#28「人魚さまの花嫁」
(♂1:♀4:不問0)上演時間40~50分
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ハナ
【ハナ】(女性)
百鱗(ひゃくりん)村の名家「鱗咲(うろさき)家」の末娘。サクとは乳兄弟であり、恋仲。
サク
【サク】(男性)
百鱗村の青年で、ハナの乳母の息子。ハナとは恋仲。
ツキ
【ツキ】(女性)
百鱗(ひゃくりん)村の名家「鱗咲(うろさき)家」の次女。過去に「人魚さまの花嫁」に選ばれたことがある。
カヨ
【カヨ】(女性)
百鱗(ひゃくりん)村の名家「鱗咲(うろさき)家」の当主。ツキとハナの母親。
トキ
【トキ】(女性)
百鱗(ひゃくりん)村の女性で、サクの母親。ツキとハナの乳母。
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―百鱗村裏山
(ハナとサクが山道を登っている)
(軽やかに登っていくサクと息切れしながらそれを追うハナ)
サク:ハナ!こっちだ!
ハナ:待ってサク!もう、本当に足が早いんだから。
サク:ハナが遅いんだよ。お前は本当にお嬢様育ちだからなぁ。
ハナ:そんな言い方やめてよ。この小さな村じゃたかが知れてるわ。それに、どうせ私は末娘だし、家を継ぐわけではないんだもの。関係ないじゃない。
サク:そうだな。だから俺とこうして出かけていても、誰にも咎められない。
ハナ:ふふっ、そういうこと。
サク:もう少しだ。この坂を上り切れば……!よっ、と。
ハナ:ねえ待ってってば!
(サク、ハナを振り返り、微笑みながら手を伸ばす)
サク:ほら、手を貸そうか?
(ハナ、恥ずかしそうにサクの手を取る)
ハナ:うん。
サク:よいしょ、っと。
(二人の眼前に海が広がる)
ハナ:わぁ……!
サク:ここからだと海の向こうまで見えて、すごくきれいなんだ。
ハナ:ほんとね。……あ、「人魚さま」の祠(ほこら)も見える!
サク:ああ。……ん?
ハナ:どうしたの?
サク:祠の裏側、見てみろよ。
ハナ:え?
サク:扉がついてる。
ハナ:ほんとね。
サク:祠の裏側は崖なのに、いったい何のためにあるんだろうな?
ハナ:「人魚さま」が出入りするため?
サク:お前、「人魚さま」が本当にいるなんて信じてるのか?
ハナ:だって、ツキ姉さまは会ったって言っていたわ。
サク:そうか、ツキさんは前の「花嫁」か。
ハナ:ツキ姉さまが「花嫁」になったのは私が小さかった頃のことだから、私は全然覚えてはいないけど、ツキ姉さま、毎日のように「人魚さま」のお話をするもの。だから、きっといらっしゃるのよ。
サク:……そっか。
ハナ:サクは信じてないの?
サク:見たことがないからな。
ハナ:でも、この村の平和は「人魚さま」のおかげだ、って言われているじゃない。
サク:『「人魚さま」のお召しがあった時に、村の女のなかから「花嫁」を選ぶ。「花嫁」が一晩「人魚さま」のお世話をすれば、そこからさらに平和は守られる』だっけ?
ハナ:そう。
サク:不思議なんだよな。
ハナ:なにが?
サク:その一晩で一体何が変わるんだろう。
ハナ:それ、ツキ姉さまに聞いたことがあったんだけど、その質問だけはいつも笑って答えてくれないの。
サク:そうなのか。
ハナ:ええ。でも、よその神様は永遠に娘を連れて行ってしまったり、食べてしまったりする、って聞いたわ。だからきっと、「人魚さま」はお優しいのよ。
サク:……次はいつになるんだろうな。
ハナ:そんなの、「人魚さま」しか分からないわ。
サク:じゃあその前に、俺が花嫁にしないとな。
ハナ:え?
サク:俺、町に出て働くことになったんだ。だから、その……俺の花嫁になって、一緒に行かないか?
ハナ:サク……!
サク:……どうかな?
ハナ:行く!行くわ!ああなんてこと!そうと決まれば、早速お母さまやツキ姉さまにも話さなきゃ!
