#43「月に秘めゴト」
(♂1:♀1:不問0)上演時間20~30分
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伊織
【伊織(いおり)】男性
30代半ばの男。神崎の同僚で飲み友達。
神崎
【神崎(かんざき)】女性
30代半ばの女。伊織の同僚で飲み友達。
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―とある夜/居酒屋にて
(神崎、グラスをあおる)
伊織:神崎さ、なんか今日ずいぶん飲むペース早くない?
神崎:そう?そんなことないよ。
伊織:そうかあ?
神崎:うん。
伊織:お前、絶対機嫌悪いだろ。
神崎:だからそんなことないったら。
伊織:あー……今日なんかあった?俺でよければ聞くけど。
神崎:それ、完全に「あわよくば」狙いの男の発言なんだけど。
伊織:ああ……まあ確かにそうだな。
神崎:否定しないんだ。
伊織:いや、否定したいんだけどさ。
神崎:だけど?
伊織:お前がなんか抱えてんなら話聞きたい、って気持ちに偽りはないからなぁ。
神崎:……やさしいじゃん。
伊織:まあ同期の中じゃ一番仲がいいと思ってるし。
神崎:それはそうだと思うよ、私も。
伊織:30も半ばになるとみんな結婚したり結婚前提の恋人ができたりで、こうして気楽に誘って飲める奴もいなくなってくるし。
神崎:ちょっと。
伊織:なんだよ。
神崎:都合のいい女みたいな言い方しないでよ。
伊織:ええ、そこそう受け取る?
神崎:なによ。
伊織:お前、酔うとめんどくさいな。
神崎:そうよ。だからいつも人様に迷惑かけないように気を付けて飲んでるの。
伊織:俺と一緒の時も?
神崎:当り前でしょ。
伊織:なんだよ水臭い。俺なら気にしないのに。
神崎:私が気にするの。
伊織:真面目過ぎだろ。
神崎:……伊織君、自分の酔ってる時の事って覚えてる?
伊織:んや、ほとんど。
神崎:だから言えるのよ、そんなこと。
伊織:え、待って。俺いつもそんなにひどい?
神崎:あ、すみません。生お替りお願いしまーす。
(伊織、ため息をつく)
伊織:……で?
神崎:なに?
伊織:神崎は「人様の前じゃ酔っぱらわないように気を付けてる」って自分のルールを破って、今こうして酔っぱらってるわけだろ?
神崎:まだそこまで酔っぱらってないもん。
伊織:でも、今までにない飲み方してるのは事実だろうが。
神崎:……
伊織:マジで何があったよ。あれか?今日の取引先の対応とかか?
神崎:それもある。
伊織:それ「も」ってことは、他にもあるのかよ。
神崎:まあ、ね。
伊織:なに?
神崎:教えない。でも別に機嫌が悪いとかじゃないから大丈夫。
伊織:そっか。まあ言いたくないこともあるだろうしな。それならいいや。
神崎:ん。
伊織:でも我慢できなくなったら言えよ。聞くだけしかできないけどさ。
神崎:ありがと。
(注文したビールがテーブルに置かれる)
神崎:あ、ありがとうございます。
(神崎、ジョッキを傾ける)
(少しの間)
神崎:……ねえ。
伊織:ん?
神崎:伊織君、今日ペース遅くない?
伊織:そう?
神崎:うん。
伊織:神崎のペースが早いから、そう見えるだけじゃないか?
神崎:そんなことないと思うけど。
伊織:まあ気分だよ、気分。
神崎:どんな気分?
伊織:いちいち食いつくなよめんどくさい。お前じゃないんだから、そんな深いところまで考えて喋ってないって。
神崎:……悪かったわね。
伊織:でもっていちいち落ち込まない。
神崎:……ごめん。
伊織:ああいや、今のは俺の言い方が悪いか。あれだよ、今日はお前が抱えてるものをいつ吐き出してもいいように待機してるだけだ。
神崎:待って、いい奴すぎない?
伊織:たまには俺が「都合のいい男」になってやろうと思っただけだよ。
神崎:あ。さては根に持ってるでしょ、さっきの。
(伊織、にやりと笑う)
伊織:まあな。
神崎:さいてい。
伊織:悪い悪い。まあでも嘘じゃないからさ。
神崎:最低なのか優しいのかどっちかにして欲しいんだけど。
伊織:真正面から優しくされても気まずいだろうが。
神崎:そんなもんかな?
伊織:変にシリアスになるしさ。
神崎:……まあね。
伊織:友人間でそんな空気作るのも違うなって。
神崎:それは一理ある。
伊織:だろ?つまりはそういうことだ。
神崎:ん。
伊織:よし。一度話を変えるか。
神崎:じゃあテーマをどうぞ。
(少しの間)
伊織:……わりぃ、Twitterのトレンド見ていい?
