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​​#38「ロストパラダイス」

(♂1:♀4:不問0)上演時間60~70


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

イザワ

【イザワ038(いざわぜろさんはち)】男性

「新楽園都市」に住むジャーナリスト。仕事でいまひとつ成果を上げられておらず、都市からの「評価」が

下がるのを恐れている。一発逆転のネタを探しにサンゴたち「果実」の隔離施設である旧楽園都市」こと「失楽園」に潜入する。

サンゴ

【サンゴ】女性

「失楽園」ダイバエリアに住む18歳の少女。遺伝子異常が原因の奇病を患う、通称「果実」。

珊瑚色の髪と目を持ち、喧嘩が強い。レグホーンとは何度も衝突している。

アサギ

【アサギ】女性

「失楽園」ブクロチャイナタウンに住む16歳の「果実」。浅葱色の髪と目を持ち、恋人であるヤナギとタロット占いの店を営んでいる。その的中率は100パーセント。

ヤナギ

【ヤナギ】女性

「失楽園」ブクロチャイナタウンに住む16歳の「果実」。柳色の髪と目を持ち、恋人であるアサギとタロット占いの店を営んでいる。不思議な霊感のようなものを持つ。

レグホーン

【レグホーン】女性

「失楽園」アキバ電脳街に住む23歳の「果実」。レグホーン色の髪と目を持ち、「失楽園」で横暴に振舞う。

20歳前には死ぬと言われている「果実」のなかで唯一20歳を超えて生きている。

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―プロローグ/「失楽園」入口
 

(イザワ、腕の通信機で通話をしている)

 

イザワ:もしもし、編集長ですか?イザワです。……はい。大丈夫です。次の「評価」の日までには、必ず最高のネタを仕入れてきますから。はい、期日までにはちゃんと。はい。……失礼します。
 

(イザワ、ひとつため息をつく)

 

イザワ:行くか。
 
【間】
 
―「失楽園」ダイバエリア

 

(イザワ、腕の通信機器に話しかける)

 

イザワ:録音開始。AM10時、「失楽園」ダイバエリア。物々しいゲートや厳重な警備を想像していたが、「旧アクアライン」出口付近に警備ロボット「DOG」が数体うろつくだけで、思ったよりもあっさりと潜入に成功。……まあもっともか。「清く正しく美しく」生きたい「楽園」の人間が近寄るはずもない。――かつての愚かしい行いを直視させられる、こんなところには。しかし、少し頑張れば乗り越えられるレベルの壁を、彼女たちは何故乗り越えようとしないのか。「失楽園の果実」たちは。まずは「果実」たちの信頼を勝ち取って、インタビューの許可を貰いに向かうことにする。録音終了。


(イザワ、歩き出す)
 

イザワ:……それにしても、誰もいないな。そろそろ昼だぞ。
 

サンゴ:……うっそ。
 

イザワ:あ。
 

サンゴ:おとこ……?
 

イザワ:君
 

サンゴ:うそでしょ?
 

イザワ:ちょ、ちょっと。
 

サンゴ:もしかして……っていうか絶対に「新楽園都市」の人間だよね、あんた?
 

イザワ:あ、うん。
 

サンゴ:男なんていつぶりに見ただろ。って言っても、私の知ってる男なんて管理局の人間くらいだけど。
 

イザワ:えっと
 

サンゴ:でも、管理局の人って感じではなさそうね。
 

イザワ:まあ、違うけど。
 

サンゴ:……あんた誰?
 

イザワ:まずはそれだよね、普通。
 

サンゴ:そっちの普通なんて知らない。
 

イザワ:あー、そうしたら……えっと、ここって「楽園」の個人端末って使えるのかな。
 

サンゴ:その腕のやつ?データを出すだけなら大丈夫じゃないかな。「外」との通信は無理だけど。
 

イザワ:オッケー。
 

イザワ:……これが俺のデータ。
 

サンゴ:「ディプロマティック・ウィークエンダー」、ライター「イザワ038(ぜろさんはち)」。
 

イザワ:俺は記者だ。今回は君たちの取材をしようと思って、ここに来たんだ。
 

サンゴ:……
 

イザワ:えっと……
 

サンゴ:ねえ、私の家に来ない?
 

イザワ:え!?
 

サンゴ:私たちの取材をしたいんでしょ?
 

イザワ:あ、ああ。
 

サンゴ:じゃあ決まり。私はサンゴ、よろしくね。ああでも、取材は夜にして。私これから寝るから。
 

イザワ:これから?
 

サンゴ:詳しい話はあとで。
 

イザワ:わ、分かった。
 

サンゴ:とりあえず、行こ。
 

【間】
 
―「失楽園」ブクロチャイナタウン/アサギとヤナギの店

 

(アサギがタロット占いをしている)

 

ヤナギ:アサギ、どう?
 

アサギ:うん、私の結果も一緒。
 

ヤナギ:嵐が来る。しかも、とびきり「甘い」のが。
 

アサギ:甘い嵐ってなにかしら。
 

ヤナギ:分からない。
 

アサギ:ヤナギが分からないならお手上げね……。
 

ヤナギ:アサギ、こわい?
 

アサギ:まさか。ヤナギこそ、怖いんじゃない?
 

ヤナギ:怖くないわ。
 

アサギ:強がっちゃって。
 

ヤナギ:だってアサギがいるもの。
 

アサギ:……そうね。だから私も、怖くない。
 

ヤナギ:私がいるから?
 

アサギ:そう、ヤナギがいるから。
 

ヤナギ:……サンゴ、家に着いたかな?
 

アサギ:さすがにもう着いたでしょ。
 

ヤナギ:サンゴにも占いの結果、報告する?
 

アサギ:というより……
 

ヤナギ:むしろサンゴがその渦中にいる。
 

アサギ:そう。
 

ヤナギ:それなら、レグホーン……には?
 

アサギ:レグホーンには
 

レグホーン:あたしがなんだって?
 

ヤナギ:レグホーン……!
 

アサギ:いつからいたの?
 

レグホーン:「嵐が来る」ってところくらいからかねぇ。
 

ヤナギ:……もうすぐ昼よ。電脳街へは帰らないの?
 

レグホーン:今日はこっちで「予約」があってね。
 

アサギ:レグホーン、あなたまだシオンのこと
 

レグホーン:あぁ?
 

ヤナギ:ひっ。
 

アサギ:私たちの店で乱暴なことをしないで。
 

レグホーン:二人一緒じゃなきゃなんにもできない半人前が強がったって、何にもこわかないね。
 

ヤナギ:アサギ……
 

アサギ:私たちに何かあったら、サンゴが黙っていないわよ。
 

レグホーン:はっ、今度はサンゴを盾にするのか。
 

アサギ:ここは治外法権の無法地帯だけど、人が集まっている以上、自然と秩序は生まれるわ。私たちの秩序はサンゴってだけよ。


ヤナギ:……だからあなたには屈しない。
 

(レグホーン、舌打ちをする)

アサギ:シオンのことも、もう解放してあげて。
 

レグホーン:おいおいおい、随分ひどい物言いじゃないか。あたしはあの子を可愛がってあげてるだけだってのに。
 

ヤナギ:あんなの、可愛がってるなんて言わない!殴ったり首を絞めたり……そんなの……
 

レグホーン:それならシオンが自分で拒否すればいいだけの話だろう?
 

