#47「初恋」
(♂2:♀0:不問0)上演時間20~30分
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クラウス
【クラウス】男性
全寮制の男子高に通う少年。日独ハーフで美しい黒髪を長く伸ばしている。
ハルベルト
【ハルベルト】男性
全寮制の男子校に通う少年。クラウスとは同級生でクラス委員。
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―学園の廊下
(クラウスが廊下の窓辺に佇んでいる)
クラウス:「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えし時 前にさしたる花櫛の 花ある君と思いけり」
(ハルベルトがやってくる)
ハルベルト:クラウス!クラウス・ハルト!またそんなところでさぼって!イェーツ先生が君の歴史のレポートについて話がある……って……
クラウス:なんだよ。
ハルベルト:あぁ、ごめん。いや、その……今のは?
クラウス:親父がよく暗唱していた詩だよ。
ハルベルト:君の父さんは、確か東洋の人だったっけ。
クラウス:もう顔も忘れちまったけどね。
ハルベルト:またそんなことを。
クラウス:……
ハルベルト:でも、君のその見事な黒髪は、確かに君の父さんを思い起こさせるよ。知っているかい?君がこの寮で
クラウス:ハルベルト。お前、何か用があってきたんじゃないのか?
ハルベルト:え?……ああ!そうだった!君、またレポートに好き放題書いただろう?イェーツ先生がカンカンになって君を探してたぞ!
クラウス:ナポレオンを「癇癪持ちの駄々っ子」と書いて何が悪い。結局あいつは、自分の理想通りの答えが返ってこないのが気に入らないだけさ。この国で歴史を学ぶってことは、理想の国を追想するのと変わらないんだよ。
ハルベルト:そう思うのは勝手だけど、先生の前でそれを言ったら駄目だ。どんな罰を食らうか分かりゃしない。
(クラウス、ハルベルトを無視し、鼻歌を歌いながらその場を立ち去る)
ハルベルト:ちょっと!聞いてるのかクラウス!待てったら!クラウス!
クラウス:ああそうだ。
ハルベルト:わっ!急に振り返るなよ!
クラウス:お前、クラス委員だったよな?
ハルベルト:そうだけど?
クラウス:だったらお前が、俺の代わりに反省のレポートでも書けばいいんだ。
ハルベルト:はあ?
クラウス:お堅いクラス委員のハルベルト、君ならあいつの理想通りの文が書けるだろう?
ハルベルト:何を
(クラウス、ハルベルトの腕を掴み、顔を寄せる)
クラウス:お礼に、キスくらいしてやるぜ?
ハルベルト:……僕を
クラウス:ん?
ハルベルト:僕を見くびるのもいい加減にしろ。君の取り巻きの下級生たちと一緒にするな。
クラウス:ふぅん、意外に骨のあることを言うんだな。
ハルベルト:「東洋のフロイライン」クラウス。あばずれごっこに僕を巻き込むな。
クラウス:……その名前で呼ぶな。
ハルベルト:嫌がってる割には、ずいぶん積極的に色仕掛けをするんだな。いい加減その手を離せ。
クラウス:……ふん。
ハルベルト:どこへ行くんだ。
クラウス:うるさい。これ以上ついてくるな。
ハルベルト:そうはいかない。僕には、君を先生のところへ連れていく義務がある。
クラウス:だから。これからそこに行くんだから、もういいだろう。
ハルベルト:え?
クラウス:気骨あるクラス委員に敬意を表して。
ハルベルト:なんだよ、急に素直になって。
(クラウス、立ち去る)
ハルベルト:変なやつ。
【間】
―校舎内庭園
ハルベルト:クラウス!説教を受けたその足でそのまま授業をさぼるなんて、君は一体何を考えてるんだ!クラウス!いるのは分かってるんだぞ!クラウス!
(ハルベルト、何かを見つける)
ハルベルト:あ……
クラウス:あーあ、邪魔が入っちまった。……ほら行けよ。もう気が済んだろ。
ハルベルト:……そのタイの色、君は一年生か。もう寮に帰る時間だぞ。さっさと戻れ。
(クラウス、くすくすと笑う)
ハルベルト:何がおかしい。
クラウス:清廉潔白のクラス委員。顔が真っ赤だぞ。
ハルベルト:僕は君みたいに色事には慣れていないんだ。放っておいてくれ。
クラウス:ただのキスシーンだ。
ハルベルト:うるさい。
クラウス:ハルベルト。
ハルベルト:何?
