top of page

​​#60「Through」 

(♂1:♀1:不問0)上演時間30~40


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【桂木詩(かつらぎうた)】女性

眼鏡をかけた女性。

「らいら」の名前で「テイル・ハンター」というオンラインゲームをしており、直と知り合う。

直に誘われ、初めてオフラインで会うことに。

 

【園田直(そのだすなお)】男性

「ちょく」の名前で「テイル・ハンター」というオンラインゲームをしており、

そこで知り合った「らいら」という女性に惹かれ、オフラインでのデートに誘う。

 

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―都内某所。

 

直:「らいら」、さん?

 

詩:はい。

 

直:はじめまして。俺、「ちょく」です。

 

詩:あ、あの、はじめまして。「らいら」です。

 

(少しの間)

(ぷっと吹き出し笑う直)

 

直:「らいら」さんってそんなキャラだったっけ?

 

詩:え?

 

直:一緒にゲームしてる時だといつもタメ口じゃん?もっとこう、口調もラフだしさ。

 

詩:オンとオフが違うことって、結構ある、と思いますけど。

 

直:あぁ、まあ……そうだけど……

 

詩:……

 

直:……

 

詩:「こんなはずじゃなかった」ですか?

 

直:いや別にそういうわけじゃ

 

詩:イメージと違ったなら、もう帰ります。お互い時間の無駄ですし。

 

直:いや、待ってよ。

 

詩:なんですか?

 

直:いや、せっかくこうしてオフで会ったんだしさ、ちゃんとデート、しようよ。

 

詩:……

 

直:こんなはずじゃなかった、とは思ってないよ。

 

詩:でも

 

直:俺、確かに「らいら」さんのことオンラインでしか知らなくて、だからその、そりゃ少し驚きはしたけどさ。でも、そういう部分も含めて、君のことをもっとよく知りたいって思ったから、こうしてオフでのデートに誘ったつもり。

 

詩:そう、ですか。

 

直:言ったでしょ?「『らいら』さんのこと、正直女性としていいなって思ってるから、らいらさんが構わなければ、一度会ってもらえませんか?」って。

 

詩:……

 

直:だから、「らいら」さんがもしまだ、「こんなはずじゃなかった」と思っていないなら……もう一度考えてみてよ。俺とのデート。

 

詩:……それなら

 

直:ん?

 

詩:「ちょく」さんのおうち、お邪魔してもいいですか?

 

直:え?

 

詩:だめですか?

 

直:いや、だめってことはないけど……

 

詩:じゃあ決まりですね。

 

直:待って待って。

 

詩:なんですか?

 

直:その……危機感とかないわけ?

 

詩:危機感?

 

直:俺も君も大人同士で、俺は少なからず君に好意を持っているわけ。だからその、いや、そのつもりはないけど、万が一にも、ね?

 

詩:ああ、そういうことですか。

 

直:……そういうこと。

 

詩:構いませんよ。

 

直:え。

 

詩:そうしたくなったなら、どうぞ。

 

直:えっと……

 

詩:これで問題はなくなりましたね。じゃあ、行きましょう。

 

直:待ってよ。

 

詩:まだなにか?

 

直:いや、なにも、ない、です。

 

詩:じゃあ、お願いします。

 

直:あ、はい。こちらこそ、お願いします。

 

【間】

 

―直の家

 

詩:お邪魔しま……す。

 

直:えっと……

 

詩:……

 

直:ごめん、まさかこんな展開になるとは思わなくて、部屋、片づけてなかったんだ。

 

詩:すごい。

 

直:引いた?

 

詩:いえ、これはいい意味での「すごい」です。

 

直:そっか。

 

詩:これ、「ちょく」さんが?

 

直:うん。

 

詩:こういうの、なんて言うんでしたっけ?

