#54「混沌に吠えろケモノたち。」
(♂2:♀2:不問0)上演時間30~40分
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アキ
【宇志川アキ(うしかわあき)】女性
女子高生。ある事件に巻き込まれ逃げ出したところを「何でも屋」狗飼に拾われる。
狗飼
【狗飼渉(いぬかいわたる)】男性
「何でも屋」の男性。アキを拾う。
狼谷
【狼谷キリコ(かみやきりこ)】女性
狗飼と共に「何でも屋」を営む女性。医療技術に長けている。
鷺島
【鷺島達也(さぎしまたつや)】男性
探偵。狗飼・狼谷にたびたび協力している。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―「何でも屋」
(室内の衝立で仕切られたスペース)
(衝立の向こうのソファの上で眠っていたアキが目覚める)
アキ:……はっ!
鷺島:お、やっと起きたかい?
(アキ、飛び起きる)
アキ:ここは!?それに、あなたは?私、一体
鷺島:ストップストップ!一度に質問するんじゃないよ。ほら、とりあえず水を飲みなさい。丸一日眠っていたんだ、喉が渇いたろう?
アキ:あ……。ありがとうございます。
鷺島:まあ驚くのも無理はない。ひとつずつ説明するから、大丈夫。
アキ:じゃあ
(アキ、むせる)
アキ:げほっげほっ!
鷺島:焦ることはない。それを飲みながらでいいから、まあゆっくり聞きなさいよ。
アキ:……はい。
鷺島:本当はあの人が説明するのが早いんだけど、あいにくと今は仕事で外していてね。
アキ:あの人?
鷺島:いずれ帰ってくるだろうから、それはまた後で。
アキ:……はい。
鷺島:俺は鷺島(さぎしま)。探偵だ。
アキ:それじゃあ、ここはあなたの……?
鷺島:いいや違う。ここはね、俺のビジネスパートナーでもある「何でも屋」の事務所さ。
アキ:何でも屋?
鷺島:その名の通り、頼まれれば何でも引き受ける連中だ。それこそ、あんまり大きな声で言えないことまで、ね。
アキ:……
鷺島:どうしてそんなところに?って顔だね。
アキ:そりゃあ……そうですよ。
鷺島:ま、それももっともだ。ではまずそこから話そうか。……お、ちょうどいいところに帰ってきたな。
(狗飼・狼谷が入ってくる)
鷺島:狗飼(いぬかい)さん!お姫さまがお目覚めだ。状況を説明してやってくれないか。
狗飼:……分かった。
狼谷:待った待った!狗飼、あんたそんな格好でお姫さんの前に出るつもりかよ?
狗飼:まずいか?
鷺島:ん?……おっと、確かに少しまずいな。お嬢さん、しばらくその衝立の後ろからは出ないほうがいい。
アキ:は、はい。
鷺島:全く、血まみれじゃないか。一体どうやったらその格好のまま帰ってこられるんだい?
狗飼:車だったから。
鷺島:……皮肉のつもりだったんだけどねぇ。
狼谷:おっさんにそんなもん通用するわけないだろう?とにかく、おっさんはシャワー!代わりに、あたしがサギさんと一緒に、お姫さんの相手をしとくから。
狗飼:分かった。
アキ:あの……
狼谷:ごめんよお姫さん。いきなり物騒な会話を聞かせちまってさ。
アキ:いえ、それは全然。
狼谷:なら良かった。
鷺島:へえ、存外に肝の据わったお嬢さんだ。
アキ:……
狼谷:サギさん、あんたどこまで話した?
鷺島:ここが「何でも屋」だ、ってところまでかな。
狼谷:オーケイ。んじゃその続きからいこう。
狼谷:あたしは狼谷(かみや)キリコ。キリコでいいよ。さっき声だけ聞こえた狗飼っておっさんと、ここで「何でも屋を」やってる。
アキ:もしかして……「あんまり大きな声では言えない仕事」の帰りですか?