アサギ:皆が皆、あなたやサンゴみたいに強いわけじゃないわ。
 

レグホーン:この「失楽園」は吐き溜めだ。強くなきゃ死ぬだけさ。もちろん、あんた達もね。
 

アサギ:私たちは自然に寿命を全うしたいだけ。不必要に争って寿命を縮める気はないわ。
 

レグホーン:ここでそれが出来たやつの顔を思い出せるか?
 

アサギ:……っ!
 

レグホーン:そんな寝言はね、それが出来てからいいな。
 

レグホーン:ここの住人の大半は、自堕落に生きて寿命前に病気で死ぬか、トラブルに巻き込まれて死ぬかのどっちか。そうだろう?
 

アサギ:……そうね。
 

レグホーン:あたしはあんた達よりはるかに長くここで生きてるんだ。それはなんでか。あたしが誰より強いからさ。
 

レグホーン:寿命を全うしたきゃ、せいぜい強くなるこった。……このあたしに喰い殺される前に、ね。
 

アサギ:やめて!
 

レグホーン:で?うまく話を逸らしたつもりかもしれないけど、「嵐」の話はまだ終わっていないよねえ。
 

ヤナギ:……っ!
 

レグホーン:あんた達の占いは当たるから、あたしも当てにしてるんだよ?サンゴに伝えてあたしに伝えられない、ってこたぁないだろう?
 

アサギ:私たちの秩序はサンゴだって言ったでしょう?
 

レグホーン:やっぱり喰い殺されたいみたいだね。
 

アサギ:……そう遠くないうちにあなたの耳にも入るわ。私の占いではそう出てる。あなたも「嵐」に巻き込まれる、って。
 

レグホーン:ほぉん?それじゃあその「嵐」が「甘い」ってのはどういうこった?
 

ヤナギ:今はまだそこまでしか分からないの。
 

レグホーン:……
 

アサギ:……
 

ヤナギ:……
 

レグホーン:ちっ。それじゃあ何の役にも立たないじゃないか。
 

アサギ:お役に立てなくて悪かったわね。

 

(レグホーン、ふんと鼻を鳴らす)

 

レグホーン:シオンが待ってる。あたしはもう行くよ。
 

(ヤナギ、ほっと息をつく)
 

レグホーン:だけど、何かひとつでも隠し事をしているのがばれたら……分かってるよねえ?
 

アサギ:ええ、とってもよく。
 

レグホーン:オーケイ。
 

アサギ:レグホーン、これを。

(アサギ、レグホーンに一枚のカードを差し出す)

レグホーン:……タロットカードだあ?
 

アサギ:占いで出たあなたのカードよ。あげる。
 

レグホーン:「愛染明王(あいぜんみょうおう)」――「憤怒」と「愛欲」のカード、ね。大嫌いなカードだ。


アサギ:「嵐」は来るわ。それは絶対。
 

レグホーン:この「愛染明王」のカードから読み解け、ってことかい。
 

アサギ:……
 

レグホーン:サンゴのカードは?
 

アサギ:あなたに教える義理はないわね。
 

レグホーン:そうかい。まあいいや。それじゃあね。
 

(レグホーン、出ていく)
(アサギ、大きくため息をつく)


ヤナギ:アサギ……。
 

アサギ:本当にとんでもない女ね。
 

ヤナギ:シオン、可哀想。
 

サギ:そうね……。夜になったら軟膏と貼り薬を持っていってあげなきゃ。
 

ヤナギ:……カード、レグホーンに渡しちゃって良かったの?
 

アサギ:そうでもしなきゃ、帰ってくれなかったわよ。あれは。
 

ヤナギ:「甘い嵐」……
 

アサギ:どうしたの?
 

ヤナギ:「甘い」っていうのがなんなのか分からなかったけど、アサギの占いで出たレグホーンのカードが「愛染明王」だとすると、もしかしたら……まさか……
 

アサギ:なに?
 

ヤナギ:……ううん、まさか。そんなのありえない。
 

アサギ:ヤナギ?
 

ヤナギ:アサギ、私やっぱりこわい。
 

アサギ:ヤナギは私より勘が鋭いから、きっと何かを感じ取っているのね。

ヤナギ:……

アサギ:ねえヤナギ、こっちに来て。
 

ヤナギ:うん。
 

(アサギ、ヤナギにそっと口づける)
 

アサギ:もう寝よう。夜になればサンゴが来てくれる。そうしたらきっと、何かが分かるわ。
 

ヤナギ:それに、何かが動く。
 

アサギ:そうね。
 

(アサギ、もう一度ヤナギに口づける)
 

ヤナギ:ねえアサギ、ぎゅってして。
 

アサギ:ん。

 

(アサギ、ヤナギを抱きしめる)
 

アサギ:私たちも「嵐」に巻き込まれるだろうけど、きっと大丈夫。ヤナギには私がいるから。
 

ヤナギ:アサギにも、私がいる。
 

アサギ:二人でいれば、きっと大丈夫。
 

ヤナギ:そうだ、ね。

 

(ヤナギ、小さく欠伸をする)
 

アサギ:……ヤナギがいれば、私は大丈夫。二人でいられれば、それでいいの。私は何も望まない。愛しているわ、ヤナギ。

【間】
 
―夜/「失楽園」ダイバシティ/サンゴの家

 

イザワ:ん……

 

(イザワ、目を覚ます)
 

サンゴ:おはよ。
 

イザワ:おはよう、でいいのかな。
 

サンゴ:私たちにとっては、夜が一日の始まりだから。
 

イザワ:それはどうして、って聞いても?
 

サンゴ:別にいいけど。
 

イザワ:なら、どうして?
 

サンゴ:っていっても、私がここに来た時からずっとみんなそうだったとしか。

 

イザワ:なるほど。

 

サンゴ:でもきっと……
 

イザワ:きっと?
 

サンゴ:ささやかな反抗心だったのかも、きっかけは。
 

イザワ:反抗心?
 

サンゴ:この「失楽園」のことは、当然知ってるでしょ?
 

イザワ:「旧楽園都市」で、君たち「果実」の……住処。
 

サンゴ:あんた、いい人だねって言われるでしょ?