サク:母さんにも、伝えなきゃな。
ハナ:そうよ!トキは私のもうひとりのお母さんだもの!ああ本当に楽しみ!サク、私とっても幸せよ!
(無邪気にサクの胸に身を投げ出すハナ)
(サクはハナを強く抱きしめる)
サク:俺の可愛いハナ。絶対に幸せにするからな。
(二人はしばし笑い合う)
ハナ:……あら?
サク:どうした?
ハナ:獣が啼(な)いているような声がしない?
サク:え?
(耳をすませるサク)
サク:……ほんとだ。
ハナ:少し遠くでだけど、聞こえるわ。遠吠えみたいな、なんだか不思議な声。
(二人はぱっと身を離す)
サク:村に戻ろう。大きな獣が出ると厄介だ。
ハナ:ええ!
【間】
―百鱗村/鱗咲家前
(鱗咲家の前に村人が集まっており、その中心にはカヨが立っている)
(カヨの傍らでさめざめと涙を流すトキと、けらけらと笑っているツキ)
ツキ:めでたやなあ、めでたやなあ!
カヨ:ハナ!ハナはどこじゃ!
(サクとハナが息を切らしながら戻ってくる)
サク:母さん!
トキ:ああサク……!あんた、やっぱりハナ様と一緒にいたんだね。
サク:母さん、どうしたんだよ。一体何があったんだ。
ハナ:お母さま!それにツキ姉さままで……。
ツキ:お召しじゃ!お召しじゃ!
ハナ:え?
(さらに涙を流すトキ)
トキ:あああ……!
ハナ:ねえトキ、なぜ泣いているの?
カヨ:「人魚さま」のお召しがあったのじゃ。ハナ、お前の番ぞ。さあ皆、花嫁御寮(ごりょう)の支度をせよ!
ハナ:……え?
サク:嘘、だろう……?
トキ:サク、気を強くお持ち。
ツキ:何を泣くことがある。これは誉(ほま)れじゃ。
カヨ:ハナ、可愛い娘。しっかりと「人魚さま」のお相手を務めてくるのじゃぞ。
ハナ:待って!お母さま!私は!
サク:そうだ、カヨ様待ってくれ!俺は今、ハナを嫁にすると誓ったばかりなんだ!
トキ:サク!なんてこと……!
カヨ:分をわきまえよ、サク。確かにお前は乳母のトキ共々、ハナによく尽くしてくれた。末娘だからと好きにさせてきたが、「人魚さま」のお召しがあった以上、話は別じゃ。下がれ。
サク:「花嫁」がハナでなければいけない理由はなんだ!年頃の娘であれば、この村にもいくらでもいるじゃないか!
ツキ:なんじゃと?
トキ:サク!
(トキ、サクの頬を叩く)
ハナ:トキ!なんてこと!
トキ:自分たちに関係がなければ誰でもいい、など罰当たりな!
カヨ:「人魚さま」のお召しがあった時にこの鱗咲(うろさき)の家にふさわしい娘がおれば、その娘を差し出すのが、百鱗(ひゃくりん)村の掟。そうか、お前は知らなんだか、サク。
(変わらずけらけらと笑っているツキ)
ツキ:お前たちの平和をその身で守ってきたのが、この家ぞ?この家ぞ?
サク:だけど!
ハナ:お母さま、ツキ姉さま、それでも私は!お願い、私たちの話を聞いて!
ツキ:安心せい妹よ。「人魚さま」はお優しいぞ?それはそれは……ふふふっ!
ハナ:ツキ姉さま……!
カヨ:さあ、皆何をしておる。ハナを奥に。婚礼の刻まで外に出してはならんぞ。
(使用人たちがハナを屋敷内に引っ張っていく)
(村人たちはサクを押さえつけている)
ハナ:いや!待って!サク!サク!!!
サク:待ってくれ!
(トキ、サクにすがる)
トキ:サク!あきらめなさい!こうなった以上、もうあきらめなさい!
サク:ハナぁぁぁぁぁ!
【間】
―鱗咲家奥座敷
(ハナがひとり、さめざめと涙を流している)
ハナ:サク……サク……!