狼谷:なんだサギさん、そんなことまで話したのかよ。
鷺島:いずれは知ることだろう?
狼谷:……まあね。
アキ:……
狼谷:そう、あたし達は「何でも屋」。それこそ、そこのサギさんみたいな真っ当な探偵仕事もするが、依頼さえありゃ多少の荒事もこなす。
アキ:だから、血まみれ。
狼谷:察しのいい子だ。助かるよ。
アキ:あなた達のこと、ここのことは、分かりました。それで、改めて聞きたいんですけど、私は何故ここに?
狗飼:このビルの裏で倒れていたんだ。
狼谷:おうおっさん。相変わらず早いね。ちゃんと洗い流したのかよ……って、おい。
(何も着ていない狗飼がやってくる)
鷺島:あーあ。
アキ:きゃあ!
【間】
鷺島:……いやあ、すまなかったね、お嬢さん。
狼谷:いつものことだから、うっかりしてたよ。汚いもの見せちまったね。おっさん、ちゃんと服は着たかい?
狗飼:もう大丈夫。……すまなかった。
アキ:いえ。ちょっとびっくりしましたけど、平気です。
狗飼:そうか。
アキ:えーっと……
狗飼:……
狼谷:ああ、ごめん。おっさん、ちょっと度を越した不愛想なんだ。
鷺島:そういうこと。ほら狗飼さん、このままじゃ情報が足らな過ぎだ。もっと詳しく話してあげなきゃ。
狗飼:……昨日の午後、仕事から戻ったら、君が、このビルの路地裏に倒れていた。頭から血を流して。服は血だらけで汚れていたけれど、乱れてはいなかった。だから、連れてきた。
アキ:どうして私が、そんな……
鷺島:もしかして、覚えてないのか?
アキ:すみません、学校から帰るところから、今日までの記憶が全く……
狼谷:頭の打撲によるものか、それともなんらかのショックによる一時的な健忘か。それとも両方かな。いずれにせよ、まあ予想はできたことだね。
狗飼:怪我をしていたからキリコに診せた。キリコは医師免許を持っているから。傷の手当てだけして、あとは寝かせておけばいいとキリコは言った。けれど、僕たちは今日も仕事があった。だから、鷺島さんに頼んで、君についていてもらった。……以上だ。
アキ:……
狼谷:はい、よくできました。
鷺島:狗飼さんにしては上出来だね。
狗飼:ここからは、キリコに任せる。僕は疲れた。寝る。
アキ:えっ?
狼谷:ああ、お疲れさん。あとはまかしときな。
鷺島:それじゃあ俺も、そろそろ自分の事務所に戻るかな。リクが待っているからね。
狼谷:新しい助手かい?
鷺島:そ。よく働くいい子でね。助かってるよ。
狼谷:そりゃよかった。
狼谷:また近いうちに連絡するよ。多分色々と、情報が必要になるだろうから。
鷺島:情報、ね。了解。じゃ、俺はこれで。
(鷺島、部屋を出ていく)
狼谷:……ま、気になることはまだあるだろうけど、今はお姫さんも眠っときな。まだ本調子じゃないだろうしさ。
アキ:あの……
狼谷:ん?
アキ:その「お姫さん」、ってやめてもらえませんか。
狼谷:だって名前を知らないんだもんよ。
アキ:だって……誰も聞かないから。
狼谷:そういやそうだったね。
アキ:普通、聞いたりしません?
狼谷:あたしらみたいな人種には、人の名前なんて必要ないからね。わざわざ聞く、って選択肢がないのさ。
アキ:え?
狼谷:名前を知ると、目の前の相手がはっきりと「人」になるだろう?
アキ:どういうことですか?
狼谷:たとえばさ、これから殺そう、殺さなければならないかもしれないって相手がいるとして、それが「人」であるのとそうでないのとでは、心持ちが違ってくるだろう?
アキ:つまり?
