#45「あかへび ―地潜―」
(♂1:♀1:不問0)上演時間30~40分
※「地潜」は「じむぐり」と読みます。
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純佳
【純佳(すみか)】女性
義正の年上の従姉弟で、夫を亡くしたばかり。
義正
【義正(よしまさ)】男性
純佳の従姉弟で緊縛師。純佳の夫の告別式直後に純佳を訪ねる。
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―純佳の家のリビング
(義正が座っている)
(純佳が茶を持ってくる)
義正:別にお茶なんていいのに。
純佳:そうもいかないでしょ。お客様なんだから。
義正:お客様なんて言っても、僕らは従姉弟同士だよ。
純佳:それでも、お客様はお客様よ。
義正:まあ、そうかもしれないけれど。
純佳:今開けたばかりの頂き物のお茶だから、美味しいかは分からないけど。
義正:そんな細かい味の違いなんか、僕には分からないよ。
(純佳、くすりと笑う)
純佳:私にも分からないわ。
義正:そう。
(少しの間)
義正:……このたびは、ご愁傷様でした。
純佳:……
義正:えっと、旦那さん。達也さん。
純佳:……痛み入ります。
義正:今ので合ってた?
純佳:何が?
義正:こういう時の挨拶。
純佳:多分。
義正:あんまりきちんとした場に出ることがないものだから、正解が、よく分からなくて。
純佳:そう。
義正:いい年して、恥ずかしいけれど。
純佳:そんなこと。冠婚葬祭の挨拶なんて、私だってよく分からないわよ。そういう場に出向くことが無ければ――当事者になることがなければ。
義正:ご愁傷、さまでした。
純佳:ありがとう。
義正:……
純佳:それにしても、どうして今ごろ?告別式、さっき終わったばっかりよ。
義正:知ってる。でも、葬儀に参加するつもりはなかったから。
純佳:だったら何も今日でなくても。
義正:今日でなくちゃ、ならなかったんだ。
純佳:……そう。
義正:不審には、思わないんだね。
純佳:思ってほしいの?
義正:そういうわけじゃないけれど。
純佳:義正君のことだから、本当に何か大切な意味があるんだろうなと思っただけよ。
義正:純佳ちゃん。
純佳:昔から、そうだったもの。あなたは。あなたにとって大切な意味のあることであれば、それが周りから見たら理解できないことでも、絶対に曲げなかった。だから、今日もそうなのかなって。従姉弟の勘っていうのかしらね。
義正:君なら理解してくれるとは、思っていたよ。
純佳:あら、カマをかけたの?
義正:大人になると、どうも昔と全く同じようにはできなくて。
純佳:そうね。それは確かにそう。
(少しの間)
義正:達也さん、自殺だって?
純佳:どこでそれを?
義正:ひとづてに、とだけ。
純佳:まあ人の口に戸は立てられないものね。そう、自殺。間違いなく自殺だろう、と。
義正:……
純佳:あそこの寝室で、首を括(くく)って死んでいたの。それからすぐのことは、あんまり覚えていないけれど。後始末が、とても大変だったってことくらいしか。
義正:悲しかった?
純佳:そりゃあ、十数年連れ添っていれば、ね。
義正:そうか。
純佳:ええ。
義正:純佳ちゃん。
純佳;なに?
義正:君の旦那さんは、僕が殺したんだ。
純佳:え?
義正:これ。
純佳:赤い、紐……
義正:僕が、この赤い紐で、君の旦那さんを、殺して吊ったんだ。
(少しの間)
純佳:ふふ。
義正:どうして笑うの。
純佳:だって、そんなはずないじゃない。
義正:なぜ?
純佳:義正君がその赤い紐で達也さんを殺してしまったのなら、何故凶器であるその紐を、あなた自身が持っているの?
義正:……
純佳:警察が全て回収するでしょう?そういうのは。
義正:でも
純佳:……
義正:でも、否定はしないんだね。
純佳:何を?
義正:達也さんが、赤い紐で死んでいたということを。僕は、首を括ったとしか聞いていないのに。
純佳:……
義正:……
純佳:達也さんは、自殺よ。
義正:どうしてそう言い切れるの。
純佳:警察がそう言ったもの。それに、ここのところ彼はずっと、心を病んでいたから。
義正:それだけ?
純佳:それ以上の理由が必要?