(ツキがけらけらと笑いながらやってくる)
ツキ:まぁだ泣いておるのか、ハナ。べそかきべそかき鼻垂れハナじゃな。
ハナ:ツキ姉さま。
ツキ:あなめでたやなあ、我ら姉妹みぃんな花嫁じゃ。
ハナ:ねえツキ姉さま、ここから出して。ツキ姉さまもお母さまも、サクとのことを喜んでいてくれたじゃない。
ツキ:喜ぶぅ?
ハナ:違う、の?
(ツキ、再びけらけらと笑う)
ツキ:花嫁にならぬであろう味噌っかす娘のことなぞ、気にも留めんかっただけだわいなぁ。
ハナ:え……
ツキ:じゃが!これでお前も立派な鱗咲家の娘!やれめでたやめでたや!
ハナ:私、鱗咲家の娘でなくていい……!サクに会わせて……!
(ハナ、すすり泣く)
ツキ:大丈夫じゃ、「人魚さま」に抱かれれば、そんな男、すぐに忘れるわいなぁ。
ハナ:抱かれ……!じゃあ「花嫁」の務めというのは……!
ツキ:そうじゃそうじゃあ?ただ……我らのユキ姉さまは、「人魚さま」のお力に負けて、死んでしもうたがのう。
(一層大きくなるツキの笑い声)
ハナ:「ユキ姉さま」……?待って、私たち二人姉妹ではなかったの?
(ツキは歌うように言葉を紡ぐ)
ツキ:「人魚さまの鱗にゃ気をお付け。くらくら目玉がまあるくなって、くるくる回って血反吐吐く。花嫁御寮は 鱗を飲んだ。白ぉいおててに鱗が生えた。花嫁御寮は言ったとさ。人魚さまに言ったとさ。海へお帰り海へお帰り」
(ツキ、突如正気に返ったように)
ツキ:花嫁御寮は薬なのじゃ。この村のな。
ハナ:ねえツキ姉さま、一体どういうことなの。お願い答えて。
(ツキ、再びけらけらと笑い出す)
ツキ:あはは、あははは!花嫁御寮のお通りじゃ!ああ、めでたやなあ、めでたやなあ!
(ツキ、笑いながらばたばたと走り去る)
ハナ:待って!ツキ姉さま!待って!
(入れ違いにカヨがやってくる)
カヨ:ハナ。
ハナ:お母さま!ツキ姉さまの言っていたことは一体なんなの?「ユキ姉さま」って誰なの。
カヨ:「ユキ」は、死んだ一番上のお前の姉じゃ。
ハナ:なんですって?
カヨ:ユキも「花嫁」に選ばれたが、お務めを果たしてすぐに死んでしもうたのじゃ。「花嫁」としての器量が不十分での。鱗咲家の娘とあろうものが、情けないこと。……言うても、ツキとてじゅうぶんにお役目を果たしてはおらぬがな。
ハナ:どういうことなの……?
カヨ:「花嫁」になると決まったならば、お前にも聞かせておかねばならぬのぅ。……鱗咲家の、女の役目をな。
ハナ:役目?
カヨ:少しだけ場所を移そう。
ハナ:え?
カヨ:好都合といった顔だが、この屋敷には今や常に人の目がある。逃げようなどとは思わぬことじゃ。
ハナ:そんなこと、考えてないわ。
カヨ:どうだかの。ほれ、こっちじゃ。
【間】
―鱗咲家地下牢
ハナ:地下牢……。この家にこんな場所があったなんて。
カヨ:作らせたのじゃ。秘密裏にな。
(ハナ、何かを耳にする)
ハナ:この声……今日聞いた声に似ているわ。……まさか。
カヨ:これ以上近付くでないぞ。手の届くところにおったら襲われるからな。
ハナ:え?
(何者かが牢の隙間から手を出す)
ハナ:ひっ!
カヨ:……これが「人魚さま」じゃ。
ハナ:え?
カヨ:そして、お前の姉の「ユキ」じゃ。
ハナ:なんですって?
カヨ:正確には「ユキ」であったもの……今はただの「ひとならず」じゃ。
ハナ:「ひとならず」?