狼谷:だから目の前の相手は「人」だと思わないでいる方がいいってこと。
アキ:情が移る、とか?
狼谷:そんな大層なもんじゃないよ。自分の手が血で汚れることを、正当化しているだけさ。
アキ:そう、ですか。
狼谷:さ、もう寝た寝た。明日には色々聞いてやるからさ。
アキ:分かりました。とにかく……助けていただいてありがとうございました。
狼谷:ん。
アキ:おやすみなさい。
(少しの間)
狼谷:……あ、結局名前、聞かなかったな。まあ、いいか。……必要のない「情報」さ、「名前」なんて。
【間】
―翌朝
狗飼:……おはよう。
アキ:おはよう、ございます。
狗飼:……
アキ:……
狗飼:シャワー、浴びる?
アキ:そうできたら嬉しいです。
狗飼:こっち。タオルと着替えは……これでいいか。キリコのだから、大丈夫。
アキ:はい。
狗飼:じゃ、僕はこれで。
アキ:あの、ありがとうございます。
狗飼:あ、そうだ。
アキ:は、はい。
狗飼:名前。
アキ:え?
狗飼:君の、名前。
アキ:宇志川(うしかわ)……宇志川アキ、です。
狗飼:ふうん……?
アキ:なんですか?
狗飼:いい名前だと思うよ。
アキ:そう、ですか?あんまり好きな名前じゃないんですけど。
狗飼:そうか。……じゃ。
【間】
(鷺島がやってくる)
鷺島:やあ、おはよ。あれ?キリコさんは?
狗飼:さあ。
鷺島:出かけちゃった?最近よくすれ違うなあ。
狗飼:何の用?
鷺島:情報、だよ。
狗飼:頼んでたっけ?
鷺島:いや、これは個人的な好奇心。
狗飼:珍しいね。
鷺島:探偵なんてやつは、好奇心の塊さ。幸い、うちの助手も有能だしね。
狗飼:そうか。
鷺島:それに、いつまでもあの子をここに置いておくわけにはいかないだろう?
狗飼:アキ。
鷺島:ん?
狗飼:宇志川アキ。
鷺島:もしかしてあの子の名前かい?
狗飼:ああ。
鷺島:まさかと思うけど……狗飼さん、あんた自分から聞いたのか?
狗飼:そうだけど。
鷺島:なんてこった。明日は槍でも降るんじゃないか?
狗飼:どうして?
鷺島:いや、気にしないでくれ。それに名前が分かれば、この情報の有用性も高くなるかもしれない。お手柄だよ、狗飼さん。
狗飼:内容は?
(鷺島、狗飼に書類を渡す)
鷺島:これ。
狗飼:……
鷺島:あの子の様子から見て、恐らくなんらかの事件に巻き込まれた、と考えるのが妥当だと思ってね。
狗飼:……腕と、手の甲の注射痕?
鷺島:腕だけでなく手の甲までがあんな痣になるまで注射をうつなんてことは、そうそうないだろう?恐らくあの子は、かなり頻繁になんらかの薬剤の投与を受けていたはずだ。
狗飼:……
鷺島:そういうわけで、この辺の十代から二十代の女性に関連する事件を当たってみたんだ。
狗飼:それが、これ?
鷺島:そう。とりあえず直近三か月で調べてみたんだけど、この街だけでなんと20人近くの女性が行方不明になっている。男性も入れればもっとだ。
狗飼:多いな。
鷺島:そのほとんどが非認可の店の風俗嬢みたいなアンダーグラウンドの人間や家出人だったから、あまり騒がれなかったようだね。
狗飼:行方不明者どうしの接点もなし、か。
鷺島:日本の一日あたりの行方不明者数を考えれば大したことのない数字だけど、この街だけでと考えると、どうにも引っかかってね。
狗飼:……
鷺島:で、こっち。
狗飼:隣の県の工事現場からごっそり死体が出てきた件か。これなら知ってる。
鷺島:ああ。ほとんどが白骨化していて身元が分からない、ってんで、復顔で生前の顔を復元して、身元調査を行っているそうだ。
狗飼:……こっちのリストにある行方不明者との照合は?