 

直:テラリウム。

 

詩:テラ、リウム。

 

直:そう。こういう透明なガラス容器の中で、植物を育てたりすることを、そういうんだ。地球を表す「テラ」と、場所を意味する「アリウム」で、「テラリウム」。俺のは苔がメインだから、「コケリウム」なんて呼んだりもするけど。

 

詩:コケリウム、ですか。

 

直:うん。

 

詩:私は、テラリウムって名前の方が好きです。

 

直:うん、俺も。

 

詩:ガラスの内側の、小さな生きた世界って感じがします。

 

直:うん。

 

詩:でも、すごい数ですね。

 

直:なんとなくで始めてみたんだけど、すっかりハマっちゃって、今じゃこの有様。生活するスペースがほとんどないから、すぐ散らかっちゃうんだよね。

 

詩:この、ぶら下がっている試験管みたいなのも?

 

直:そう、テラリウム。

 

詩:……かわいい。

 

直:苔は土と程よい日光さえあれば、あとは湿度管理だけ気を付ければ生きていけるから、こんな風に飾ったりもできるんだ。

 

詩:へえ。

 

直:座るとこ、そこのソファしかないけど、座ってて。お茶、淹れるよ。

 

詩:ありがとうございます。

 

(座る気配のない詩)

 

直:座らないの?

 

詩:もう少し、こうして眺めていてもいいですか?

 

直:それは別にいいけど……。

 

(少しの間)

 

直:「らいら」さんってさ、眼鏡なんだね。

 

詩:え?

 

直:あ、いや、アイコンのイラスト、眼鏡かけてなかったし、普段の会話でも目が悪いような話って出なかったから。

 

詩:……アイコンと本人が別のことなんて

 

直:まあよくある話だけどさ。それに、視力の話なんてわざわざすることもない。でしょ?

 

詩:はい。

 

直:ごめん、聞きたかっただけ。

 

詩:……

 

直:……綺麗、だったから。

 

詩:え?

 

直:眼鏡のガラスに、テラリウムが少し映りこんで、さ。

 

詩:……

 

直:ごめん。ほら俺、もともとのスタートが「らいら」さんへの好意だから、なんでも良く見えちゃってるんだ。

 

詩:いえ、別に怒っているわけじゃないです。眼鏡でいて褒められたことなんか、なかったので、驚いちゃって。

 

直:そうなの?眼鏡の女の子が好きな人って、結構いない?

 

詩:そういうのは、可愛い女の子の場合だけです。

 

直:「眼鏡をはずしたら意外と美人」みたいな?

 

詩:そう。でもそれって漫画やアニメのなかだけの世界ですよね。実際は、可愛い子は眼鏡をかけていてもちゃんと可愛いんですよ。で、みんなそういう眼鏡の子が好きなんです。

 

直:身も蓋もないな。

 

詩:でも、そんなものだと思います。

 

直:そっか。

 

詩:……

 

直:お茶、お待たせ。

 

詩:ありがとうございます。

 

直:さすがに立ち飲みもどうかと思うから、座ろうよ。

 

詩:はい。

 

(二人、ソファに座る)

 

直:「らいら」さんの話、聞いてもいい?

 

詩:私の?

 

直:うん、俺、自分の事ばっかり話しちゃってるでしょ?だから、今度は「らいら」さんの番。

 

詩:……

 

直:ああ、いや、話したくなければいいんだけど。

 

詩:「テイル・ハンター」、結構オンラインで遊んでいるんですか?

 

直:昔は、そうだったかな。

 

詩:昔は?

 

直:今は「らいら」さんと二人で遊んでばっかりだから、他の人とはほとんど遊ばなくなったんだ。そろそろ昔のフレンドも俺のこと忘れてるんじゃないかな。

 

詩:そうですか。

 

直:ああごめん、また俺の話ばっかり。

 

詩:ごめんなさい。

 

直:謝らないでよ。俺が話振るのへたくそなだけだから。

 

詩:……

 

直:俺のテラリウムを気に入ってくれてるっぽいのが分かったから、まあ今はそれでいいよ。

 

詩:テラリウム、もう少し、見ていてもいいですか?

 

直:うん、気が済むまで見てて。

 

【間】

 

詩:あの。

 

直:ん?