 

イザワ:どうだろう。

サンゴ:正直に「隔離施設」って言っていいよ。
 

イザワ:……
 

サンゴ:百二十年前の第五次世界大戦で「旧楽園都市」に投下されたウイルス兵器は、誰も殺さなかったけれど、次世代に「病」を残した。女児のみに発症する先天性の、遺伝子異常による奇病。その発症確率は0.002%。患者――通称「果実」は普通ではありえないような派手な色の髪と目を持ち、二十歳になる頃は死ぬ。
 

イザワ:詳しいね。

サンゴ:言葉を理解し始めたころから散々教え込まれるからね。
 

イザワ:管理局に、だね。
 

サンゴ:そう。私たちは生まれ落ちた瞬間に隔離されて、両親の顔も知らないまま「楽園」の管理局で育てられる。そこで繰り返し教え込まれる。私たちは戦争の忘れ物だと。今の時代にはいてはいけない存在なのだと。

イザワ:ああ。

サンゴ:そして思春期を迎える頃、私達は移送される。

イザワ:ここに、か。

サンゴ:戦争という過去の過ちを忘れて……ううん、忘れるどころか全てをリセットして「清く正しく美しく」生きたい人たちにとって、戦争を思い出させるからって捨てられたこの「旧楽園都市」はちょうど良かったのよ。

イザワ:戦争の忘れ物である君たち「果実」の隔離施設として?
 

サンゴ:そ。「失楽園」に向かうバスの中で、私たちは最後の教育を受ける。自分たちが生まれながらにして罪深い存在であることを自覚するように、そしてまかり間違っても「ここ」から出ようなんて思わないように、って。……どう?完璧でしょ?


イザワ:ああ。まさに教科書通りだ。


サンゴ:で、なんで私たちが夜行性なのかって話に戻るけど。私が思うに、これまで「失楽園」に隔離されてきた先輩たちはさ、あえて「清く正しく美しく」の逆をなぞってみたんじゃないかな。
 

イザワ:朝起きて清く正しく美しく生きるのが「楽園」なら、「失楽園」では夜に起きて自堕落に生きてやろうってこと?
 

サンゴ:そういうこと。まああくまでも想像でしかないけど。それを知ってる人間は、もうここにはいないから。
 

(少しの間)

イザワ:君は、ここから出たいと思ったことはあるかい?
 

サンゴ:なんで?
 

イザワ:なんで、って。
 

サンゴ:だって出る必要なんてないじゃない。
 

イザワ:でも……
 

サンゴ:ここには要らないものしかいないから、それ以上の不要はない。必要なもの……お金とかライフラインは政府が一応の補助をしてくれるからノープロブレム。電車やバスなんかの交通も「楽園」からの遠隔操作で24時間365日動いてるから、移動も簡単。「楽園」の人間みたいに、生まれ落ちた瞬間からポイント制で評価されることもない。好きなだけ自堕落に、奔放に生きていける。私たちにとってみれば、こここそが「楽園」なんだよ。
 

イザワ:それは、俺らに対する皮肉かな?
 

サンゴ:なんで?
 

イザワ:「勝手に不幸な目で見るな」って。
 

(サンゴ、けらけらと笑い出す)

サンゴ:ほんと、めんどくさいね、あんた。
 

イザワ:……
 

サンゴ:そんなに挑戦的になるほど、私たちそっちに興味ないって。
 

イザワ:興味がない?
 

サンゴ:別世界の人間って感じだもん。そっちはそっち、こっちはこっち。
 

イザワ:……そうか。 
 

サンゴ:あ、コーヒー飲む?
 

イザワ:ありがとう、いただくよ。ああ、今更だけどソファを借りてすまなかったね。
 

サンゴ:ううん。別に。
 

イザワ:あと……
 

サンゴ:ん?
 

イザワ:ここ、いい場所だな。
 

(サンゴ、にっと笑う)

 

サンゴ:でしょ?アサギやヤナギなんかは「こんな端っこの街の何がいいの?」なんて言うんだけどさ、いいよね。ボロボロとはいえ元ホテルだから、ベッドもソファも上等だし、なにより……
 

イザワ:この夜景か。
 

サンゴ:うん。海の向こうにキラキラした「楽園」が見えて、楽しい。
 

イザワ:でも、あそこに帰りたいとは思わない。
 

サンゴ:うん。……はい、コーヒー。
 

(サンゴ、イザワの隣に座ってコーヒーを飲む)
 

サンゴ:本当に、ただ単純に別世界だなあって思うだけ。でも綺麗なものは綺麗だから。そこを否定するほどひねくれてないよ。
 

イザワ:……コーヒー、いただくよ。
 

サンゴ:ん。あ、そこのリモコン取って。

(サンゴ、テレビをつける)
 

イザワ:テレビ、見られるのか?
 

サンゴ:電波は来てないから、ゲーム専用。
 

イザワ:そのゲーム……
 

サンゴ:月一の「楽園」からの配給品の中に入ってた。ちょっと面白いんだ。素材を集めて「星」を作るゲーム。
 

イザワ:随分古いソフトだな。俺が子供の頃に遊んでいたやつだ。
 

サンゴ:そうなの?まあ最新のものなんて送ってこないだろうから、納得ではあるけど。
 

イザワ:君の服装がその髪や目と同じようにやたらとカラフルで……その、どことなく「前時代的」なのも、そういうことか。
 

サンゴ:へえ。そっちじゃ今はこういうの着ないんだね。その白いシャツに地味な無地のパンツ、イザワの趣味なのかと思ってた。

イザワ:趣味っていえるほど選択肢ないんだよ。

サンゴ:みんな同じようなものを着てるってことね。
 

イザワ:「個」を強調するようなデザインのものは、過去を象徴して良くないとされているんだ。
 

サンゴ:「個」を強調するのは「清く」も「正しく」も「美しく」もないってことか。
 

イザワ:俺に下の名前がないのが、何よりの証拠さ。
 

サンゴ:今の「楽園」のシステムでしょ?そんなことしたって、生まれ落ちた瞬間「個」は「個」なんだから意味ないのにね。
 

イザワ:「清く正しく美しく」生きるためさ。必要以上の「個」は邪魔なだけ。徹底的に管理された健全な精神さえあれば、この世界は平和で、「個」を強調するような激しい感情は不要ってことだ。争いの種だからね。
 

サンゴ:恋も? 
 

イザワ:……っ
 

サンゴ:なに?
 

イザワ:いや、随分と猥雑なことを言うんだな、と。
 

サンゴ:恋の何が猥雑なの。
 

イザワ:こっちじゃあその手の話は猥談に入るんだ。前時代――
 

サンゴ:前時代的な?
 

イザワ:……そういうこと。
 

サンゴ:ばっかばかしい。
 

イザワ:そうぼろくそに言ってくれるなよ。
 

イザワ:それにしたって、なんで急に……恋愛、の話なんか。
 

サンゴ:別に?ただの興味本位。そういえばここに配給される「楽園」のゲームにも映画にも本にも、恋の話ってなかったな、って。
 

イザワ:じゃあなんで、君は恋なんて知ってるんだ。
 

サンゴ:忘れた?ここは「旧楽園都市」だよ?前時代の遺物はそこらじゅうに転がってる。というか、私たち「果実」もまさにその前時代の遺物だしね。
 

イザワ:つまり、君たちにとって恋はごく自然で当り前のことというわけか。
 

サンゴ:まあね。……よし、っと。
 

イザワ:どうした?
 