鷺島:なにせどちらも数が多いから、まだ全ての照合は終わっていないが、半分以上は一致したんだと。
狗飼:なるほど。
鷺島:昨日の今日だからここまでしか調べられなかったんだけど、あの子となんらかの関係がある可能性もゼロでは
狗飼:あった。
鷺島:え?
狗飼:宇志川アキ17歳。御空(みそら)高校2年。
鷺島:なんだって?
狗飼:行方不明者リストに、名前があった。これ。
鷺島:……本当だ。しかし不自然だな。
狗飼:うん。
鷺島:他の行方不明者は、言っちゃあ悪いが行方が分からないままでも特に問題にされることのなさそうな連中ばっかりだ。どうして彼女だけ。
狗飼:何かを見てしまった、とか。
鷺島:ありきたりだが、ま、それが妥当な線だな。
狗飼:……
鷺島:いずれにせよ、まさかここまでビンゴだとは思わなかった。もう少し詳しく調べてみよう。今日はこの後依頼人に会わなきゃいけないんだが、なるべく急ぐよ。
狗飼:頼む。
鷺島:おまかせあれ。それじゃ。
【間】
(狼谷、帰ってくる)
狼谷:あれ、この香水の匂い。サギさん来てた?
狗飼:ああ。情報を持ってきた。
狼谷:ふぅん。頼んでもいないのに、あの人もなんだかんだマメだね。
(狼谷、机に置かれた書類を見る)
狼谷:……この街の行方不明者と、隣町の死体の山、か。
狗飼:そんなことより、どこへ行ってた?
狼谷:ちょっとね。
狗飼:相変わらずの放浪癖?
狼谷:ま、そんなとこ。
狗飼:今はアキもいる。あんまり勝手に出歩かないようにしてほしい。
狼谷:はいはい。悪かったよ。……ん?
狗飼:なに。
狼谷:アキ、っていうのかい、お姫さん。
狗飼:ああ。教えてもらった。
狼谷:サギさんに?
狗飼:僕が聞いた。
狼谷:……まじかよ。
狗飼:サギさんも驚いてた。
狼谷:そうだろうね……。で、お姫さんは?
狗飼:今シャワーを浴びてる。そろそろ出る頃だと思うけど。
(アキ、浴室から出てくる)
アキ:あの、シャワーありがとうございました。すみません、つい長くなっちゃって。
狼谷:いいよいいよ。昨日入れてないんだ。気持ち悪かったろ。
アキ:少しだけ。
狼谷:さっぱりしたかい?
アキ:はい、すごく。本当にありがとうございました。
狼谷:よし、それじゃ丁度いいから、身体の具合を見ようか。
アキ:お願いします。
狗飼:僕は少し出る。邪魔だろうから。
狼谷:ああ、分かった。今日は仕事もないし、のんびりしてきたら?
狗飼:……すぐ戻る。
【間】
狼谷:……うん、頭の傷もすっかりふさがってる。問題ないね。
アキ:よかった。
狼谷:次は……っと。ああ着たばかりで申し訳ないんだけど、上着を脱いでくれる?
アキ:はい。あ、洋服。勝手にお借りしてすみません。
狼谷:ああ、いいって。安モンだし、気にしないで。
アキ:ありがとうございます。
狼谷:……お腹の傷の経過は良好だね。まあもともとの手術痕が少し開いただけだし、そんなに心配はしていなかったけどさ。
アキ:……
狼谷:うん、感染症の心配も無さそうだ。至って健康。オーケイ、服着ていいよ。
アキ:あの、キリコさん。
狼谷:なに?
アキ:私の身体のこと、狗飼さんや鷺島さんには、まだ話していないんですか?