クラウス:お前、いつも俺が行く先々に現れるんだな。
ハルベルト:僕はクラス委員で、この寮の監督生だからね。
クラウス:だから問題児は徹底的に付け回して正していこうってか。ご立派なことで。
ハルベルト:もっともその分、今みたいに君と後輩のキスシーンなんて、見たくもないものを見る羽目にもなるけどね。
クラウス:それは悪うございました。
ハルベルト:なあクラウス。君はどうしてそう挑発的なんだ?
クラウス:それを聞く必要がどこにある?
ハルベルト:さっきも言ったろ。僕はクラス委員で監督生だ。それででじゅうぶんだと思うけど?
クラウス:じゃあ、お前が俺に対して好戦的なのも、お前がクラス委員だから、か?
ハルベルト:そういうことになるね。君が何と戦っているのかはしらないけれど、その切っ先は、むやみやたらと人に向けるもんじゃない。
クラウス:おいおい、「東洋のフロイライン」になんて言い草だ。
ハルベルト:その名前は嫌いなんじゃなかったのかい?
クラウス:まあな。ただ、便利なんだよ。
ハルベルト:便利?
クラウス:フロイラインよろしく振舞っていれば、どいつもこいつも、それこそ教師だって、俺の手のひらの上だからな。
ハルベルト:そういうのは、フロイラインではなく、プロスティトゥイーアテっていうんだ。馬鹿。
クラウス:プロスティトゥイーアテ――娼婦か。どこまでも潔癖な奴。
ハルベルト:年齢相応だと思うけどね。
クラウス:そうかよ。
ハルベルト:とにかく。もう寮に帰る時間だ。今夜は部屋を抜け出したりするなよ。
クラウス:そんなに心配なら、一緒のベッドにでも入ればいいんだ。
ハルベルト:一緒のベッドは無理だけど、今日から君は僕と同室だ。
クラウス:なんだって?
ハルベルト:じゃじゃ馬フロイラインの首に縄をつけろ、とのお達しでね。
クラウス:冗談じゃない!
ハルベルト:それは僕のセリフだよ。さ、移動の準備もあるんだ。早く寮に戻るぞ。
クラウス:ふざけるな。
ハルベルト:フロイラインを気取るなら、その言葉遣いから直せよ。ほら、行くぞ。
クラウス:袖をつかむな。
(クラウス、ハルベルトの手を振り払う)
クラウス:自分で歩ける。
ハルベルト:よろしい。
【間】
―翌日/教室
(クラウスが遅刻して教室に入ってくる)
ハルベルト:おはよう、クラウス。昨夜はよく眠れたみたいだね。遅刻だよ。
クラウス:お前と一緒のくそつまらない夜なんて、寝るくらいしかすることがないからな。
ハルベルト:それは結構。
クラウス:それより、何故起こさなかった。
ハルベルト:あれ、君、僕にそんなに面倒みてもらいたかったの?
クラウス:……っ!
ハルベルト:さ、席について。
クラウス:……
ハルベルト:というわけで、来月の学園祭の我がクラスの出し物は「演劇」に決まったわけだけど。次に演目を決めようと思う。何か希望はあるかい?「シンデレラ」?子供のお遊戯会じゃないんだぞ。「リア王」?まあ悪くはないね。素晴らしい古典だ。「若草物語」……、ヘニング、君の、クラスメートに女装をさせたがる趣味はなんとかならないのか?
クラウス:……「椿姫」。
ハルベルト:え?
クラウス:「椿姫」はどうかって言ったんだよ。
ハルベルト:高級娼婦と純情な青年の悲恋か。
(教室に響き渡る歓声)
ハルベルト:静かに!分かった!じゃあそれでいこう。
クラウス:俺がマルグリットをやっても?
ハルベルト:ヒロインの娼婦かい?君がやる気を出してくれるのであれば、僕に異存はないよ。それに、クラス皆が賛成のようだ。
クラウス:恋人のアルマン役にはお前を指名する、ハルベルト。
ハルベルト:なんだって!?
クラウス:ぴったりじゃないか。思い込みの激しい純情ぼうや。
(クラウス、席を立ってハルベルトにしなだれかかる)
クラウス:「さあ私を抱きしめてアルマン!ああうれしい!私、もう一度生きるんだわ!」
ハルベルト:それで僕は、君の胸にすがりついて泣けばいいのか?どうかしてるよ。
クラウス:そんなこと言ったって、皆は大喜びしてるぜ。どうするよ?