神崎:うそでしょ。
伊織:いやほんと。
神崎:何も思いつかないとかある?
伊織:俺もびっくりだよ。いつも何話してたんだろうな俺ら。
神崎:それにしたって、Twitterのトレンドって。
伊織:いや本当に。中学生かよって話だよな。うわー、俺めちゃくちゃださいな。
神崎:……ぷっ
(神崎、笑いだす)
伊織:まあこれは笑われてもしかたないわ。許す。好きなだけ笑え笑え。
(神崎、笑い続ける)
神崎:あーもう、おなかいたい。
伊織:お?さすってやろうか。
神崎:ばーか。
(神崎、小さく息をつく)
神崎:ねえ、ちょっと外歩かない?
伊織:もう飲まなくていいのか。
神崎:うん、なんかちょっと違うなって思えてきた。
伊織:違う?
神崎:なんとなくね、これ以上お酒入れたらいけない気がしてきた。勿論、伊織君がまだ飲みたいなら別だけど。
伊織:俺は別に。
神崎:そう?じゃあ少し歩こ。
【間】
―外
神崎:わ、結構寒いね。
伊織:だなぁ。これは酔いがさめるわ。
神崎:そうだね。
伊織:……なあ。
神崎:ん?
伊織:さっき「お前の気持ちを尊重する」みたいなことを言ったばっかりでなんなんだけどさ。
神崎:うん。
伊織:マジで今日どうしたよ。
神崎:そんなに気になる?
伊織:……まあ、それなりに。いつもの神崎らしくはないから。
神崎:そうかなあ。
伊織:酒の飲み方もそうだけど、こうして「歩こう」なんて言う事もないだろ。飲んだらさっさと解散するじゃん。
いつも。
神崎:そうだったかも。
伊織:だから、やっぱりな。
(少しの間)
神崎:……伊織君さ。
伊織:ん?
神崎:酔った時のこと、本当に覚えてないの?
伊織:え、待って。引っかかってることって俺のこと?
神崎:質問に質問で返さないでよ。
伊織:いやだってさ。え、まさかと思うけど……
神崎:うん。
伊織:酔ってやっちゃったり……とかはしてないよね?
神崎:さすがにそれだとしたら、もう二度と一緒には飲まないと思うよ?
伊織:あ、まあ、そっか。いや、でも神崎、変なところで気を遣うタイプだから、もしかしたらそういうこともあったのかもしれないと思って。
神崎:ああなるほどなあ。それも一理あるね。
伊織:だろ?いや、あっても困るんだけどさ。
神崎:でも大丈夫、違うよ。
伊織:じゃあなんでそんなこと。
神崎:言ってもいいの?
伊織:今更その質問はナシだろ。
神崎:だよね。
伊織:ああ。
(神崎、小さくため息をつく)
神崎:……伊織君、酔うといっつも私に「好き」とか「可愛い」とか言うんだよね。
伊織:……マジ?
神崎:マジ。
伊織:マジか。
神崎:やっぱり本当に覚えてないんだ。
伊織:すまん。覚えてないのも悪いけど、その発言は完全にセクハラだわ。マジですまん。
神崎:別にセクハラだとは思わなかったけどさ。
伊織:いや、結構アウトだと思うよ?
神崎:結局そういうのって受け手がどう感じるか、じゃん。まああんまりに酷いのは別かもしれないけど。
伊織:そうか?
神崎:私はそう思ってる。
伊織:でもそこに甘えちゃ駄目じゃないか、俺?
神崎:いいんじゃない?てか今更でしょ。仕事でもいっつも私に甘えてるんだし。
伊織:痛いとこつくなよ。このままだと俺、めちゃくちゃカッコ悪い奴じゃん。
神崎:それも受け手によるって。
伊織:包容力が過ぎるだろ。
神崎:ただね、私もほら、一応まだ女は捨ててないつもりだからさ。結構ドキッとはするのよ。
伊織:あー……うん。だよな。
神崎:嬉しくないわけじゃないから、飲むときはずっと酔っぱらってもらっていてもいいかなー、とか思ったりもしたんだけど、やっぱりね。真意を聞いてみたかったっていうか。
伊織:……
神崎:……
伊織:まあ、そうだよな。
神崎:まあ、ね。
伊織:……
神崎:……
伊織:えーと
神崎:ていうか、ごめんね!
伊織:は!?
神崎:ほら!お酒が入った状態での言葉なんか真に受けるなよって感じじゃん?
伊織:いやでも、それはそうなるだろ。
神崎:そう?