カヨ:「人魚さま」の毒に触れて無事でいられるのも、その毒を制することができるのも、鱗咲家の女だけ。もっとも、まれにこのユキのように「ひとならず」になってしまうものもおるがな。
ハナ:毒……ですって?……そういえば、「人魚さまの花嫁」は薬、とツキ姉さまは言っていたわ。それって一体……
カヨ:……あの娘も、たまには正気に戻るのじゃな。
ハナ:……
カヨ:「人魚さま」がどこから現れ、なぜ娘を欲するのかは分からぬが、「花嫁」がおらねばこの村は終わりじゃ。
ハナ:お母さま……。
カヨ:ハナ。「花嫁」として、お役を果たすのじゃ。「人魚さま」の力と毒を受け取り、子を産め。「花嫁」の血を途切れさせてはならぬ。
ハナ:村のため?
カヨ:そうだ。ひいてはお前の愛するサクを守ることにもなるのじゃぞ。
ハナ:そんな……!
【間】
―トキとサクの家
サク:結局、鱗咲家の役目ってのはなんなんだ。
トキ:「人魚さま」と言葉を交わせるのは、「人魚さまの花嫁」だけなのさ。
サク:それが鱗咲家の娘でなければならない理由は?
トキ:「人魚さま」を村に上陸させることなく海へ帰すことができる「花嫁」の力は、どういうわけか鱗咲家の娘にしか宿らないんだ。
サク:つまり「花嫁」は、この村を「人魚さま」から守るための人柱ってことか……!
トキ:ツキ様が花嫁になった以上、恐らくお前やハナ様には縁のない話だろうと、誰も伝えては来なかったが……。いや、今思えば、ユキ様やツキ様がああである以上、ハナ様が「花嫁」になるのは必然だったのかもしれないねぇ。
サク:……「花嫁」になったら、どうなるんだ?
トキ:「人魚さま」のお相手を一晩務めた後、普通に村に戻ってくるさ。もっともツキ様のように、その毒のせいで、その……
サク:おかしくなることもある、ってことか。
トキ:……それならまだマシさ。ユキ様のように「ひとならず」になってしまうことだってあるんだよ。
サク:「ひとならず」?「ひとならず」ってのはなんなんだ。それに、さっきから言っている「ユキ様」ってのも。分からないことだらけだ。
トキ:「人魚さま」の持つ毒にやられ、人でなくなった者たちを「ひとならず」と呼ぶのさ。全身が鱗に覆われ、心を失い、「人魚さま」と同じような姿になり、人を襲う。ユキ様ってのは、ハナ様とツキ様の姉にあたるお方でね、婚礼の時に毒に負けて、「ひとならず」となってしまったんだ。
サク:……
トキ:「ひとならず」となったユキ様のおそばにいた村の者も毒にやられ、多くの「ひとならず」が村をうろついた。皆家にこもり、息を潜めたけれど、しまいには「ひとならず」が近くを通っただけの家の者まで「ひとならず」となった。……それはひどい地獄だったよ。
サク:……それで?
トキ:結局、カヨ様と亡くなった先代様が「ひとならず」達を一所(ひとところ)に集め、火を放ったんだ。
サク:火を!?ユキ様とやらもそのなかに入っていたんだろう!?
トキ:誰も確認はしなかったが、おそらく。「ひとならず」は「人」に「非ず」。……村を守るため、仕方なかったんだ。
サク:ハナも、そうなるかもしれないんだな。
トキ:こればかりは、神のみぞ知る、だね。
サク:そんな!
トキ:サク。母さんはね……母さんは、あんたの母親で、同時にハナ様の母親でもあるつもりだよ。
サク:なんだい、今更。
トキ:あんたとハナ様が幸せになるのを見たかった。でもこんなことになるのなら、あんた達が惹かれあっていると気付いたときに、無理にでも引きはがせば良かった。予想できたことだったんだ。きっと、おそらく。……母さんを、許しておくれ。
サク:母さんは悪くない。
トキ:今夜は「婚礼の儀」だ。あんたはこの村にいない方がいい。
(トキ、サクの手に金を握らせる)
トキ:この金で、一晩どこぞで遊んでくるといい。そして全て忘れなさい。
サク:そんなこと、できるわけがないだろう!