 

詩:さっきの……私の眼鏡の話なんですけど。

 

直:うん。

 

詩:これ、変装なんです。

 

直:変装?

 

詩:殺人犯なんです。

 

直:え?

 

詩:人を殺したんです、私。

 

直:……冗談

 

詩:昨夜、「らいら」を殺してきました。

 

直:……

 

詩:ここにいる私は、「らいら」のふりをした別人です。

 

直:ま、待って

 

詩:殺したんです、「らいら」を。

 

直:……

 

詩:ごめんなさい。

 

直:なんで、謝るの?

 

詩:え?

 

直:いや、なんで俺に謝るのかなって、思って。

 

詩:「ちょく」さんの気持ちを、弄んでしまったような気がして。

 

直:……

 

詩:ごめんなさい。

 

直:いや……

 

(少しの間)

 

詩:そっちこそ。

 

直:え?

 

詩:追い出したり、通報しようとしたり、しないんですか?

 

直:そうすべき、かな?

 

詩:普通は、多分。

 

直:そっか。

 

詩:はい。

 

直:多分……多分、なんとなく「らいら」さん……いや、君がそんなことをしそうなタイプに見えないから、かな。だから理由――そんな風に言う理由を聞いてみたかったというか。

 

詩:「ちょく」さんは、やっぱりいいひとですね。

 

直:そんなことは

 

詩:そしてお人よし。

 

直:よく言われる。

 

詩:いかにも人を殺しそうな顔をした殺人犯も確かにいますけど、こういう目立たない人間の方が、意外に殺意を燻(くす)ぶらせていたりするんですから。

 

直:そっか。

 

詩:そんなんじゃ、簡単に殺されちゃいますよ。

 

直:じゃあ、俺はもうゲームオーバー?

 

詩:……

 

直:……

 

(少しの間)

 

直:どうして?

 

詩:それは、何に対しての疑問ですか?

 

直:えっと、「どうして」「らいら」さんを殺したなんて嘘をつくのか。もし本当に「らいら」さんを君が殺したとして、「どうして」「らいら」さんを殺したのか、かな。

 

詩:……

 

直:君が本当に殺人犯かどうかは分からないけれど、とりあえず、俺に危害を加えるようなことはしなさそうだから。

 

詩:本当にお人よしですね。

 

直:耳が痛いから、あんまり繰り返さないでよ。よくそれで痛い目を見てきたんだから。

 

詩:じゃあ

 

直:でも、そういう性分なんだよ。それに俺自身、なんだかんだでそんな俺のことが好きなんだ。

 

詩:そう、ですか。

 

直:うん。

 

詩:いいこと、ですね。

 

直:ありがとう。

 

(少しの間)

(部屋の中に外からの環境音が満ちる)

 

詩:きっと、どちらの質問にも答えられると思います。

 

直:え?

 

詩:私は「らいら」を殺してはいません。けれど確かに「らいら」は死んだんです。私の手によって。

 

直:ごめん、よくわからない。

 

詩:ですよね。だから、「ちょく」さんを騙してしまったお詫びとして、話します。いえ、単に私が話したいんだと思います。

 

直:そっか。それならなおさら聞かなきゃね。

 

詩:聞いてくれますか。

 

直:そのつもりで、さっき君に質問したんだけどな。

 

詩:そうでした、ね。

 

直:うん。

 

詩:……「らいら」は私の妹です。

 

直:妹さん……

 

詩:「らいら」は、美人でした。「お姉ちゃんとはあんまり似ていないのね」と、よく言われます。顔のパーツそれぞれを見れば私とそっくりなのに、絶妙な配置バランスのせいで、妹は美人に、私は……この通り。

 

直:……

 

(詩、小さく笑う)

 

詩:フォロー、しないんですね。

 

直:……下手なフォローは嫌かなと思って。いや、君が決して、その……

 

詩:いいですよ。気にしていません。今のは、いやがらせみたいなものです。うん、そうですね。そういうのはもう聞き飽きました。

 