義正:……
純佳:でも、そうね。やっぱり違うのかもしれない。
義正:なにが。
純佳:私が、殺してしまったんだわ。
義正:え。
純佳:私が殺したのよ。私の夫を。あの赤い紐で。
義正:さっきまでは自殺って言い張っていたじゃないか。
純佳:確かに達也さんは自殺よ。でもやっぱり、私が殺したのだと思うわ。
義正:……
純佳:そう。私が、殺したの。
義正:……
純佳:……
義正:純佳ちゃん。
純佳:なあに。
義正:聞かせてくれないか。どうして、そう思うのか。
純佳:義正君は、聞かせてくれないの?
義正:そうだね、今のは少しずるかった。まずは僕が僕自身の罪を告白すべきだね。
純佳:……
義正:僕は――純佳ちゃん、僕はね……
純佳:……
義正:僕は、君を縛りたかったんだ。
純佳:その、赤い紐で?
義正:随分と冷静だね。
純佳:……
義正:一年前の夏を、覚えているかい?
純佳:法事で、親戚一同集まった時ね。
義正:ああ。ものすごく久しぶりに君の顔を見た。
純佳:結婚して以来、そっちにはほとんど帰らなくなっていたから。
義正:そうか。僕も高校を卒業して今の仕事についてからは、ろくに帰ることもなかったから、本当に偶然だったんだね。
純佳:忙しい仕事なのね。
義正:いいや、他人には理解されづらい仕事ってだけさ。分かっているくせに。どうせどこかで聞いているでしょう?
純佳:……緊縛師っていうんだっけ?義正君のお仕事。確かにあの田舎の町じゃ、ちょっと理解はされづらいかもしれないわね。
義正:主な収入源がSMクラブやハプニングバーでのショーだからね。一応アート的な撮影なんかもあるにはあるんだけど、どうしてもいかがわしいイメージはつくよ。
純佳:そうかもね。
義正:少し、話が逸れても、いいかな。
純佳:どうぞ。私を急かす人も、もういないから。
義正:ありがとう。
(少しの間)
義正:僕が緊縛師になるきっかけの話を、させて欲しい。
純佳:……
義正:何年前だったかな。とにかく、僕が恋というものを理解しながらも、そこに付随してくる性的な衝動に関しては、あまりにも無知だった頃の話だ。
純佳:……恋。
義正:好きな子が、いたんだ。
純佳:……それで?
義正:最初は、ただ「好き」で「もっと近くに居たい」という気持ちだけだった。それなのに、段々と別の、何か漠然とした、もっと動物的な欲求を感じ始めていたんだ。
純佳:男の子同士なら、そういう話もしたんじゃない?
義正:ああ、むしろ毎日そんな話ばかりだったよ。けれど、僕にはどうもそれがしっくりこなくて。
純佳:そう。
義正:あれは、夏の日だった。そう、それはよく覚えてる。とにかく暑かった。あの時代にしては、ひどく暑い夏の日だった。ほら、僕らの家から十分程度のところに川があったろ。覚えているかい?
純佳:もちろん。小さい時はよくあそこで水遊びをしたじゃない。
義正:そう、そこ。あの河川敷でね。一冊の……その、いかがわしい雑誌を見つけたんだ。
純佳:そういえば、よく捨てられていたっけ。どうしてああいうところって、その手の本がよく捨てられているのかしら。
義正:さあね。とにかく、僕が見つけたそれは、今までに見たもののどれよりもいかがわしかった。
純佳:それが、緊縛の?
義正:はっきりしなくてごめん。こんな仕事をしているから、言葉にするのは抵抗がないはずなのに、君の前だとどうにも後ろめたくて。
純佳:どうして?
義正:分かるだろう。君なら、もう。
純佳:口には、出さないでおくわ。まだ。
義正:ありがとう。
純佳:その本が、きっかけだったの?
義正:ああ。それは今までに見たもののどれよりもいかがわしかったけれど、どれよりも僕を惹きつけて放さなかった。僕は河川敷にしゃがみこんで、熱心にその本のページをめくった。手が泥だかなんだかよく分からないものに汚れても、お構いなしに。
純佳:……
義正:暑かった。とにかく暑かった。自分の汗と吐息が、酷く匂う気がしたよ。それでも僕が手を止めることは、なかったけれど。
純佳:今なら、説明できる?
義正:何を。
純佳:その衝動の正体。
義正:……単純に、美しいと思ったんだよ。縛られている女たちが。縄が誰かの腕のように、人間の腕では到底出来ないような形で、到底届かないようなところに巻き付いているのは、ただの抱擁よりよほど情熱的な、愛の証明に見えた。
純佳:その人の全てを絡め取って、抱きしめているような?