サンゴ:今日のデイリーノルマ、クリア。
 

イザワ:ちなみに今日のデイリーノルマはなんだったの?
 

サンゴ:「記念日を作ろう」。
 

イザワ:あったなあ、そんなの。
 

サンゴ:「イザワと出会った記念日」にした。
 

イザワ:クリア報酬は確か、「星に植える最初の花」だったっけ?
 

サンゴ:そ。
 

イザワ:ちなみにサンゴ、君の星の名前は?
 

サンゴ:「サンゴ」。
 

イザワ:自分の名前?
 

サンゴ:他に思いつかなくてさ。変?
 

イザワ:いいんじゃないか?愛着が湧きそうだ。
 

サンゴ:そっか。さ、ノルマもクリアしたことだし、遊びに行こ。
 

イザワ:俺も?
 

サンゴ:見せてあげる。私たちの世界を。 
 
【間】
 
―「失楽園」ブクロチャイナタウン/アサギとヤナギの店

 

ヤナギ:サンゴ!
 

サンゴ:や。
 

アサギ:待ってたわ。昨日レグホーンが……

 

(アサギ、サンゴの背後に立つイザワに気付く)
 

アサギ:誰?
 

サンゴ:ああ、イザワっていうの。「楽園」のジャーナリストだってさ。イザワ、こっちの浅葱色の髪と目をしたのがアサギ、で、こっちの柳色の子がヤナギ。二人でこのブクロチャイナタウンで占いショップをやってるんだ。
 

アサギ:お、とこ……?
 

サンゴ:そう、すごくない?
 

アサギ:サンゴ、あなたなんてこと……
 

ヤナギ:間違いないよ、アサギ……。これが「嵐」だ……。
 

サンゴ:「嵐」?
 

アサギ:イザワ、と言ったかしら。あなた、何しにここに来たの?
 

イザワ:何って、取材を
 

アサギ:私たちはここで誰にも迷惑をかけずに生きているわ。外の世界と関わるつもりもない。ただの興味本位なら帰って。迷惑よ。
 

イザワ:……
 

ヤナギ:あなたは異分子過ぎる。トラブルの種にしかならない。今ならまだ間に合うから……お願い、嵐になる前に。
 

サンゴ:ねえ、さっきからその「嵐」ってなんなの?
 

ヤナギ:私たちの占いで出たの。
 

アサギ:「とびきり甘い嵐」が来るって。
 

アサギ:きっとイザワのことよ。
 

イザワ:甘い?
 

アサギ:女ばかりのこの「失楽園」に男がひとり。これが甘くないとでも?
 

イザワ:俺は別に、そういうつもりは
 

ヤナギ:あなたの意思は関係ない。
 

アサギ:「果実」はあなた達とは違う。管理も統制もされていない。つまりとても自然なの。自然に「愛」を受け入れているし、それだけ「愛」に飢えてる。
 

ヤナギ:男との「愛」に興味津々の子も……たくさんいる。
 

イザワ:君たちも?
 

ヤナギ:私たちは
 

アサギ:私たちはちゃんと「愛」に満たされてるから、男なんて不要よ。ヤナギに近付かないで。
 

イザワ:つまり君たちは恋人同士、ということか。
 

アサギ:そうよ、悪い?
 

イザワ:いいや。
 

ヤナギ:ここではサンゴみたいに誰とも恋愛していない方が不思議なの。
 

イザワ:え?
 

サンゴ:ちょっと。人の事を情緒がおかしい人間みたいに言うの、やめてくれる?
 

ヤナギ:サンゴは美人で喧嘩も強いから、すごくモテるじゃない。
 

サンゴ:興味が湧かないものはしかたないでしょ。
 

(イザワ、ふっと笑う)

イザワ:なんだ、君、ただの耳年増(みみどしま)だったのか。
 

サンゴ:大きなお世話。
 

アサギ:いずれにせよ、大事(おおごと)になる前に帰って欲しいの。今なら私たちだけの秘密で終われるから。
 

レグホーン:いいや、無理だね。
 

サンゴ:レグホーン!
 

アサギ:また聞き耳をたてていたのね。
 

レグホーン:よおサンゴ。久しぶり。
 

サンゴ:あんたがここにいるってことは、またシオンをいたぶってたってわけね。
 

レグホーン:どいつもこいつも失礼だな。あたしは、シオンと愛し合ってただけさ。
 

ヤナギ:だからそんなのは愛なんかじゃないって
 

レグホーン:そういう愛し方もあったんだよ、前の時代にはね。
 

アサギ:それは、シオンがあなたを愛していればの話でしょう?あなたはシオンを恐怖で縛っているだけよ。
 

レグホーン:シオンがそう言ったのかい?
 

ヤナギ:……そんなこと、言えるわけがないじゃない。
 

レグホーン:なら同じだ。無言は肯定と取られても仕方ない。なあ、そうだろう?
 

ヤナギ:ひっ!
 

サンゴ:ヤナギに凄むのはやめて。なんなら今ここで、またあんたをぶちのめしてもいいんだけど?
 

レグホーン:なんだって?
 

サンゴ:あんたが私に連敗したとあれば、電脳街の連中も少しは大人しくなるだろうしね。
 

レグホーン:てめぇ……
 

イザワ:……
 

レグホーン:……っと。いけないいけない。今はあんたの相手をしている場合じゃなかった。
 

アサギ:やめて!
 

レグホーン:おい、あんた。
 

イザワ:俺?
 

(レグホーン、イザワを抱き寄せ、強引に唇を奪う)
 

イザワ:!?
 

サンゴ:レグホーン!
 

レグホーン:あたしのものになりな。
 

イザワ:はぁ!?
 

アサギ:……最悪。
 

イザワ:ちょっと待ってくれ。
 

サンゴ:何勝手なこと言ってるの!
 

レグホーン:サンゴ、この男とはもう寝たの?
 

サンゴ:そんなわけないでしょ。
 

レグホーン:なら、あたしがもらっていっても問題はないよね。
 

サンゴ:なにを馬鹿なことを。
 

レグホーン:馬鹿なことがあるもんか。
 

サンゴ:だってイザワは私が
 

レグホーン:別にあんたのものじゃないんだろ?まだ。
 

サンゴ:……っ!
 

アサギ:でもあなたのものでもない。
 

レグホーン:だから今こうして正式に誘ってるんじゃないか。なあイザワ。あたしにしちゃあ、素晴らしく丁寧だと思うんだけど?


ヤナギ:サンゴ……
 

サンゴ:……それ、は
 

イザワ:断る。
 

レグホーン:ああ?
 

イザワ:俺は別に、ここに遊びに来たわけじゃない。純粋に君たちにインタビューをして、「楽園」の人間の偏見
 

レグホーン:大層な使命感だねえ。「楽園」の人間の考えを変えようたあ、さ。

 

イザワ:……
 

レグホーン:でもそれって、あんたは「こっち側の人間」ってことだよね。
 

イザワ:え?
 