トキ:……私は行くよ。ハナ様の婚礼準備は私の仕事だ。
(トキ、戸口に立ってサクを振り返る)
トキ:ねえ、サク。
サク:なんだい?
トキ:二人の幸せのためなら、この私を踏み台にして、切り捨てても構わないんだよ。
サク:それは、どういう
トキ:なんでもないよ。さ、行っておいで。
【間】
――夜/人魚さまの祠前
(着飾ったハナがしくしくと泣いている)
カヨ:さあ、ここからは自分の足で社(やしろ)まで歩いて、中に入るのじゃ。
(ツキは相変わらずけらけらと笑っている)
ツキ:美しや美しや、めでたやめでたの花嫁御寮じゃのぅ。はよ行け、はよ行け。
(ハナは涙を流したまま動かない)
(トキ、カヨの前に進み出る)
トキ:カヨ様、お願いがございます。
カヨ:……申してみよ。
トキ:このトキ、社までとは申しませぬが、せめて途中まで、ハナ様の手を引いて行ってもようございますか?乳母として、ハナ様のお供をしたいのでございます。
カヨ:……注連縄(しめなわ)のところまでじゃぞ。それ以上行けば、命の保証はせぬ。
トキ:ええ、ええ。もちろんでございます。
カヨ:ならばさっさと連れていけ。人魚さまがしびれを切らさぬうちに。
(トキ、すっとハナの傍らに寄り、その手を握る)
ハナ:トキ……
トキ:ハナ様、お静かに聞いてください。恐らくこれから、サクが参ります。
ハナ:サクが!?
トキ:しっ!
(慌てて口を閉じるハナ)
トキ:……あの子が、ハナ様を見捨てられるはずがございません。とても……とても困難ではあるかと思いますが、全力でお逃げください。母として私にできるのは、これくらいでございます。
(脇道からサクがやってくる)
サク:ハナ!こっちだ!
ハナ:サク!
サク:早く!走れ!
(ハナ、駆け出す)
ツキ:あぁれまあ!花嫁御寮がさらわれた!花嫁御寮がさらわれたぞ!
カヨ:トキ!お前知っていて!
(カヨに縋りつくトキ)
トキ:お願いでございます!後生ですから!行かせてあげてくださいませ!
カヨ:ならぬならぬ!ええい、放さぬかトキ!皆!早く追うのじゃ!多少手荒なことをしても構わぬ!必ず生きたまま連れ戻せ!
ツキ:ああ!ああ!人魚さまがお待ちかねじゃ!なんならこのツキがもう一度「花嫁」になっても良いのじゃぞ?
カヨ:ツキ!?
(ツキ、にんまりと笑う)
ツキ:そうすれば、今度こそお役目を果たせるやもしれぬじゃろう?のう母様?
カヨ:ならぬ。「人魚さま」のお相手は、生娘(きむすめ)と決まっておる。
(ツキは変わらずへらへらと笑っている)
ツキ:ああ……悔しいのう、憎いのう。ハナもサクも、殺してしまいたいのう。
カヨ:誰か、ツキを屋敷に連れていけ。
ツキ:悔しいのう!憎いのう!あはは、あはははははは!
(ツキ、笑いながら走り去る)
カヨ:ツキ!どこへ行くのじゃ、ツキ!
(少しの間)
(ハナとサクが手を取り合って走っている)
ハナ:はぁっ!はぁっ!はぁっ!
サク:ハナ!がんばれ!もう少しだ!もう少しで村を出られる!山に入ってしまえば、もう捕まらない!
ハナ:ああでも、私が行かないと!村が!
サク:俺は……お前さえいれば、いい。母さんも分かってくれてる。こんな村!滅びればいいんだ!人柱を立てなきゃ永(なが)らえることのできない村なんて!
ハナ:でも……!
(ハナ、転ぶ)
ハナ:あぁっ!
サク:大丈夫か!手を
(にやにやと笑うツキが現れる)
ツキ:みぃつけたぁ。
ハナ:ツキ……姉さま、なんで……
ツキ:お前たちの逢引の話を毎日聞いておったからのぉ。どこに向かうか、この壊れた頭でもちゃあんと分かっておるわいなぁ。
サク:ちくしょう!ハナ!走れ!