直:……うん。

 

詩:私の名前は、いつしか「らいらの姉」になりました。誰も私を名前では呼びません。私に話しかける時は、事務的な用か、らいらの話をしたい時だけです。

 

直:……

 

詩:両親は、私をかわいがってくれました。けれど、どちらかを選ばなければいけない状況になると、常にらいらを選び続けました。

 

直:そんな

 

詩:そんな話、って思いますか?でもそうなんです。そうでした。私が小学生の時、まだ保育園児のらいらが有名子役をたくさん抱える事務所から、オーディションを受けないかとスカウトされたことがありました。

 

直:……うん。

 

詩:オーディションの日は、私の運動会の日でした。

 

直:もしかして……

 

詩:両親は、運動会には来てくれませんでした。「あなたはもうお姉ちゃんなんだから、ひとりでも大丈夫ね」「応援してるわ、大好きよ」と抱きしめながら。

 

直:こう言っていいのか分からないけど……それはとても、つらかったね。

 

詩:そうでもありませんでした。その時には、もう私は「らいらのお姉ちゃん」でしたから。「ああやっぱり」と思っただけで、特に痛みは感じなかったと思います。

 

直:でもさ

 

詩:それに、言ったでしょう?両親は一応、ちゃんと私を愛してくれていましたから。その時のハグにも、ちゃんと幼い私が感じ取れるだけの愛は込められていたんです。今思うと、それはある種の「口封じ」のようなものだったのかもしれませんが。

 

直:そっか。

 

詩:だから私は、らいらを憎んだことはありませんでした。

 

直:だから君は、らいらさんを、本当は殺していない?

 

詩:はい。

 

直:じゃあ君が殺した「らいら」さんは、一体誰なの?

 

詩:……「らいら」です。

 

直:その「らいら」さんは、誰?

 

詩:……

 

直:……

 

詩:……私です。

 

直:そっか。

 

詩:私が、「らいら」です。

 

直:俺がやりとりしていた「らいら」さんは、君だったってこと?

 

詩:「らいら」の名前を使って、「らいら」のように物を考え、「らいら」のように振る舞っていた、私です。

 

直:俺が君をオフに誘ったから、君は「らいら」さんを殺した。

 

詩:そういうことです。

 

直:「『らいら』さんを殺した」って言葉の意味は、「らいら」さんとしてのアカウントを削除したってことで、合ってる?

 

詩:……はい。

 

直:これは、謝るべきなのかな。やっぱり。

 

詩:……いいえ。だって、会うことを決めたのは、「らいら」を殺すことに決めたのは、「私」なんですから。

 

直:……うん。

 

(少しの間)

 

詩:がっかりさせちゃいましたよね。やっぱり。

 

直:……

 

詩:……ごめんなさい。

 

直:その眼鏡。

 

詩:え?

 

直:その眼鏡さ、変装って言っていたけど、度は入っていないの?

 

詩:いいえ。

 

直:だと思った。度が入っていない割にはレンズが分厚かったから。

 

詩:……これが唯一、私が私であるという証明なんです。

 

直:「らいら」さんは眼鏡をかけていなかったから。

 

詩:それもありますけど、それよりも……

 

直:それよりも?

 

詩:眼鏡をかけると、眼鏡の印象が強くなって、顔のパーツに意外と目がいかなくなるじゃないですか。

 

直:そう……かもしれない。

 

詩:眼鏡をかけていれば、誰も私の顔に「らいら」を見ないんじゃないかって思って。

 

直:そっか。

 

詩:だから、視力が落ちて眼鏡をかけることが決まった時、私少しうれしかったんです。

 

直:どうして?

 

詩:この分厚い眼鏡のレンズを通して、はじめて私は、少し安心して世界と向き合うことができたんです。

 

直:……

 

詩:私は「らいら」を憎んではいないけれど、自分をあきらめたわけでは、なかったので。

 

直:だから、会いに来てくれた、ってこと?「らいら」さんを殺して、ただの君として、俺に。

 

詩:……本当は、このままでもいいと思いました。

 

直:「らいら」さんのままで?