伊織:俺は男で、お前は女なわけだし。
神崎:いきなり「男と女」なんて言わないでよ。さっきまで「友達」って言ってたくせに。
伊織:無茶言うなよ。
神崎:まあでもさ、それはそれとしてごめん!
伊織:俺何も言ってないのに振られたみたいになってるんだけど。
神崎:別にそんなつもりはないよ。単に困らせてごめん、ってだけ。
(少しの間)
伊織:……なあ。
神崎:ん?
伊織:今俺がさ、「月が綺麗ですね」って言ったらどうする?
神崎:なにそれ。まあ確かに今日は月が綺麗だけど。
伊織:……寒いと空気が澄んでるから、余計に綺麗だよな。
神崎:うん。
伊織:……
神崎:……
伊織:えーと
神崎:ん?
伊織:「答え合わせ」しないか?
神崎:「答え合わせ」?
伊織:お互い変にかっこつけないでさ。
神崎:……ばれてた?かっこつけてるの。
伊織:いや、ぶっちゃけそれは分からなかったけど。
神崎:あれ、墓穴掘っちゃったかな。
伊織:なんつーか、さすがにこれはほっとけない話だし。
神崎:ん。
伊織:ほっとけないから、お前もこうやって話に出したんだろ?
神崎:まあ……そうだね。
伊織:だから、「答え合わせ」しようぜ。
神崎:……わかった。
伊織:んじゃ答えからな。
神崎:え、いきなり?
伊織:答え合わせだから。
神崎:わ、分かった。
伊織:結論から言うと、酔った時の発言については、マジで全く覚えてない。これは本当に最低だと思う。
神崎:うん。
伊織:でも、決して嘘とかその場の勢いとかじゃない。……と思う。
神崎:歯切れ悪すぎない?
伊織:俺の良くないところだな、こういうの。どうしても保険をかけるというか、逃げ道を用意したくなるというか。
神崎:まあそれで言うなら私も同じ、かな。
伊織:そっか。
神崎:さっきも保険かけたばっかりだし。伊織君に何も言わせずに、自分の話だけして終わらせようとしたじゃない。
伊織:あー、うん。
神崎:だめだね、ほんと。30も半ばになると、シンプルな答えを出すには気力も体力も……勇気も、圧倒的に足りなくて。
伊織:……だな。
神崎:素直――というか純粋な部分がまだ自分の中にあるのも、なんとなく怖いし。
伊織:うん。
神崎:ねえ。「答え合わせ」って本当に必要?私はなんなら、ここまで聞けただけで充分なんだけど。
伊織:今更それはやめてくれよ。
神崎:……ん。ごめん。
伊織:続けるぞ。……まあだからもう一度言うけど、俺の酔った時の発言は、決して適当なものじゃない。
神崎:なんでそう言い切れるの。
伊織:いちいち突っ込んでくるなよ。これからちゃんと話すから。
神崎:だってなんだか落ち着かないんだもの。そこは許してよ。
伊織:めんどくさいやつ。
神崎:知ってる。
伊織:なんでってのは簡単だよ。今酔っていない状態でも同じことが言えるから。もっと気の利いた言葉を知っていたなら、酒で誤魔化さずに言えたんだろうけど。どんなに音楽聴いたり映画観たりしてみても、そこは駄目だったわ。
神崎:気の利いた言葉、探してたんだ。
伊織:そこは流して欲しいところなんだけど。あと先回りしとくと、別に周りに女がいなくて、お前がちょうど良かったからとかじゃないから。
神崎:なんで私の言いたいことが分かったの。
伊織:まあ長い付き合いだからな。
神崎:……
伊織:いや、それは卑怯か。答え合わせになってない。
神崎:……なかなか話、進まないね。
伊織:進めるよ。ここまで来たら。
神崎:後悔しない?
伊織:してもいい。
神崎:……そっか。
伊織:つまり、俺はそれだけ長いこと、それこそ時間の問題だけじゃない部分でもお前のことを見てきたって話。
神崎:……ん。
伊織:はい、次は神崎。
神崎:じゃあ私も結論から言うけど……ていうか、多分伊織君はもう分かってると思うんだけどね。
伊織:まあ……これまでの流れだと、そんなに悪い感じではないんだろうとは思ってるけどさ。
神崎:でしょ。「好き」とか「可愛い」とか言われて嬉しくなっちゃうのも、それが酔った勢いの言葉でしかないんじゃないかって不安になるのも、ずっと酔っぱらっててもらってもいいかなとか思うのも、全部それが答えだよね。
伊織:ん。
神崎:……
伊織:……
神崎:あと。
伊織:なに。
神崎:月が、綺麗ね。
伊織:あ、お前。さっき知らないふりしてたのかよ。
神崎:だって伊織君が急にあんな――あんなガラにもないことを言うから!恥ずかしかったの!