ツキ:皆のもの!行かせてはならぬぞ!はよう!はよう!
(ハナとサクを、後から現れた村人が押さえつける)
ハナ:サク!お願い!みんな離して!お願い!
サク:離せ!この野郎!離せ!
(村人の一人がサクの頭を殴る)
サク:ぐっ……!
ハナ:サク!
サク:ハ、ナ……
(サク、どうと倒れる)
ハナ:サク!嫌、嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!
【間】
―人魚さまの祠前
(祠前に放られていたサクが目を覚ます)
サク:う……。ここ、は……?
(祠の扉の向こうにハナがいる)
ハナ:サ、ク……?
サク:ハナ……?
(ハナは虚ろに喘ぎ笑っている)
ハナ:あ……あはは……あはは……
(サク、「何」が起きているのか把握する)
サク:あ……あ、ああ……あああ……!
ハナ:うっ……くっ……サク……私、わたし……
サク:うぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ハナ:あは、あははは……
(サク、扉に飛びつく)
サク:離せ!その手を離せ!ハナ!そんなバケモノ振りほどけ!ちくしょう!なんでこの扉は開かないんだ!開けろ!開けろぉ!
(ハナ、うわごとのようにぶつぶつと呟いている)
ハナ:サク……。でこぼこタンスが滑っていくよ……!虹色のトビウオも飛んでいく!あはは、あは、あははは……
(サクの瞳からぼろぼろと涙が零れる)
サク:ハナ……ハナ……!
(いつの間にか背後にはにたにたと笑うツキがいる)
ツキ:ハナ、どうじゃあ?「人魚さま」は良いじゃろう良いじゃろう?サクもしっかり見るがよい。これがお前の、人としての最後の記憶になるのかのぅ。ああ愉快じゃのう愉快じゃのう。
サク:あっ……あっ……あっ……!
ハナ:ぬめって膨らむ蝶々さん……明日はリンゴの木を植えよ……ふふふ……ふふふふ……
(ツキが一層大きな声でけらけらと笑う)
ハナ:サク、おうちへかえろ?かえってお人形遊びするのよ。ねえ、サク?かえろかえろ?
(サクは慟哭し、ツキは笑い続けている)
【間】
―数日後/鱗咲家/ハナの部屋
(布団の上で半身を起こし座っているハナ)
(傍らにはトキがおり、その手には赤ん坊が抱かれている)
トキ:ハナ様、アヤ様を抱いてあげてくださいませ。
(ハナの焦点は合っておらず、意味の分からない言葉を歌うように呟いている)
ハナ:「どこへ行ったか白い鳥。おやまの向こうに飛んでくか」……
トキ:ハナ様。
ハナ:「翼をもいだら落ちてった。落ちてった」
(トキは涙を流す)
トキ:ハナ様……
ハナ:「蛇は口開け、鳥を待つ。鳥を忘れた鳥を待つ」……
トキ:サクは……、元気でおりますか?
(ハナの歌がぴたりと止まる)
トキ:私は、サクの手引きをした咎(とが)で右目を失いました。左の足も……満足には動きませぬ。それでもこうしてハナ様とアヤ様のお世話ができるのは、ハナ様のご温情あってのことと聞いております。
ハナ:だってハナはトキが好きだもの!トキじゃなきゃ嫌よ!
(トキ、小さく微笑む)
トキ:そうで、ございますか。
ハナ:あのねハナ、あとでサクとお山にお花摘みにいくのよ。うふふ、約束したの!
トキ:……
ハナ:だからトキ、お願い。私のお人形に可愛いお着物を用意してあげて?
トキ:……サクは、まだ、人でありますか?
ハナ:そうだ!毬も持っていくわ。あら、でもどうしよう。両手がふさがってしまうじゃない。困ったわ。
トキ:アヤ様はハナ様にとって望まぬ御子(おこ)かもしれませぬが、ほら、この小さな手のお可愛らしいこと。
ハナ:ツキ姉さまは今日も「人魚さま」のお話ばっかり。飽きちゃったわ。
トキ:ハナ様もツキ様も……カヨ様も、このように生まれてこられたのですねえ。
ハナ:お母さまは、最近いつもむつかしい顔をしているの。
トキ:「人魚さま」の子、などと言われても、私はいまだに信じられませんよ。
ハナ:お花を摘んだら、トキにあげるわね。でも、一番きれいなのは私のよ?