 

詩:私は「らいら」にはなれない。なりたいとも思わない。ずっとそう思ってきました。

 

直:それなら、どうして。

 

詩:オンラインゲームの世界なら、名前や顔だけでなく、存在すべてを隠すことのできる場所でなら、私は私でいられるんじゃないかと思って、「テイル・ハンター」を始めました。でも直前で、「私」のアカウントを作る本当に直前で、私は怯んだんです。

 

直:怯んだ?

 

詩:眼鏡をかけることで自分と世界の間に境界線を引き、レンズ越しに世界を眺めている私は、確かに私をあきらめず、自身を守っているかもしれないけれど、このレンズの向こう側の人たちからしたら、私はうすぼんやりとした輪郭しか持たない、何の記憶にも残らない人間なんですよ。

 

直:……

 

詩:レンズのこちら側にいることに、慣れすぎたんです。レンズ越しに自分の視界に入ってくるだけの世界に慣れすぎたんです。どうやって自分から、レンズの向こう側に関わればいいのか、私ってば、分からなかったんです。それどころか、怖いとすら思いました。たとえそれが、オンラインの世界であっても。「私」が「私」であろうとした瞬間に、それに気づいたんです。

 

直:それで、君は「らいら」さんを名乗ることにした?

 

詩:「らいら」でいれば、私はなんの選択を迫られることも、何をあきらめることもないじゃないですか。

 

直:……

 

詩:だから、「らいら」として「ちょく」さんに会って、いい思い出だけ作って、それで終わりにしようと思っていました。

 

直:もう二度と会わないつもりだったの?

 

詩:……はい。

 

直:そっか。

 

詩:でも、何もかも間違いでした。やっぱり私は、私をあきらめられなかった。あなたに会う段になって、改めてそう思ったんです。

 

直:ねえ

 

詩:私は「らいら」にはなれないし、「らいら」を演じ切ることもできない。そのくせ本物の「らいら」を殺すほどの憎しみも持てない――私を殺すことも、生かすこともできない。私って、本当に中途半端で、どこまでも往生際の悪いまぬけな存在なんです。

 

直:ねえってば

 

詩:本当に、ごめんなさい。

 

直:……

 

(立ち上がり、直に背を向ける詩)

 

詩:帰ります。

 

直:え。

 

詩:最初の予定通り、これでおわりです。いただいた連絡先も、全部消去します。

 

直:……

 

詩:あと、テラリウム、私もやってみようと思います。ガラス越しの閉じた世界って、なんだか私みたいでいいなって思いました。それは、うそじゃないです。

 

直:……ちょっと待って。

 

詩:短い間だったけど、楽しかったです。

 

直:待って。

 

詩:それじゃ。

 

(玄関に向かい歩き始める詩)

 

直:待てったら!

 

(足を止める詩)

 

詩:まだ、なにか?

 

直:大きな声を出してごめん。でも、これで終わりはちょっとずるいよ。

 

詩:そんなの、分かってます。

 

直:あと、さ……

 

詩:……なんですか。

 

直:えっと、さっきから思っていたんだけど、俺、もしかして自惚れていいやつかな、これって。

 

詩:……私、「らいら」じゃないですよ。

 

直:そう、そうなんだけど、でもさ。

 

詩:「らいら」じゃないなら、なんの意味もないんじゃないですか、それって。

 

直:わかんないけど……いや、わからないから、少しだけ待ってよ。

 

詩:何を?

 

直:えっと、俺が自分の中身を整理するまで、かな。

 

詩:整理する必要、ありますか?

 

直:少なくとも、俺には。必要というより、意味がある。そんな気がする。

 

詩:……

 

直:だから、戻ってきて。少しだけ、付き合ってよ。今度は俺の話に。

 

詩:……わかりました。

 

(詩、踵を返し、再びソファに座る)

 

直:……さっきまで、本当についさっきまでは、俺も「これで終わりかな」って思ってた。

 

詩:……

 

直:でも、似てると思ったんだ。

 

詩:似てる?