伊織:ガラにもないのは分かってるよ!ああくそ、思い出したらこっちまで恥ずかしくなってきた!やめろって、余計に変な空気にするの。
神崎:変じゃないでしょうが。
伊織:え。
神崎:「男と女」は、別に変じゃない。
伊織:あ……
神崎:恥ずかしいけど、変じゃないでしょ。
伊織:あ、うん……。
(少しの間)
伊織:……これ、さ。
神崎:うん。
伊織:俺らって、「そういう関係」になったってことでいいの?
神崎:そう……なるんじゃない?
伊織:つかさ。
神崎:なによ。
伊織:神崎はそれでいいわけ?
神崎:は?なに今更。
伊織:いや、今思い返すとさ、俺肝心の台詞を一言も言ってないだろ。
神崎:そう、だったかも。
伊織:だから神崎はそれで納得できるのかな、って。
神崎:まあ私も言ってないんだけどね。肝心の台詞。
伊織:そうだったか?
神崎:うん。
伊織:ごめん、勝手に脳内変換してた。
神崎:私も同じことをしたから、おあいこだね。
伊織:そっか。
神崎:でも、今はそれでいいと思ってる。
伊織:……
神崎:肝心の台詞を言っちゃうとさ、もう後戻りできないじゃない?
伊織:後戻りするつもりなのかよ。
神崎:私みたいな突っかかり方するのね。
伊織:これは仕方ないだろ。
神崎:……後戻りをするつもりはないよ。後戻りできないのを覚悟で、こうして話をしようと思ったわけだし。
伊織:覚悟決めるためにあんな飲み方してたのか。
神崎:まあね。……でもやっぱり肝心の台詞を言うことで、何もかもが一気に変わっていくのは怖いよ。
伊織:ん。
神崎:決して悪い感情じゃないのに、責任とか世間体とか、なんか余計なものまでくっついてくるじゃない?ほら、私達いい大人だしさ。
伊織:まあ、どうしても、な。
神崎:だから、今はこれでいい。そういうの、今は邪魔に感じるんだ。それに言わなくたってお互いちゃんと脳内変換出来ているってことは、伝わってるってことでしょ?
伊織:そうだな。
神崎:そういう言葉が欲しくなったら、その時お願いする。言いたくなったら、その時言う。
伊織:分かった。
神崎:まあきっと、そんなに遠い日のことじゃないとは思うけど。
伊織:……なあ。
神崎:なあに?
伊織:なんかそういう回りくどい言い方の方が、逆に照れるな。
神崎:……そうかもね。
伊織:でも、確かに悪くはない。
神崎:でしょ。
伊織:今のこの、俺らの間の空間を混じりっ気のない思惑だけが行ったり来たりしてる感じってのは、確かに貴重だよな。体力も気力も勇気もない俺らが、そこを超えてった結果だと思うと、余計に。
神崎:ん。
伊織:俺も、今はこれを楽しみたい。今だけのものなら、なおさら。
(神崎、ふっと微笑む)
神崎:……そうだね。
伊織:うん。
神崎:いいよね、こういうの。私たちが楽しんでいるモノは表からは全く見えないし、見えたところで、きっとあんまり理解はされないんだろうけど。
伊織:ふたりだけの秘密的な?
神崎:どっちかというと、秘め事、かな。
伊織:いきなりエロくなったな。
神崎:男と女だから多少は仕方ないって。「秘密」って言うとちょっとタブー感があるし、「内緒」だと子供っぽいかなって。
伊織:なるほど。それで「秘め事」。
神崎:なんにせよ、そういうシークレットなものって、いくつになってもどんなことでも、やっぱりすごくドキドキわくわくしない?
伊織:「秘め事」なんて生々しいことを言ったかと思えば、急に子供みたいなことを言うんだな。
神崎:幻滅した?
伊織:いや、可愛いなと思って。
神崎:……前言撤回。そう思ってくれてるんじゃないかなって分かっていても、言われるとやっぱり嬉しいね。
伊織:今後も素面(しらふ)で言えるよう努力するわ。
神崎:ん。……じゃあ、今日はもう解散にしよっか。だいぶ遅くなっちゃったし。明日も早いし。
伊織:いや、もうちょっとこのままでいさせて。
神崎:……ごめん、今ちょっとかっこつけて逃げようとしちゃった。
伊織:知ってる。今更逃がす気もないけど。
神崎:逃げないってば。私だってまだ朝の事は考えたくないんだから。
伊織:……月が、綺麗だからな。
神崎:……死んでもいいわ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【幕】