。

 

直純:……

 

博義:過去形で、いいんだな。

 

直純:さっきから、ずるい言い方ばかりだね。

 

博義:……すまない。

 

直純:君はいつもどこか遠くを見ているくせに、目の前に俺がいる時は、まっすぐに俺を見てくれた。骨まで透かすんじゃないかってくらいに。

 

博義:……

 

直純:できることはなんでもしてくれた優しかったはずの、憧れ続けた年上の従兄弟が、こんなにもずるい人だとは、思わなかったよ。

 

博義:畳を這いずりながら、ずっとお前の様子を窺っていた、いやらしい赤蛇だからな、俺は。

 

直純:そうだね。

 

博義:この期に及んで罪を重ねても、許されるのか。

 

直純:俺達しか、知らないことだからね。

 

博義:お前を、今度こそ縛っても、いいのか。

 

直純:もうやめてくれ。

 

博義:……

 

直純:もう、じゅうぶんだよ。

 

博義:直純。

 

直純:これ以上俺に許可を、求めないでよ。

 

博義:すまない。俺は責任を持って、お前を解放しなければいけないのにな。

 

直純:……俺を、縛って欲しい。今度こそ、本当に。

博義:ああ。お前を、縛らせて欲しい。今度こそ、本当に。

 

【間】

 

(直純、小さく息を吐く)

 

博義:きつくないか?

直純:思っていたよりも、不自由だね。やっぱり。

博義:そうだな。

直純:でも、なんだか楽になったよ。

博義:ああ。

直純:この縄は、確かに君の手の延長なんだ、ってのが分かるんだ。だから、不自由だけどきつくない。

博義:お前につらい思いをさせたいわけじゃないからな。

直純:……彼女が。

博義:ん?

直純:クラスメイトだった彼女が、今になってもこれを忘れられなかった理由が、よく分かったよ。

博義:……そうか。

直純:縄をうたれる時、妙に安心したんだ。縄を通して、確かに君に愛を囁かれたと思った。でもそれは、恋愛のそれとも、肉親のそれとも違う、もっとシンプルで、透き通ったものに感じられた。だから俺も彼女も、大人しくその身を君に委ねることができるんだ。そんな経験、忘れられるはずがないんだよ。

博義:お前が俺にその身を委ねてくれたのは、この縄を通してちゃんと伝わった。……嬉しかったよ。

直純:なんだか、赤ん坊に戻ったみたいな気分だ。

博義:赤ん坊?

直純:だって、ここまで身も心もすっかりと誰かに委ねるなんて、そんなのって赤ん坊の時くらいじゃないかな。

博義:そうかもしれないな。

直純:だからなんだか、俺は泣きたいよ。悲しいわけじゃないのに、変だよね。

博義:泣いてもいい。

直純:……

博義:俺がお前を縛りたかったのは、勿論お前が好きだったからだ。だけど一番は、こうして縄をうつことでしか見られないであろうお前の顔が、見たかったんだよ。

直純:……

博義:あの夏の日に河川敷で見た雑誌の女たちのような顔が、見たかった。

直純:……

博義:俺に全てを委ねて、満足して、安心して、緩んだ末に零れる表情が、見たかった。

直純:……やっぱり

博義:ん?

直純:逃げられるはずがなかったんだ。この赤い蛇からは。

博義:逃がすつもりも、なかったさ。

直純:沙織が死んで、良かったと思っている?

博義:そうは思わない。それでも、俺はこうして、今日お前に縄をうつために来た。だから本当は罪を告白するのなんか、どうでも良かったのかもしれないな。

直純:知ってた。

博義:知っていて、招き入れたのか。

直純:意地の悪いことを。

博義:すまん。正直言うと、今俺はすごく……有頂天なんだ。やっとお前を俺の腕で、この赤い紐で抱きしめることができたから。

直純:これって、なんて呼ぶんだろうね。

博義:これ?

直純:俺たちの間に流れるものの正体さ。

博義:さあ。俺にも分からない。でも。

直純:でも?

博義:今はもう、話すのをやめよう。

直純:……そうだね。今は必要のない事だった。

博義:赤ん坊は、泣いて居ればいい。過去も未来も考えずに、知らずに、ただ泣いて居ればいい。

(直純、ほうと息を吐く)

博義:直純。お前はとても、美しいよ。


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【幕】

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