義正:そう。だから、ただのセックスより神聖に感じた。勿論、そこに性的な興奮が全くないかと言ったら嘘になるんだけど、緊縛っていうのは、肉体だけでなく精神のすみずみまでも抱きしめて慈しむ行為なんだと、僕は解釈したんだ。
純佳:そうして、あなたの心も縛られたのね。
義正:大抵の人間は、それを不健全なものとして、受け入れがたいものとして、顔をしかめるだろう。そんなことは、よく分かっていたよ。特にあそこは閉鎖的な町だったから。
純佳:そうね。
義正:だから当時の僕は、緊縛への想いを募らせながらも、それを表に出すことは、決してなかった。
純佳:……
義正:嫌われたく、なかったからね。
純佳:義正くん
義正:でも、すごく楽にもなったんだよ。こういう愛し方も許されるんだ、って。だから、そうだね、確かに僕もあの日縛られたんだ。そして今も、縛りたいという思いに縛られ続けている。
純佳:そう。
義正:でも、君もでしょう、純佳ちゃん。
純佳:……どういうこと?
(少しの間)
義正:君、見ていただろう?
純佳:……何を?
義正:僕が、女を縛るのを。
純佳:……
義正:やっぱり。目が合ったような気がしたのは、錯覚じゃなかったんだ。
(少しの間)
純佳:……一度目は、高校生の時だったわ。それこそ、義正君のように、恋に付随する肉体的な何かを持て余していた時期だった。
義正:うん。
純佳:あれも、夏の日だったわね、そういえば。蝉の声が酷く五月蠅かったのを覚えてる。あなたの家の前を通ったの。いつもの帰り道よ。でもその時、蝉の声に混じって、耳慣れない声が聞こえたわ。
義正:……
純佳:垣根越しに見えたあなたの家の雨戸は――閉まっているように見えた雨戸は、ほんの少しだけ開いていた。
義正:暑かったんだよ、単に。あの頃の僕の家には、エアコンなんてなかったから。
純佳:畳が見えたわ。見慣れた畳。子供の頃からいつも一緒に遊んだ畳。その上を、赤い蛇が這っている――最初はそう思ったわ。
義正:うん。
純佳:本当に僅かしか見えなかったはずなのに、その蛇が私のクラスメイトの身体に巻き付いていることや、幸せそうに小さく声を漏らす彼女に顔を寄せているのが、その蛇を握りしめているのがあなただということは、何故かはっきりと分かったの。
義正:君の視線に、僕が気付かないわけがなかった。
純佳:……だから、こちらを見たのでしょう。そして、見せつけた。
義正:あれはね、言い訳をしたかったんだ。
純佳:言い訳?
義正:「本当は、君だったんだ」って。
純佳:私を縛りたかったんだ、って?
義正:ああ。でも、君にそれをぶつけるのは、あの時の僕にはまだできなくて。
純佳:それじゃあなんで、彼女と?
義正:彼女――先輩の方から僕に告白してきたんだよ。「あなたのことならなんでも受け入れる」なんて言うから、試しに縛らせてくれと頼んでみた。一時の気の迷いだったんだと思う。まさか本当に受け入れてもらえるとは思わなかったけどね。とにかく、そういう言い訳を全部、君と目が合ったと思ったあの一瞬でしたよ。
純佳:あれは、私に縋っていたのね。
義正:そうなるかな。
純佳:縋りながら、私にも巻き付けた。その、赤い蛇を。
義正:あの時の僕に、そんなつもりは微塵もなかったよ。
純佳:じゃあ、一年前は?
義正:……ごめん。
純佳:それは、何に対しての「ごめん」?
義正:なんだろう。
純佳:分からないの?
義正:いいや、思い当たることがあり過ぎて、さ。
純佳:……
義正:あの時と同じ女性に――君の元クラスメイトに誘われるがまま、同じことをしたこと。それをまた君が見つけるんじゃないかと期待したこと。そして、今度ははっきりと君に見せつけたこと。
(少しの間)
純佳:悔しかったわ。
義正:……
純佳:あの子の心にも、たとえそれが意図的でなかったとしても、あなたが縄をかけていたこと。あの夏の日の後、いつまで経っても私との距離を詰めてくれなかったこと。むしろ避けているようなところさえあったこと。それなのに今更また、見せつけてきたこと。全部が、悔しかったわ。
義正:うん。
純佳:そして、私に思い出させたこと。
義正:……うん。
純佳:あの時私が感じ、恐れ、見ないようにしていたものを、思い出させたこと。
義正:……ごめん。
純佳:……
義正:僕も、見ないようにしてきたんだ。この蛇とはきっと一生離れられない。だってこれは、僕自身だから。でも君からは、他人である君からは離れられる。そう思っていた。
純佳:……それで?