トキ:ハナ様、アヤ様がお手を伸ばしておいでです。抱いてあげてくださいな。
(ハナの焦点が突如現実に返ったように合う)
ハナ:――ねえトキ、サクは、どこ?
【間】
―鱗咲家/地下牢
(牢に閉じ込められたサクが苦しそうに息をしている)
カヨ:ほぉ、数日ぶりに来てみれば、まだ「人」として頑張っておるか。
サク:あ……ハ、ナ、は……
カヨ:子を産んだぞ。
サク:……ヘ?
カヨ:「人魚さま」の御子は一週もあれば生まれる。
サク:あ……あ……
(サク、涎を垂らしながらむせび泣く)
カヨ:急激な身体の変化に耐えられずに赤子の命と引き換えに命を落とす「花嫁」も多いが、ハナはよう頑張った。強い子じゃ。
サク:ハナ、に、あわ、会ワせ
カヨ:会わせるわけがなかろう。いつ「ひとならず」となるかも分からぬのに。
サク:ガ、んばルから、会わせテくレ……
カヨ:ハナは今、夢と現の間をさまよい、呆(ほう)けておる。そんな時にお前の顔など見たら、何をしでかすか分かったものではないわ。
サク:頼ム……!
カヨ:本当なら「婚礼の儀」が終わってすぐに、お前もトキも燃やしてしまおうかと思っていたのだぞ?ハナが泣いて暴れるから、仕方なくここに置いておるのじゃ。むしろ我らに感謝しても良いのではないか?
サク:頼ム頼ム頼ム頼ム……たノ、む
カヨ:じきにその狂おしい想いも薄れてゆく。それまでの辛抱じゃ。「ひとならず」となれば、私の力でその命、自ら断つようしてやろう。
(サク、涙を流し続ける)
カヨ:その日までしっかり別れを惜しむのだな。記憶のなかの美しいハナと。
サク:美シいハナ、ウつくシいハナ、ハナ、はな、ハナ……
カヨ:忘れた方が、幸せだろうて。……のう?ハナ、サク。
【間】
―鱗咲家/ハナの部屋
トキ:ハナ様。ほら、アヤ様を。どうか。
ハナ:いいえ。私には、抱けない。
トキ:そんなことおっしゃらずに……
(トキ、ハナの正気に気付く)
トキ:……え?
ハナ:私には、抱けない。
トキ:ハナ様、お気がつかれたのですか?
ハナ:トキ。
トキ:なんでしょうか。
ハナ:アヤを、山へ連れて行ってあげて。
トキ:……まさか。
ハナ:そして、そのまま村を出なさい。
トキ:やはり……!いけません!
ハナ:この子を。アヤを、頼むわ。
トキ:ハナ様!
(ハナ、再び口元に笑みを浮かべると、遠くを見つめ歌うように呟き出す)
ハナ:「しぃろいしぃろい鳥が落ちた。しぃろい鳥を蛇が飲んだ」
トキ:ハナ様!!!
ハナ:「鳥はくちばし突き立てて、蛇の胃袋食い破る」
(少しの間)
ハナ:……行きなさい。
トキ:……!
(トキ、赤ん坊を胸に抱き、部屋を出ていく)
ハナ:「食い破る」
(けらけらと笑いながらツキが現れる)
ツキ:見ておったぞ見ておったぞ!気狂(きぐる)いハナが裏切った!
ハナ:狂っているのは、あなたもでしょう?ツキ姉さま。
ツキ:「花嫁」としての務めを果たしておきながら、村を裏切るか?姉を裏切るか?
ハナ:もう私には何も見えないわ。その務めも、村も、あなたも。だって私は気狂い花嫁だもの。
ツキ:えぇい忌々しい!私が孕むことさえできれば!お前などただの役立たずだったのに!