 

直:俺と君が。

 

詩:とても……そうは思えませんけど。

 

直:さっきの君の言葉。

 

詩:え?

 

直:「ガラス越しの閉じた世界が自分みたい」って言葉。

 

詩:それが何か?

 

直:あれは、嘘じゃないんでしょ?

 

詩:……はい。

 

直:そっか。

 

(直、微笑む)

 

直:……俺がなんでテラリウムを始めたのか、聞いてくれる?

 

詩:「ちょく」さんが話したいなら。

 

直:うん、話したい。

 

詩:じゃあ、聞きます。

 

直:ありがとう。

 

(少しの間)

 

直:……俺さ、四国の結構な田舎の出身なんだ。

 

詩:……

 

直:山と川以外なんにもない、それこそコンビニだって車で行かなきゃいけないくらいの小さな村で育ったんだ。

 

詩:そうなんですね。

 

直:故郷を愛してはいたけど、やっぱり一人前に夢はあってさ。

 

詩:夢?

 

直:笑わないで聞いてくれる?

 

詩:……はい。

 

直:イラストレーターになりたかったんだ。

 

詩:別に笑うところじゃないと思いますけど。

 

直:ここからさ。……人気のイラストレーターになって、金稼いで、テレビや雑誌で見たようなおしゃれな家に住んで、おしゃれな服を着て、おしゃれな暮らしをしたかった。

 

詩:……

 

直:笑うでしょ?

 

詩:……すこし、かっこ悪いとは思います。

 

直:フォロー、しないんだ。

 

詩:下手なフォローは嫌いかと思って。

 

(直、微笑む)

 

直:うん。

 

詩:……

 

直:……今思えば、当時の俺にとっては、なるのは別にイラストレーターじゃなくても良かったんだと思う。たまたま得意だったのが絵だったってだけで、さ。とにかく、絵に関しては村で、かなりちやほやされたもんだから、どこかでこう……「こんなところで埋もれたまま死にたくない」なんて思って、家出同然に都会に出て、専門学校に通い始めた。

 

詩:……それで?

 

直:ありきたりのつまらない話だよ。俺くらいの奴は、実はこっちには山ほどいて……というか、俺なんか一山いくらの中にも入れないレベルなんだ、って思い知らされた。

 

詩:そう、ですか。

 

直:加えて女と友達に騙された。

 

詩:え?

 

直:友人の紹介で知り合った女の子に惚れ込んで、貢ぎに貢ぎまくった。その金が、全部彼女と友達が贅沢する金になるとも知らずに。

 

詩:……

 

直:専門学校に通い続けるだけの金もなくなった頃、彼女も友達も消えていた。

 

詩:それは……

 

直:笑ってもいいよ。

 

詩:……笑いませんよ。

 

直:結局何者にもなれないまま、バイト先の店長の紹介で小さな印刷会社で働き始めたんだけどね。そこでも相変わらずいいように使われてばっかりの毎日でさ。

 

詩:お人よし、ですもんね、「ちょく」さん。

 

直:でもね、たまに、本当にたまにすごく感謝されるんだ。「助かったよ。ありがとう」って。だから、最近はやっと、そんなまぬけな自分が少し好きになれてきたとこ。

 

詩:……それのどこが、私と似てると思った理由になるんですか?

 

直:全部、諦めたつもりだよ。このままでもそれなりに、それこそ夜中にゲームで遊ぶ余裕があるくらいには稼げているし、さっきも言ったけど、たまには人に感謝されることもある。だから別に故郷に帰りたいとも思わない。なのに、なぜかな。無性にあの山が、川が――静かに、やたらとゆっくり時間の流れるあの村が、恋しくなるんだ。

 

詩:それで、テラリウムを?