レグホーン:「楽園」の人間の考えがおかしいと思うから、それを正そうとしているんだろ?つまり、あんたは既に「楽園」の統制から外れてる。あたし達をただの奇病患者として、見て見ぬふりをしたい存在として認識していないんだからね。
 

イザワ:あ……
 

レグホーン:くっくくくく……あーはっはっはっはっは!
 

ヤナギ:レグホーン?
 

レグホーン:面白くなってきた。いいさ。今日のところは引いてやる。明日は知らないけどね。 
 

アサギ:いいえ、これで終わりよ。全部、なにもかも。
 

レグホーン:アサギ。
 

アサギ:なに。
 

レグホーン:「愛染明王」のカードは、確かにあたしのカードだったよ。
 

アサギ:早く私たちの店から出て行って。
 

レグホーン:言われなくたって。あんたとヤナギだけなら何にも怖くないけど、サンゴもいるとなると分が悪い。……イザワ、だっけ?
 

イザワ:……なんだ。
 

レグホーン:今度はあたし達のアキバ電脳街にご招待するよ。
 

サンゴ:断る。
 

レグホーン:あたしはイザワに言ってるんだ。決めるのはイザワさ。じゃあね。
 

サンゴ:レグホーン、待って!

(少しの間)
 
ヤナギ:……あ、あの、サンゴ?アサギ?

 

アサギ:……帰って。
 

サンゴ:アサギ。
 

アサギ:イザワがいるだけでそこが「嵐」の中心地になる。迷惑だわ。
 

イザワ:……
 

サンゴ:でも、さ
 

アサギ:そもそもどうして、こんなところまでイザワを連れてきたの?
 

サンゴ:取材って言ってたから、色々見せようと思って。
 

アサギ:あなたはなんにも分かっていない。
 

サンゴ:そんなことは
 

アサギ:自分のことも。
 

サンゴ:え?
 

ヤナギ:………サンゴ、これ。
 

(ヤナギ、サンゴにカードを手渡す)

 

サンゴ:これ……
 

ヤナギ:サンゴのカードよ。
 

アサギ:「大日如来」のカード。
 

ヤナギ:その意味は、「光」と「根源」。最初は、私もアサギもどうしてこのカードが出たのか、よく分からなかった。でも、今はなんとなく分かる。だからこそ……私たちはもう嵐には踏み込みたくないの。ごめんなさい。
 

アサギ:私たちはこの「失楽園」での短い生に不満はないわ。こんな姿に生まれ落ちたことを呪ったこともあったけど、今は私にはヤナギが、ヤナギには私がいればそれで満足だから。どちらかが死ぬときは、もう一方もきっと死ぬ。

サンゴ:……

アサギ:無意味に生まれて無意味に死ぬわけじゃないから、死ぬときに孤独じゃないから、別に何も怖くない。それでじゅうぶんなの。
 

サンゴ:無意味……
 

ヤナギ:サンゴの身体の細胞のひとつひとつも、嵐にざわめいてる。私がアサギに出会った時のような、細胞が共鳴するような音がするの。
 

サンゴ:音?
 

ヤナギ:その時、私は、私とアサギはこの「失楽園」で結ばれるべきなんだって分かったし、それ以上は要らないって思った。
 

イザワ:すまない、一体どういうことなんだ。彼女は……ヤナギの言っていることは一体……
 

サンゴ:……アサギとヤナギには、少し不思議な力があるんだ。二人の占いは絶対に外れない。
 

イザワ:遺伝子異常で生まれた「果実」の特殊能力――そう例えば、前時代に存在していたサヴァン症候群のような、特定の患者にしか現れない症状のようなものか。
 

アサギ:そんな難しいことは私たちには分からない。でも、ヤナギには私以上の不思議な力があるのは事実よ。
 

ヤナギ:「感じる」の。ごうごうどどう、って震える音が……誰かの声みたいな音が、嵐の音が、サンゴのここから。


サンゴ:私の……お腹?
 

ヤナギ:きっとサンゴも特殊な「果実」なんだと思う。私たちと同じだけど、特別な細胞の声を持っている人。
 

イザワ:特別な細胞の……声?
 

ヤナギ:ごめんね、言葉にするにはちょっと難しくて……
 

アサギ:もういいでしょう?これ以上はヤナギが疲れてしまうわ。だからもう、帰って。
 

サンゴ:……
 

イザワ:俺のせいで、なんだかすまなかった。
 

アサギ:帰って。

【間】

―「失楽園」ダイバ/サンゴの家
 

イザワ:あと数時間で夜明けか。

サンゴ:……
 

イザワ:友達との間にヒビを入れてしまった。本当に、ごめん。
 

サンゴ:もういいよ。私だって、こんなことになるとは思わなかったから。
 

イザワ:そうか。
 

サンゴ:ねえ。
 

イザワ:なんだい。
 

サンゴ:ヤナギの言っていた「細胞の声」って、なんだと思う?
 

イザワ:君らに分からないものが、俺に分かると思うかい?
 

サンゴ:思わない。
 

イザワ:だろう?
 

サンゴ:……イザワは、どうして「失楽園」を取材しようと思ったの?本当に私たち「果実」への偏見をなくすため、なんて理由だったの?
 

イザワ:恥ずかしい話だけど、違う。
 

サンゴ:やっぱりね。そうだと思った。
 

イザワ:何故?
 

サンゴ:イザワの目が逃げてたから。使命を「追う」目じゃなかった。
 

(少しの間)

 

イザワ:……「評価」を上げたかったんだ。
 

サンゴ:「楽園」での?
 

イザワ:そう。ここ数か月ろくな記事を書いていなかったから、評価が下がり続けていてね。
 

サンゴ:だから、誰も触れたことのない「失楽園」のことを記事にして、一発逆転を狙ったってわけか。
 

イザワ:知ってるだろう?「楽園」じゃ人間を定期的に「評価」する。「評価」が下がれば、それだけ生殖のチャンスを失う。
 

サンゴ:ほんっとに変だよね。管理システムの「評価」だけで生殖を決めるなんてさ。相手だってシステムが選ぶんでしょう?
 

イザワ:大戦で減ってしまった人口を効率よく、そして質良く増やすための画期的なシステムらしいよ。一応。「楽園」の目的は「二度と過ちを繰り返さない優秀な人口の増加」だから。
 

サンゴ:生殖のチャンスを失うってことは、「楽園」での存在価値がなくなる、ってことなんだね。
 

イザワ:そういうこと。「楽園」はそこに住まう人がいてこそ「楽園」だ。人を増やせない者は、必要ない。
 

サンゴ:本当に変なの。
 

イザワ:それが、俺の世界だ。
 

サンゴ:……
 

イザワ:……
 

サンゴ:そう考えるとさ。
 

イザワ:ん?
 