義正:でも、だめだった。一年前のあの一瞬。君の視線を感じた一瞬で、僕は全てを理解したんだ。僕が縛り続けてきた女たちは、絡みついて抱きしめ続けた女たちは、みんな君の顔をしていた。僕が心から縛りたいのは、幼い時から憧れ続けた君しかいなかった。憧れ続けて、憧れ過ぎたが故に、僕がそれを「後ろめたいもの」として見ないようにしてきただけだったんだ、と。
純佳:……
義正:罪悪感を感じたところで、何が変わるわけでもないのにね。
純佳:だからって、私にそれを見せつけていい理由には、ならないわ。
義正:返す言葉もないよ。
純佳:でも、そんなこと、私が言えた義理でもないわね。結局あの一瞬で、私は戻ってきてしまったのだもの。あの夏の日に。……あなたからああいう愛され方をすることに、戸惑いながらも惹かれてしまった、あの日に。
(少しの間)
義正:……だから達也さんは、僕が殺したんだよ。君を縛るための、この赤い蛇で。
純佳:義正くん、あなた気付いていたのね。あの時私の隣にいたあの人が、私とあなたがほんの一瞬だけ交わした視線の意味を、理解してしまったことに。
義正:君を見つめていれば、どうしたって視界に入るからね、彼が。
純佳:……そう。
義正:あれから、なんだろう。達也さんが心のバランスを崩し始めたのは。
純佳:浮気でも本気でもない。ただの情欲でもない。けれど確かにあなたが私を縛りたがっていて、私もあなたに縛られたがっていた、ということを、どう処理していいか分からなかったんでしょうね。あれから毎日のように、達也さんは私を疑い、なじり、時に強引に私を縛ってみせた。そして決まってその後、涙を流して私に詫び続けたわ。
義正:詫びた?
純佳:「どうしてそんな顔をするんだ」「どうして俺じゃだめなんだ」「俺は君に応えることができない」「君が欲しいものを与えられない」「こんなに愛しているのに」「君はもう二度と、俺によって満たされることはないんだ」「すまない」「すまない」……って。
義正:やっぱり、僕が達也さんを殺したんだよ。死んでしまえとは、思わなかった。でも、君を絡め取ってしまったのは、事実だ。そうだろう?
純佳:私の肉体を、心を縛れるのは、自分しかいないと思っているのね。
義正:ああ。
純佳:義正くんが、そんなにも傲慢なことを言うなんてね。
義正:この手の中の赤い蛇を引けば、その先にいる君がそれを手繰ってこちらにやってきてくれると、確信していたよ。
純佳:傲慢だけど、間違ってはいなかったわ。行動に移さなかっただけ。もしかしたら、あの時衝動に従って、そのままあなたのところに飛んでいってしまった方が、達也さんにとっては楽だったのかもしれないわね。
義正:心置きなく責めることが、できるからね。
純佳:ええ。
義正:僕が、殺した。
純佳:私も、殺したのよ。
義正:それは
純佳:私の心に巻き付く赤い蛇を彼に見せつけ、そのままそれを巻き付けて、殺したのよ。
義正:その蛇は僕自身だ。それに君は結局、僕のところには来なかった、それが答えだ。
純佳:全てを捨てる勇気も、責められる覚悟もなかっただけよ。
義正:少し……いや、とても悔しいよ。
純佳:……愛していたはずなのよ。
義正:達也さんを?