ハナ:そうね。あなたが孕んでさえいれば。私はこうしていなかったのかもしれないわ。
ツキ:……まあ良い。アヤさえ連れ戻せれば、お前などもう要らぬ。足の悪い年増だけなら、追うのも容易いわ。
(ツキ、手にした鎌を見せびらかす)
ツキ:ほれ、これが見えるか?この鎌でお前の喉笛、かき切ってやろうぞ?
ハナ:あら奇遇。
ツキ:あぁぁぁぁぁぁ!
(ツキ、鎌を大きく振りかぶり、叫びながらハナに襲い掛かる)
ハナ:ふっ!
(ハナ、ツキの懐に入り、逆にその喉笛を掻き切る)
ツキ:あっ……は……
ハナ:私も、鎌だったわ。やっぱり私たち、姉妹なのね。
ツキ:あああ……っ!あああああ……っ!なぜ、なぜお前が、そんなも、のを……っ!
ハナ:さあ、どうしてかしら?昨日散歩に出た時かしら?それとも……「花嫁」になると決まった日からだったかも。
(のたうち回るツキ)
ツキ:あああああああ!
ハナ:どっちだっていいわね。気狂いのすることだもの。どうだって。ねえ、ツキ姉さま?
ツキ:ハ……ナぁぁぁぁ!
(ハナ、再び歌うように呟きながら部屋を出る)
ハナ:「蛇の胃袋食い破る」
ツキ:ハナ……!まて……!憎い……憎い……!あぁぁぁぁ……!
ハナ:「食い破る」
【間】
―鱗咲家/地下牢
カヨ:上が騒がしいの。一体何があったのじゃ。誰か!誰かおらぬのか!
(ハナが現れる)
ハナ:誰も来ないわ。
カヨ:ハナ……!
ハナ:みぃんな殺してしまったもの。
カヨ:……そうか。その姿は、そういうことか。
ハナ:驚かないの?
カヨ:血なまぐさいのなど、慣れておるわ。
ハナ:そう。
カヨ:この村はいつだって血なまぐさい。ユキも、ツキも、お前も、香るような美しさであるのにな。
ハナ:何が言いたいの?
カヨ:何も。言い残すことなどない。
ハナ:潔いのね。ツキ姉さまとは大違い。
カヨ:……母であるからな。
ハナ:そうだったわね。
カヨ:好きにせよ。母にはそれしか言えぬ。
ハナ:ああ不思議。今私、久しぶりにお母さまとお話している気分だわ。
カヨ:火を放て。忘れることも、流されることも出来ぬなら、全てを燃やして、灰にするしかあるまいて。
(カヨ、小さく息を吐く)
カヨ:……殺せ。
ハナ:そうね、そうするわ。
(ハナ、カヨを切りつける)
カヨ:……か、はっ
(血しぶきを上げ、どうと倒れるカヨ)
(ハナ、サクの牢の前にやってくる)
サク:は、ハ、は、ハナ?
ハナ:そうよ、サク。迎えに来たわ。
サク:おれ、俺、オレおれ
ハナ:ふふっ、何も言わなくていいのよ。
サク:あ、あ、あ
ハナ:初めてじゃないかしら。私から迎えに来るなんて。……私はいつも、サクに手を引いてもらっていたものね。
サク:ど、こに、行ク?
ハナ:今度は、私が手を引く番よ。
サク:ハナ。
ハナ:行きましょう。
【間】
―百鱗村裏山
(いつかハナとサクが逢引をした場所で、トキが村を見下ろしている)
トキ:あぁ屋敷が……村が燃えている……!
(トキ、赤ん坊をぎゅっと抱きしめ、膝をつく)
トキ:サク……ごめんよごめんよ……!子より長生きする母があるものかね。……ああそれでも、お前はきっと幸せだね。アヤ様、ご覧くださいませ。祠に向かうあの影を。あなたのお母さまの、ご婚礼ですよ。
(トキの瞳からぼろぼろと涙が零れる)
トキ:人魚さまの花嫁です。
(少しの間)
(燃える村、人々の悲鳴)
(手を繋いで歩くハナとサクの姿)
サク:ハナ、はな、愛シてる……
ハナ:「蛇の胃袋食い破る。食い破る。溶けた足を動かして、鳥が飛ばずに走り出す。目指すはあの崖その向こう。走り出す。走り出す。」
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【幕】