狼谷:ああ。お姫さんの気持ちの問題もあるし、勝手に話すのもどうかと思って。
アキ:そうですか。
狼谷:それで?
アキ:……はい?
狼谷:あんたはこの後、どうするつもり?
アキ:……
狼谷:あんたが何らかの事件に巻き込まれたであろうことは、容易に想像がつく。そこから逃げだして、ここに辿り着いたんだろうってことも。でも実際、何が解決したわけでもない。
アキ:……これ以上、皆さんにご迷惑をおかけするわけにもいかないですよね。
狼谷:逆だよ。
アキ:え?
狼谷:しばらくはここにいるといいよ、ってことさ。これも何かの縁だ。ほとぼりが冷めるまでいるといい。いいや、いた方がいいと言った方がいいか。
アキ:でも……
狼谷:狗飼が。
アキ:え?
狼谷:あんたの名前を聞いちまったからね。
アキ:名前……
狼谷:あんたはあたしらにとって、意味のある存在になっちまったんだ。昨夜の名前の話、覚えているだろう?
アキ:それだけの理由で?
狼谷:人が人に手を貸す理由なんて、そんなもんさ。それに、狗飼も何故か、そして珍しくあんたを気に入ってる。あのおっさんはあれで義理堅い。安心しな。
アキ:はい……。
狼谷:不服かい?
アキ:いえ、そんなことは。むしろ助かります。家族は私がいなくなってもそれほどは困らないでしょうけど、何も事が解決していない以上、私が帰ることで家族に迷惑がかかるかもしれないのは嫌です。
狼谷:行方不明の届けは出ているみたいだけど?
アキ:一応、ご近所の目もあるでしょうから。
狼谷:……わけあり、ってやつか。
アキ:……
狼谷:ま、深くは聞かないでおくよ。私が知る必要のないことだ。
アキ:本当に、ありがとうございます。
狼谷:……さて、あたしはまた少し出かけるよ。お姫さんはもう少し休んでな。
アキ:あの!
狼谷:なんだい?
アキ:しばらくここに置かせてもらう以上、私にも何かお手伝いをさせてくれませんか?
狼谷:手伝い、ったって、あんたにできることなんかないよ。
アキ:そう、ですよね……。
(少しの間)
狼谷:じゃあ!あたしらが留守の間、そこの溜まった皿でも洗っておいてよ。あたしもおっさんも片づけが苦手でさ。やってもらえると助かるんだけど。
アキ:はい!分かりました!
狼谷:じゃ、私もまたちょっと出かけるから、皿洗い、よろしくね。
【間】
――深夜1時
(アキがソファで眠っている)
アキ:あ……私、寝ちゃってたんだ……。えっと……1時、か。結構寝ちゃったな。キリコさん、まだ帰ってないのかな。
(隣室から狗飼の声)
狗飼:……さん
アキ:え?
狗飼:お……か……さ……
アキ:あのぅ、狗飼さん……?
(狗飼の泣き声が聞こえる)
アキ:あの、入りますね、狗飼さん。
(アキ、部屋に入る)
(ゴミ袋をかぶり段ボール箱のなかに座る狗飼が泣いている)
アキ:……ひっ!
(狗飼、静かに泣き続けている)
アキ:段ボールと……ゴミ袋……?……狗飼さん?
狗飼:お……かあ、さ……
アキ:やっぱりこの袋のなか……狗飼さんだ……
狗飼:おかあさん……
アキ:寝言……?
(少しの間)
(狗飼、泣き続けている)
アキ:……
(アキ、狗飼をゴミ袋ごと抱きしめる)
アキ:大丈夫。大丈夫ですよ、狗飼さん。私がいます。だから、大丈夫ですよ。
(狗飼、目を覚ます)
狗飼:……君、は。
アキ:あっ、す、すみません。起こしちゃいましたか。その、覗くつもりはなかったんですけど、泣き声が聞こえたから、つい、えっと、その……
(狗飼、ゴミ袋を取り、立ち上がる)
狗飼:驚かせた。すまない。
アキ:いえ、そんなことは。
狗飼:……
アキ:……
狗飼:少し、外に出ないか。
アキ:え?