サンゴ:この「失楽園」はまさに「失楽園」だよね。私たちは何も生み出せないし、増やせないから。
 

イザワ:……
 

サンゴ:そっちで恋をする人は、本当にもういないの
 

イザワ:……いたよ。というか、毎日どこかで誰かが恋をしてる。
 

サンゴ:その人たちは、どうなるの?
 

イザワ:「評価」が高いもの同士であれば黙認されてる。いい遺伝子を増やせるのなら願ったり、ってね。
 

サンゴ:そうじゃない人は?
 

イザワ:管理局に逮捕されて「再教育」を受けるか、その前に「楽園」外のどこかに行方をくらます。
 

サンゴ:「楽園追放」ってわけね。
 

イザワ:一応ジャーナリストだからさ、そういうのは沢山見てきたんだ。
 

サンゴ:……
 

イザワ:不思議だったよ。彼らは「楽園」ではほぼ思想犯扱いだってのに、皆見たこともないような満たされた顔をして、自分の運命を受け入れるんだ。
 

サンゴ:それで?
 

イザワ:今の「楽園」のシステムは人が一番幸福になれるはずのものなのに、どうしてだろうって思ってた。だから、そういう意味での好奇心もあったんだ。ここに来たのは。
 

サンゴ:好奇心。
 

イザワ:「楽園」のシステム外にあっても、幸せはつかめたりするんだろうか、って。
 

サンゴ:その答えは出せた?
 

イザワ:なんとなく、ね。
 

サンゴ:記事にするの?私たちのこと。
 

イザワ:多分。
 

サンゴ:それこそ思想犯扱いされるかもしれないのに?
 

イザワ:……
 

(少しの間)

 

サンゴ:それならさ、協力してあげようか。
 

イザワ:協力?
 

サンゴ:もっと取材しなよ。私の事。
 

イザワ:え。
 

サンゴ:私の細胞の声が嵐を告げているのなら、それはきっとイザワと出会ったことがきっかけ。だから、私も知りたいんだ。……自分の細胞が求めるものを。
 

イザワ:それはどういう
 

(サンゴ、イザワに口づける)
 

イザワ:……っ!
 

サンゴ:私は「果実」として生まれたことも、「失楽園」で暮らすことにも不満を持ったことはなかった。だって日々の楽しみはじゅうぶんにあったから。でもアサギとヤナギの話を聞いていたら、急に不安になったんだ。
 

イザワ:不安……

 

サンゴ:おそらく私が死ぬであろう二年後か三年後、死ぬときに誰も手を握っていてくれなかったら、確かに私はなんのために生まれたんだろうって。
 

イザワ:だからって
 

サンゴ:このままだと私は、何も生み出せないまま死ぬ。アサギとヤナギのように「愛」を育むこともなく、どうしようもなく孤独に、無意味に。
 

イザワ:……
 

サンゴ:きっとこの不安は、イザワの不安と似てるんじゃないかな。
 

イザワ:だから、俺に君を抱けと?
 

サンゴ:正攻法ではないけど、生殖はできるよ?少なくとも、私たちは何かを生み出すチャンスを得ることができる。生物として、意味のある存在にはなれる。お互いに悪い話じゃないと、思うけど。
 

イザワ:そういうことじゃないだろう。精子と卵子の話だけで片付くのか、君の問題は。 
 

サンゴ:でも、イザワはそういう世界の人でしょう?
 

イザワ:……っ
 

サンゴ:精子と卵子があれば成立する世界。
 

イザワ:そうかもしれないけど
 

サンゴ:「愛」が猥雑だと思うなら、そのままでいい。私は私で勝手に探り続けるから。自分の細胞の音の正体を。
 

(少しの間)
 

イザワ:……君は、卑怯だ。
 

サンゴ:なんで?
 

イザワ:そんな綺麗な顔で、そんなに割り切ったことを言われたら、俺の退路は完全に断たれたようなものじゃないか。
 

サンゴ:そんなことないよ。はねのけたかったらそうすればいい。
 

イザワ:……俺の
 

サンゴ:なに?
 

イザワ:俺の細胞の音は、きっとここに――「失楽園」に向かえって言っていたんだと思う。
 

サンゴ:……
 

イザワ:君やアサギやヤナギ、レグホーンの生命力に圧倒されて、少なからず共鳴を感じたんだ。ヤナギのように言うのなら、「うねるような音が聞こえた」。
 

ンゴ:私にも聞こえるかな、それ。
 

イザワ:聞こえたら、嬉しいな。

 

(イザワ、サンゴにくちづける)
(少しの間)

 

サンゴ:……聞こえる。これが、「細胞の共鳴」の音……。

 

(サンゴ、大きく息を吐く)

 

サンゴ:……すっごい。
 
【間】
 
―「失楽園」アキバ電脳街/レグホーンの根城

 

アサギ:嘘つき……!今日のところは、なんて言っておいてこんなこと……!
 

レグホーン:見逃してやるって言ったのはサンゴたちのことさ。あんた達のこととは一言も言ってないよ。
 

ヤナギ:レグホーン、どうして私たちを?
 

アサギ:決まってるわ、サンゴとイザワを呼び出す囮にするつもりなのよ。
 

レグホーン:おいおいおいおい。こっちのセリフを奪わないでくれるかな?
 

アサギ:やっぱり。
 

レグホーン:わざわざこっちがダイバエリアなんて僻地(へきち)に出向くのもあほらしいじゃないか。それに、サンゴと真正面からぶつかるのはいささか分が悪いって言ったろう?
 

アサギ:アキバ電脳街の女帝がずいぶんと弱腰ね。
 

(レグホーン、アサギを叩く)
 

アサギ:っ!
 

ヤナギ:アサギ!
 

(ヤナギ、レグホーンを睨みつける)

 

レグホーン:なんだヤナギ、あんたそんな目もできるんだね。ただのアサギのオマケかと思っていたけど。
 

アサギ:ヤナギに手を出さないで。殺すわよ。
 

レグホーン:威勢のいいこった。
 

アサギ:……私でも分かるわ。あなた、もうサンゴには勝てないのね。
 

レグホーン:は?
 

アサギ:何故あなたが二十歳を超えても生きているのか私には分からないけど、きっとその身体はやっと……少しずつ死に向かっている。そうでしょう?
 

レグホーン:……
 

アサギ:私はヤナギのように細胞の声を聞くことは出来ないけれど、流石に分かる。少し前なら速やかに、真正面から気に入らないものを壊しては、欲しいものを奪ってサンゴとぶつかってきたあなたが、今回に限ってそれをしないのは、できないからよ。
 

レグホーン:いいや、今回が特例中の特例だからさ。
 

ヤナギ:……イザワ?
 

レグホーン:女しかいないこの世界に男が来たんだ。この「失楽園」を変える男がね。あいつをモノにした女が「失楽園」の頂点に立つ。だから私は絶対にイザワが欲しい。そのためにより確実な手段を選んだ。それだけだ。
 

アサギ:あなたはなんのためにこの「失楽園」の頂点に立ちたいの?
 