純佳:だからなおさら、この身に絡みつく赤い蛇が恐ろしかった。強く絡みつく赤い蛇が、いつかそのまま、私をまっぷたつに引き裂いてしまうんじゃないかって。
義正:僕の赤い蛇は、絶対に君にそんなことはしない。
純佳:……ものの喩えよ。
義正:……そうか。
純佳:ええ。
(少しの間)
義正:「愛していた」んだね。
純佳:ええ。
義正:過去形で、いいんだね。
純佳:だってあの人は、死んでしまったもの。死人は、過去にしかならないでしょ。
義正:僕らが、殺してしまった。
純佳:そうよ。
(義正、微笑む)
義正:僕らは、罪人だ。
純佳:でも、それを知る人間は、私たちだけよ。
義正:もう一度聞くよ。
純佳:……
義正:過去形で、いいんだね。
純佳:さっきから、酷くずるい言い方をするのね。
義正:ごめん。
純佳:あなたはいつもどこか遠くを見つめていて、私が手を引かないと危なっかしくて仕方なかった。どこを見ているか分からないくせに、私が困った時にはすぐに私の前に立って手を差し伸べてくれていた。骨まで透かすんじゃないか、ってくらいに、こちらを見つめながら。
義正:……
純佳:そんな優しいあなたが、こんなにもずるい人だったなんて。
義正:だって僕は、畳を這いずりながら、ずっと君の様子を窺っていた、いやらしい赤蛇だから。
純佳:そうね。
義正:この期に及んで罪を重ねても、いいかな。
純佳:私たちしか、知らないことだもの。
義正:君を、今度こそ縛っても、いいかな。
純佳:もうやめて。
義正:……
純佳:もう、やめて。
義正:純佳ちゃん。
純佳:これ以上私に、許可を求めないで。
義正:ごめん。そうだよね。ごめん。僕は責任を持って、君を解放しなければいけないのに。
純佳:義正くん。
義正:うん。
純佳:私を、縛って。今度こそ、本当に。
義正:ああ。君を、縛らせて欲しい。今度こそ、本当に。
【間】
(純佳、小さく息を吐く)
義正:きつくないかい?
純佳:ひどく、不自由ね。やっぱり。
義正:そうだね。
純佳:でも、なんだかとても楽だわ。
義正:うん。
純佳:この縄は、確かにあなたの手の延長なんだ、って分かるの。だから、不自由だけど、ちっともきつくない。
義正:君につらい思いをさせたいわけじゃないからね。
純佳:……彼女が。
義正:ん?
純佳:彼女が、今になってもこれを忘れられなかった理由が、よく分かったわ。
義正:……そうか。
純佳:縄をうたれる時、妙に安心したの。縄を通して、確かにあなたに愛を囁かれたと思った。男女の愛とも、肉親の愛とも違う、もっとシンプルで、透き通った愛。だから私も彼女も、大人しくその身をあなたに委ねることができる。そんな経験、忘れられるはずがないのよ。
義正:君が僕にその身を委ねてくれたのは、この縄を通してちゃんと伝わった。……嬉しかったよ。
純佳:なんだか、赤ちゃんに戻ったみたい。
義正:うん。
純佳:だって、ここまで身も心もすっかりと誰かに委ねるなんて、そんなの赤ちゃんの時くらいでしょう?
義正:そうかもしれないね。
純佳:だからなんだか、泣きたくなるの。悲しいわけじゃないのに、変よね。
義正:泣いてもいいよ。
純佳:……
義正:僕が君を縛りたかったのは、勿論君が好きだったから、っていうのもあるんだけど、一番はね、こうして縄をうつことでしか見られないであろう君の顔が、見たかったんだよ。
純佳:……
義正:あの夏の日に河川敷で見た雑誌の女たちのような顔が、見たかった。
純佳:……
義正:僕に全てを委ねて、満足して、安心して、緩んだ末に零れる表情が、見たかった。
純佳:……やっぱり
義正:ん?
純佳:逃げられるはずがなかったのよ。この赤い蛇からは。
義正:逃がすつもりも、なかったよ。
純佳:達也さんが死んで、良かったと思っている?
義正:そうは思わない。それでも、僕は今日こうして、君に縄をうつために来た。だから本当は罪を告白するのなんか、どうでも良かったのかもしれない。
純佳:知っていたわ。
義正:知っていて、招き入れたの?
純佳:意地悪ね。
義正:ごめん。正直言うと、今僕はすごく……有頂天なんだ。やっと……やっと君を僕の腕で、この赤い紐で抱きしめることができたから。
純佳:これって、なんて呼ぶのかしら。
義正:これ?
純佳:私たちの間に流れるものの正体。
義正:さあ。僕にも分からないよ。でも。
純佳:でも?
義正:今はもう話すのをやめよう。
純佳:……そうね。今は必要のない事ね。
義正:赤ん坊は、泣いて居ればいい。過去も未来も考えずに、知らずに、ただ泣いて居ればいい。
(純佳、ほうと息を吐く)
義正:純佳ちゃん。君はとても、美しいよ。
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【幕】