狗飼:目が覚めたから。屋上。
アキ:あ、はい。
【間】
―屋上
アキ:わあ、綺麗……!
狗飼:うん。
アキ:5階建てのビルの屋上からでも、結構綺麗に見えるものなんですね、夜景って。
狗飼:そうなんだ。だから僕は、たまにここに上がって、煙草を吸う。
アキ:……あのぅ
狗飼:ん?
アキ:嫌ならいいんですけど。
狗飼:なに?
アキ:どうしてあんな……部屋の隅で、しかも段ボールの中でごみ袋なんか被っていたんですか?
狗飼:知りたいの?
アキ:だから、話したくないなら、いいんですけど。
(少しの間)
狗飼:僕はこの街で生まれてね。
アキ:……
狗飼:あ、僕話すの上手くないけど、平気?
アキ:はい、全然。
狗飼:うん。
(少しの間)
狗飼:僕は、5歳ごろまで、親と一緒に暮らしていたらしい。らしい、っていうのは、僕の記憶は、親に捨てられたところから、始まっているから。
アキ:捨てられた……?
狗飼:「ここで座って待っていなさい」って声と一緒に、僕の視界はごみ袋で遮られていった。うん、それはよく覚えてる。……とはいえ、次の記憶は、もう養護施設で生活している時のものなんだけどね。
アキ:……
狗飼:……で、気付いたら、僕は何故か、あの時と同じ、段ボールの中でごみ袋をかぶって座っている状態でないと眠れなくなっていた。そういうわけ。
アキ:そう、ですか。
狗飼:うん。
(少しの間)
アキ:……夜景、綺麗ですね。
狗飼:うん。でもね。
アキ:はい。
狗飼:綺麗で整然として、秩序立っているけれど、同時に闇と混沌も、必ず同じ場所に、同じだけ存在しているんだ。
アキ:闇と、混沌……。
狗飼:僕は、そんな闇と混沌のなかで生まれて、育った。だから、そこでしか生きていけない。キリコも、そう。
アキ:キリコさんも?
狗飼:キリコとは養護施設の時から一緒で、あいつは自力で医師免許を取るまで頑張ったけど、結局明るい世界にはなじめず、こうしてここにいる。
アキ:なんだか、悲しいです。
狗飼:いいや。自分たちの生まれ育った場所にいるだけだから。これが普通なんだよ。
アキ:二人とも、こんなに優しいのに。
狗飼:優しい?
アキ:鷺島さんだって、優しいです。みんな、こんな私を、何も聞かず、何も言わずに受け入れてくれました。ここにいてもいい、って言ってくれました。
狗飼:それは、キリコが?
アキ:はい。
狗飼:……そうか。
(少しの間)
アキ:……戻りましょうか。狗飼さんの声と話し方、すごく落ち着くから、私、眠くなっちゃいました。
狗飼:落ち着く?
アキ:はい。小さなお子さんとかいたら、一発で寝かしつけられる、素敵なお父さんになりそう。
狗飼:……うん。
アキ:あ、変なこと言っちゃいましたね。
狗飼:……いいや。僕はもう少しこうしてる。戻りたければ戻っていいよ。
アキ:はい。それじゃあ私は先に戻っていますね。
狗飼:階段、急だから気を付けて。
アキ:狗飼さん。
狗飼:うん?
アキ:今度、読み聞かせしてみてもいいですか?
狗飼:僕に?
アキ:はい。ボランティアで保育園なんかに行っていた時によくやっていたんです。結構好評だったんですよ。だからもしかしたら……狗飼さんも泣かないで眠れるかも、なんて。
狗飼:え。
アキ:試させてくださいね。それじゃ、おやすみなさい。
【間】
―鷺島の探偵事務所
鷺島:ああ、狗飼さん。待ってたよ。
狗飼:話は大体分かってる。
鷺島:なんだ、自分でも調べていたのかい?