レグホーン:群れの頂点に立とうとするのは、生物の本能だろう?頂点が無理なら群れの中で意味のある存在に、それも無理ならせめて役割を見つけて群れからはぐれない様に――どんな生き物にも存在する本能さ。
 

アサギ:それであなたは、頂点に立つことを望んだ。
 

レグホーン:そうだ。
 

ヤナギ:レグホーンも、生まれた意味が欲しかったのね。
 

レグホーン:なんだって?
 

ヤナギ:あなたの細胞が叫んでる。怒り狂って、ごごうごごうって。
 

レグホーン:怒り?
 

アサギ:「愛染明王」のカード……!
 

レグホーン:あっはははははは! 「愛欲」と「憤怒」ね。……確かにあたしはむかついて仕方ないよ。「楽園」の奴らが勝手に始めた、あたしらの知らない時代のふざけた戦争のふざけた名残を勝手にこの身体に刻まれて、こんな姿に生まれて、ゴミ箱に捨てるみたいに「失楽園」なんてふざけた名前の場所に押し込めてさ。舐めてるよねえ。
 

ヤナギ:やめて……
 

レグホーン:しかも二十歳までしか生きられないって?その年齢までにあたしらに出来ることってなんだ?ああ、サンゴみたいに好き勝手自堕落に生きればいいのか。アサギ、ヤナギ、お前らみたいに閉じた世界でままごとのような恋愛でもしていればいいのか。ばかばかしい。

 

アサギ:……
 

レグホーン:全部、全部やってみたさ。だけどなんにも意味なんかなかった。
 

ヤナギ:やめて……
 

レグホーン:そうさ、あたしの細胞が叫んでるんだ。これがあたしの「生きる意味」で「価値」だ。本来の寿命である二十歳を超えて、もう三年が経った。その事実を受け入れた瞬間、分かったのさ。

アサギ:レグホーン、これ以上呪詛を吐くのはやめて。ヤナギはそういう感情をぶつけられるのが苦手なの。ヤナギが壊れてしまう。
 

レグホーン:あたしは新世代の「果実」だ。子供を産んであたしのコピーを増やすんだ。そうして増えた新世代の「果実」を、「楽園」の連中は絶対に無視できない。ざまあみろだ。ああ想像しただけで絶頂を迎えそうだねえ。
 

(ヤナギ、涙を流し震える)

 

ヤナギ:あっ……あああ……
 

アサギ:レグホーン!
 

サンゴ:やめて!
 

アサギ:サンゴ!
 

レグホーン:ようサンゴ。随分早かったじゃないか。あたしは優しいから、夜まで待ってあげるつもりだったのにさ。
 

イザワ:ヤナギ、大丈夫かい?
 

アサギ:ヤナギに触らないで。
 

(ヤナギ、泣き続けている)
 

アサギ:イザワ、なんであなたまで来たの。あなたはすぐに帰るべきだったのに。最悪よ。ヤナギがこんな状態になったのも、あなたのせい。
 

イザワ:……。
 

サンゴ:……胸騒ぎがして、夜明けと共にもう一度アサギとヤナギの店に戻ってみたんだ。そうしたら、あんたの置手紙があった。ここで待つってね。

レグホーン:大した勘の良さだ。

サンゴ:レグホーン、いくらイザワをモノにしたいから、って流石にやりすぎだよ。
 

レグホーン:「最初に出会った」って武器を使って抜け駆けした卑怯者が良く言う。
 

サンゴ:……っ!
 

アサギ:サンゴ、あなたまさか……
 

イザワ:レグホーン、それは違う。俺が
 

レグホーン:あんたは黙ってな。……ねえサンゴ。認めなよ。結局、あんたもあたしも同類なんだって。
 

サンゴ:……そうなのかもしれない。
 

レグホーン:あんたがあたしを否定しないなんて珍しいじゃないか。
 

サンゴ:これまでは、あんたのその暴力的な生き方が理解できなかった。何を追ってそんなにぎらついているのか、一ミリも理解できなかった。でも、イザワに出会って――嵐に巻き込まれて、やっと分かったよ。私が今まで本能に目を瞑っていただけなんだって。私も「意味」と「価値」が欲しくて、「孤独」を恐れていたんだって。
 

レグホーン:……あたしは「孤独」は恐れちゃいなかった。前言撤回だ。
 

サンゴ:そう。
 

レグホーン:もういい。さっさとイザワを渡しな。あんたはもうモノにした。次は私の番だ。
 

イザワ:断る。
 

レグホーン:あ?
 

ザワ:ただの精子と卵子の話で済ませるなら、君は「楽園」の人間と何ら変わらない。は、それには乗れないよ。
 

レグホーン:驚いた。「楽園」の人間がそれを言うのかい?あんたまでそこのアサギやヤナギのように「愛」がどうこうってさ。
 

イザワ:そうだね。「楽園」では「愛」は低俗で猥雑なものとして忌避されている。確かにそれがなければ、人生は一気に整頓されるんだ。「清く正しく美しく」増えていける。けれど、「生殖の本能」に直結するそれをわざと無視して、どうやって「生」に突き進むんだろう、って、俺はここに来て疑問を覚えたんだ。
 

レグホーン:……
 

イザワ:だから、君の誘いには乗れない。
 

レグホーン:あんたの精子は……あたし達の――あたしの「希望」なんだよ!
 

イザワ:それでも乗れない。ごめん。
 

サンゴ:レグホーン、頼むから今回は諦めて。そしてアサギとヤナギを解放して。
 

レグホーン:自分勝手なことを。
 

サンゴ:それは分かってる。このままじゃあんたは何も得られず、何も為せず無意味に孤独に死んでいくことも。
 

レグホーン:あたしを憐れむな。
 

サンゴ:憐れんでなんかいない。もしかしたら、私がそうなっていたかもしれないんだから。そう、あんたが言うようにたまたま私が先にイザワに出会った、それだけの違いだもの。
 

レグホーン:もういい。それならこれまで通り力ずくで手に入れるだけさ。
 

サンゴ:……っ!

 

(レグホーン、咆哮を上げ駆け出そうとする)
(少しの間)


レグホーン:……え?
 

サンゴ:レグホーン、あんた……!
 

イザワ:身体が……茶色く……
 

アサギ:これが私たち「果実」の、死の知らせよ。……まさに「果実の死」って感じでしょう?
 

ヤナギ:こうやって一気に枯れて、やがて腐っていくの。
 

サンゴ:ヤナギ!
 

イザワ:もう大丈夫なのか?
 

ヤナギ:もう、レグホーンの細胞は何も喋らないから。
 

サンゴ:なんてこと……
 

レグホーン:は、ははっ……!どうしてさ……!どうしてこんなくそみたいなタイミングで……
 

イザワ:レグホーン……
 

レグホーン:二十歳を超えて生きていられたのは……ただの偶然だったとでも言うのかよ……。なんの意味もなかったって言うのかよ……畜生……

(レグホーン、どうと倒れる)
 

サンゴ:レグホーン!
 