 

直:そう。もう戻れない。戻りたいとも思わない。なのに捨てきれないあそこに向かう想いを、俺はガラスの中に閉じ込め続けた。そうしてたまに、あの村にいた時の「なんでもできた」――ような気でいた俺を眺めて、往生際悪く「今の俺は、こんな俺は、本当の俺じゃない」って、ぼやいてるってわけ。

 

詩:……

 

直:ね?少し似てると思わない?

 

詩:よく、分かりません。

 

直:うん、それでいいよ。俺がそう思ったってだけだから。

 

詩:それで?

 

直:ん?

 

詩:それを私に聞かせて、何か整理はできましたか?

 

直:……どうだろう。

 

詩:……ばっかみたい。

 

直:ほんとにね。

 

詩:……

 

直:……

 

(少しの間)

 

直:でも、俺は今、君に――「らいら」さんでない君に会えて、よかったと思ってるよ。

 

詩:は?

 

直:君が「らいら」さんだったら、きっと俺は恥ずかしくてこんな話はできなかっただろうから。

 

詩:傷の舐めあいなんて、私はしたくなかったです。

 

直:……君の名前、聞いてもいい?

 

詩:……

 

直:そう都合よくはいかないか。

 

詩:……

 

直:ごめんね、引きとめて。俺も今日楽しかった。これで終わりだとしても、後悔はしないよ。「らいら」さんでない君と、話ができたことを。

 

詩:……

 

直:ありがとうね。

 

詩:……うた。

 

直:え?

 

詩:うた、です。ポエムの「詩」と書いて、「うた」です。

 

直:……うん。

 

(少しの間)

 

詩:……ずるくないですか。

 

直:え?

 

詩:私にだけ名乗らせて。

 

直:あ、そっか。うん、そうだね。

 

詩:……

 

直:俺は「すなお」。直角の直で、「すなお」。

 

詩:……

 

直:それ、どんな感情の顔?

 

詩:……ぴったりだなって。

 

直:……そっか。

 

(小さく微笑み合う二人)

 

詩:あの。

 

直:ん?

 

詩:眼鏡、外してもらっていいですか?

 

直:え。

 

詩:自分から外すのは、とても、恥ずかしいので。

 

直:いいの?

 

詩:ダメだったら言わないです。

 

直:ん。

 

(直、詩の眼鏡をはずす)

(ほうと息をつく詩)

 

直:どう?

 

詩:何もかもが、ぼんやりしてます。

 

直:俺の顔も?

 

詩:すこし。

 

直:じゃあ、もう少し近づいてもいい?

 

詩:……

 

(直、詩に顔を近づける)

(詩、小さくすすりあげる)

 

直:見える?俺の顔。

 

詩:……ぼんやりしてます。

 

(直、微笑む)

 

直:そっか。

 

詩:……すみません。

 

直:ごめん、ハンカチないから指でぬぐわせて。

詩:……

直:涙。

 

(直、詩の涙をぬぐう)

 

詩:後悔、しても知りませんから。

 

直:それは、お互い様だよ。

 

詩:テラリウムの作り方、今度教えてください。

 

直:それならさ、一緒に植物を選ぶところから、しない?

 

詩:直さんが、それでいいなら。

 

直:……

 

詩:なん、ですか。

 

直:詩さん。

 

詩:……はい。

 

直:詩さん。

 

詩:はい。

 

直:また会ってくれる?

 

詩:今更何言ってるんですか。

 

直:そっか。

 

詩:はい。

 

直:詩さん。

 

詩:はい。

 

直:……ああ、いや。やっぱり今はやめとく。

 

詩:直さん。

 

直:え

 

(詩、直にくちづける)

 

直:あ。

 

詩:ずるいですよ、本当に。

 

直:……

 

詩:最初に言ったでしょ?「構わない」って。こっちは覚悟の上なので、今更日和らないでください。

 

直:詩さん。

 

詩:……なんですか。

 

直:……眼鏡がない詩さん、結構いいと思うよ、俺。

 

(詩、微笑む)

 

詩:……そうですか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【幕】

#1「あまなつ」: 全商品のリスト
bottom of page