狗飼:隣町の白骨死体の件。
鷺島:正解。
狗飼:見つかった白骨死体には、リンやカルシウムといった臓器の蓄積物が一切残っていなかった。
鷺島:ああ。眼球にいたるまで、すっぽりと。まるで最初からそんなものはなかったかのように、ね。
狗飼:臓器売買。
鷺島:そういうこった。
狗飼:アキも、臓器を抜かれている。
鷺島:……
狗飼:キリコは僕に何も言わないけれど、助けた時に見えたんだ。下腹部に、大きなガーゼが。その位置と、その後正常に生活できていることから考えると、抜き取られたのは、恐らく腎臓。
鷺島:やはり何かを目撃してその口封じも兼ねて――ってところか。生命維持に支障のない臓器から抜き取って、延命措置を行うことで、できるだけ他の臓器を新鮮なまま摘出していこう、って寸法だろうな。白骨死体の状態でなんとなくそのやり口は予想していたけれど、生きた証拠を目の当たりにすると、まったく反吐が出るね。
狗飼:黒幕は、隣町の千寿(せんじゅ)バイオ研究所。
鷺島:なあ、狗飼さん。
狗飼:千寿バイオの責任者である塚原透(つかはらとおる)は
鷺島:狗飼さん。
狗飼:キリコの大学時代の、同期だ。
鷺島:せめて二日、いや一日待てないか?こんな時に限って、これから俺は、依頼のためにリクと少し遠くまで出かけなきゃならない。せめて俺が帰るまで、待てないか?
狗飼:キリコがこのまま悠長にアキを手元に置いておくとは、思えない。隙を見て、再度拉致、監禁するだろう。
鷺島:……
狗飼:鷺島さん、色々ありがとう。僕は、行くよ。
鷺島:待て、狗飼さん!
(鷺島、狗飼の腕をつかむ)
(一枚の写真が落ちる)
狗飼:あ
鷺島:……ん?これは、あの子の写真か?いや違うな、もっと古い。
狗飼:……僕の母親だ。
鷺島:なんだって?
狗飼:これだけが僕に残された、光の記憶。
鷺島:……そうか。そういうことか。
狗飼:……
鷺島:彼女を救うことができれば、自分ももうごみ袋の中で眠らないで済むと思っているのか。
狗飼:分からない。
鷺島:……
狗飼:……
鷺島:分かった。気を付けていってこいよ。
狗飼:ああ、あんたもね。
【間】
―千寿バイオ研究所/処置室
(手術台の上に猿轡を噛まされたアキが横たわっている)
アキ:んーっ!んーっ!
狼谷:おいおい、あんまり暴れんなって。変なとこ傷つけたらどうするんだよ。あんたは大切な商品なんだ。もう少し自分のカラダを労われ、ってな。……はっ!我ながら気の利いたジョークだ!あははははは!
アキ:んんーっ!
狼谷:おっさんがあんたを拾ってきた時はどうしようかと思ったけど、あんたが記憶を失くしていたのはラッキーだったよ。あんたが自分の身体のことを、サギさんやおっさんに話さなかったのもね。
アキ:ん……む……!
狼谷:なんで話さなかったんだい?心配かけたくなかった、とか、巻き込みたくなかった、とかそんな感じ?
アキ:むむ……
狼谷:まあいいか。余計な「情報」は「名前」と同じくらい不要、ってね。お姫さん。
アキ:……
狼谷:ちょうど肝臓の注文が入っているんだ。眼球もすぐに買い手がつくだろうよ。
アキ:んん……
狼谷:さ、麻酔をしよう。10分もあれば眠くなって、目が覚める頃には全てが終わってる。安心して眠っていいよ。
狗飼:そこまでだ。
狼谷:……おっさん。
狗飼:そこまでだ、キリコ。
狼谷:やっぱりバレてたか。
狗飼:ある時から、出歩いて帰ってきたお前の身体から、エタノールと血の匂いがするようになった。だから、おかしいとは思っていたんだ。
狼谷:鼻が利きすぎるのも困りもんだね。名は体(たい)を表す……ってか!