レグホーン:触るな!
 

サンゴ:っ!
 

レグホーン:あたしは認めない。あんたが種(しゅ)として選ばれたなんて認めない。「楽園」も「失楽園」も認めない。
 

イザワ:……
 

(イザワ、レグホーンの傍らにひざまずき、その手を握る)

 

レグホーン:イ、ザワ……
 

イザワ:本当は俺が手を握るのなんて嫌だろうけどさ。でも、ほっとけない。

レグホーン:あたしの誘いを断っておいて……本当に勝手な男だな……

 

イザワ:生きる意味を奪われる怖さは、俺も「楽園」で経験してるから、ある意味同類なんだよ、君と。

 

レグホーン:知るかよ。同じセリフを吐いてサンゴとちゃっかりデキちまった男の話なんて聞きたくないね。

 

イザワ:だよね。

 

レグホーン:まあでも、手くらいなら許してやるよ。「失楽園」にやってきた男に看取られるなんて、なかなかに価値のあることだろうから……さ。

 

アサギ:……

 

レグホーン:あたしは……誰にも謝らねえし、媚びねえぞ……あたしは、あたしの欲しいものを追いかけただけ、だ……。誰にも迷惑なんかかけちゃ、いない……。

 

サンゴ:ねえ、レグホーン

 

レグホーン:サンゴ。

 

サンゴ:……なに?

 

レグホーン:あたしが、先だ。

 

サンゴ:なにが?

 

レグホーン:先に男に……イザワに手を握られて死ぬんだ……。あんたは、二番目……。

 

サンゴ:……っ!

 

(レグホーン、笑う)

 

レグホーン:ああ、その面が見たかった。つまらねえ女の顔しやがって。ざまあみろ……!ざまあ、みろ……!

 

(レグホーン、息絶える)
 
【間】

―朝/「失楽園」ダイバエリア

 

アサギ:久しぶりにダイバエリアに来たけど、本当によくもまあこんな何にもない端っこで暮らしてるわよね。

サンゴ:大きなお世話。

アサギ:……めちゃくちゃだったわね、この二日間。

 

イザワ:……

 

アサギ:あなたのせいよ。何もかも。

 

ヤナギ:アサギ……

 

イザワ:そうだね。ごめん。それでも、俺は逃げたくはなかったんだ。「失楽園」の嵐として君たちやサンゴに関わった以上――サンゴと共鳴してしまった以上、全て見届けたくなったんだ。

イザワ:生きる意味を精子と卵子のみに割り切った「楽園」と、「恋愛」という幻想に求めた「失楽園」の、どちらが一体「楽園」なのだろう、って。

 

アサギ:どっちもくそくらえだわ。

 

イザワ:なあアサギ、ヤナギ。君たちには見えていたんだろう?全ての結末が。だからこの「大日如来」のカードをサンゴに渡した。

 

アサギ:サンゴは私たち「果実」の「光」であって、「楽園」でも「失楽園」でもない、新しい世界の「根源」になる存在。私たちに見えたのはそれだけよ。

 

ヤナギ:イザワが来たから、全てのパーツがはまって意味を成したの。

 

アサギ:それでも本当は、覆したかったのよ。

 

イザワ:何故?

 

アサギ:言ったでしょう?私はヤナギがいればいい、って。私に意味を見出して、その死の瞬間を一緒に迎えてくれる存在がいれば、正直その周りの世界なんてどうだっていいの。むしろ邪魔なだけ。

イザワ:……それはまさしく「恋」だね。

 

アサギ:ヤナギより私の方がよっぽどヤナギに「恋」をしてるの。

 

ヤナギ:同じことを、私もアサギに思ってる。

 

サンゴ:私とイザワはきっとそうはならないね。だからきっとこれは「恋」じゃない。

 

イザワ:サンゴ……

 

アサギ:そうね、だってサンゴとイザワの「恋」は、世界を変える恋だもの。

 

サンゴ:え?

 

ヤナギ:旧時代の本で読んだんだけど、「恋」って悲劇で終わるものばっかりなの。

 

アサギ:私とヤナギの恋も、ある意味悲劇だものね。実際は何も残せないし、長く共に生きることもできないから。

 

サンゴ:だから?

 

ヤナギ:「恋」が悲劇なら、きっともう二度と会うことがないサンゴとイザワの関係も、「恋」と呼んでいいんじゃないかな。

 

サンゴ:ヤナギ……

 

(少しの間)

 

イザワ:……生き物には、その「種(たね)」を遠くへ遠くへと運んでもらうようプログラムされているんだってさ。

サンゴ:え?

イザワ:俺はここには残らない。残れない。「失楽園」では俺は、嵐にしかならなそうだから。第二第三のレグホーンが現れないとも限らないからね。

サンゴ:そうだね。

イザワ:俺は残らない。そして「楽園」に戻って……ありのままを書くよ。アサギとヤナギの「恋」、レグホーンの「執着」、サンゴとの……「恋」について、全部。

 

サンゴ:でも、そうしたら……

 

イザワ:「楽園追放」か逮捕だ。

サンゴ:あんたは、本当にそれでいいの?

 

イザワ:そこでさっきの種(たね)の話さ。

 

サンゴ:遠くへ運んでもらうって話?

 

イザワ:そう。俺の遺伝子は、遠く海を超えて君のなかに残った。アサギとヤナギの言葉から察するに、そうなんだろう。

 

サンゴ:……

 

イザワ:だとしたら、俺は「楽園」の誰よりも遠くへ移動したことになる。生物として、俺の方がよほど優秀なんだって思える。だから平気さ。

 

サンゴ:その発想、嫌い。

 

イザワ:そう言うと思ったよ。

 

サンゴ:まあいいや。所詮別世界の話だもの。私はここで、私とあんたの「果実」を産み落とす。それだけ。

 

ヤナギ:その子は、また新たにここに来る「果実」と「恋」をするわ。

 

アサギ:そうやって、少しずつ「失楽園」は変貌する。「楽園」からしたら、より不純に、猥雑にね。

 

ヤナギ:レグホーンの言う通り、「楽園」は無視できない。でもあまりにも不純だから、手は出せない。

 

サンゴ:笑っちゃうね。

 

イザワ:君たちのその髪と瞳の色は奇病なんかじゃなくて、「進化」だったのかもな。人が「新世界」に行くための、「進化」。

 

サンゴ:それを決めるのは、もっと未来の人間だよ。

 

イザワ:……サンゴ。

 

サンゴ:なに?

 

イザワ:ありがとう。

 

サンゴ:……私が育ててる星の名前、さ。

 

イザワ:ゲームの?

 

サンゴ:うん。……「イザワ」に変えておく。

 

イザワ:光栄だね。

 

(サンゴ、微笑む)

 

イザワ:……それじゃあ、さよなら。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【幕】

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