(狼谷、狗飼にメスを突き付ける)
狗飼:くっ!
狼谷:ここはあたしの庭みたいなもんだ。図体のでかいおっさんにはちょっと分が悪いんじゃない?
狗飼:……そうかもしれない。
狼谷:映画ならこんな時、派手にドンパチするんだろうね。それが現実は薄暗い手術室で冴えないおっさんと、誰にも知られることのない一騎打ちだ。悲しいよねえ。
狗飼:暗がりで生きるってのは、そういうことさ。
狼谷:……分かったようなこと言うなよ。昼も夜も変わらないような暗がりしか知らないくせに。暗がりのゴミ溜めで血に塗れて、ごみ袋をかぶってすすり泣くだけのおっさんがさあ。
狗飼:……
狼谷:あたしは違う。あたしは、一度は光の下に出たんだ。この腕と金があれば、きっとまた戻れる。後ろ盾がなくたって――孤児だって……!なあ、そうだろう?権力だって、評価だって金でか
狗飼:……っ!
(狗飼、狼谷の喉を切り裂く)
狼谷:……って……かっ……は……
(アキ、涙を零す)
アキ:んん……
狼谷:い……ってぇなあ……
(狼谷、どうと倒れる)
狼谷:はぁっ……はぁ……さいごま、で……ごほっ……!さいご、まで、き、きや、が、れ……おっさ、ん……す、こし、は……あた、しのはな、し……
狗飼:ターゲットに「名前」も「物語」もいらない。そうだろう?
狼谷:は、ははっ……くっそ……もっとも、だ……
(狼谷、息を引き取る)
アキ:んんんん……っ!
狗飼:よいしょ、っと。
(狗飼、アキを抱き起こし、猿轡を外す)
狗飼:口の中、見せて。
アキ:い、ぬかい、さん……
狗飼:うん、どこも噛んだりしてないね。大丈夫。
アキ:……狗飼さん
狗飼:怖い思いを、させた。僕のミスだ。すまなかった。
アキ:うっ……くっ……わああぁぁぁぁぁぁぁ!
(アキ、号泣する)
【間】
―数年後/雑居ビルのとある一室「託児ルーム『ミルキィ』」にて
アキ:狗飼さんは私を家まで送り届けて、そのまま姿を消しました。数日後、千寿バイオが摘発されたことをニュースで知った私は、もう一度「何でも屋」へ行ってみたけれど、そこにはもう誰もいませんでした。私が使ったカップもそのままに、人だけが綺麗に、消しゴムで消したように。鷺島さんの事務所も同様でした。これ、刑事さんには、何度もお話したじゃありませんか。また同じような事件が起きたからといって、必ずしも狗飼さんが関係しているとは限らないのに。何年前の話だと思っているんですか。でも、そういうお仕事ですものね。ご苦労様です。ああでも、そう、ひとつだけ。ええ。狗飼さんの部屋の隅にあった段ボールとごみ袋だけが、無くなっていました。ひとつじゃないって?いいえ、ひとつです。あの段ボールとゴミ袋は、狗飼さんを抱きしめることのできる唯一の……そうですね、子宮のようなものです。それが、私がこのビルにいる理由かと言われると……どうでしょう。正直、私もこれといった答えを未だに出せていません。
(少しの間)
アキ:……ただ私は、秩序と混沌の両方を知ってしまいました。だからきっと、どこの街を歩いていたとしても、そのたびに覗き込むのでしょうね。路地裏の薄暗がり、道端に座って空を仰ぐ老婆の顔、踏みつぶされたトマト……。そして、空っぽの段ボールと、ごみ袋なんかを。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【幕】