ハルベルト:……推薦とあらばやるよ。ただ、ひとつだけ。
クラウス:なあに、アルマン?
ハルベルト:君は本当に意地悪だ。
クラウス:あなたが私に、そうさせるのよ。
(クラウス、ハルベルトに口づける)
ハルベルト:!?
(クラウス、けらけらと笑う)
ハルベルト:君ってやつは……っ!
クラウス:なんだよ、ただのお遊びだろう?
ハルベルト:君ってやつはなんでそう……!
クラウス:おい……
ハルベルト:触るな!
(ハルベルト、教室から走って出てゆく)
クラウス:なんだよ、ただの悪ふざけじゃないか。
(ざわめくクラスメイト達)
クラウス:ああうるさいうるさい!……俺も部屋に戻る。すっかり興が削がれた。
【間】
―寄宿舎/ハルベルトとクラウスの部屋
クラウス:授業さぼったところで、優等生の行く先なんてたかが知れてるよな。
ハルベルト:クラウス!
クラウス:いいのかよ、委員長。さぼるの、初めてだろ?
ハルベルト:誰のせいだと思ってるんだ。
クラウス:……悪かった。
ハルベルト:え?
クラウス:俺としては、ちょっとお前を困らせたかっただけなんだ。まさかそんなに――唇を水道ですすぐほどに嫌だとは、思わなかった。
ハルベルト:それならその企みは大成功だ。気のすむまで笑えばいい。
クラウス:だから悪かった、って言ってるだろう?
ハルベルト:どうだか。
クラウス:俺だって謝ることくらいできる。悪ふざけが過ぎた。すまなかったよ。
ハルベルト:……
クラウス:それだけだ。じゃあな。
ハルベルト:どこに行くつもりだい。
クラウス:俺と一緒の空気を吸うのは嫌だろう?適当にぶらついてくるさ。
ハルベルト:待てよ。
クラウス:……
ハルベルト:悪いと思うなら、少し付き合ってくれよ。
クラウス:物好きなやつ。
ハルベルト:君がしおらしくしている時くらいじゃないと、僕の話は聞いてもらえなさそうだから。
クラウス:お節介め。
ハルベルト:今更だろう?とにかく座らないか。
(二人、それぞれのベッドに座る)
ハルベルト:「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えし時 前にさしたる花櫛の 花ある君と思いけり」
クラウス:……
ハルベルト:君がこの間口ずさんでいた詩なんだけどね、言葉は分からないけど、響きがとても印象的だったから、先生たちに聞いたりしながら調べてみたんだ。
クラウス:……それで?
ハルベルト:初恋の詩なんだね。
クラウス:そうかよ。
ハルベルト:なんだ、知らなかったのか?
クラウス:興味もないからな。親父の国の言葉なんて。
ハルベルト:じゃあ何故あの時。
クラウス:たまたま口をついて出ただけだ。
(少しの間)
ハルベルト:「まだあげたばかりの君の前髪が、林檎の木の下に見えた時、その前髪の花櫛の花のように、君のことを本当に美しいと思った」
クラウス:そんな意味だったのか。
ハルベルト:……本当に美しいと思ったんだ。
クラウス:どういうことだよ。
ハルベルト:君のことさ。
クラウス:は?
ハルベルト:初めて君がこの学園に来た時のこと。林檎の木の下ではなくて、ライラックの木の下だったけど、前髪についた花びらを鬱陶しそうに払う姿が、美しいと思った。
クラウス:なんだよ、急に。
ハルベルト:象牙色の肌に長いまつげ、東洋の花の香りを連れてきそうな、艶やかな長い黒髪。まさに「気品溢れる東洋のフロイライン」だった。誰もが君に恋をしたよ。
クラウス:俺には関係も興味もない話だ。
ハルベルト:それがどうだい。口を開けば悪態ばかり。先生には食ってかかるし、授業はさぼってばかり。言い寄ってくる相手に簡単に唇を許す。
クラウス:幻滅させて悪かったな。
ハルベルト:何と戦っているんだろう。
クラウス:なんだって?
ハルベルト:そう思ったんだ。そう思ったら、麗しの令嬢が、今度は孤独な剣士に見えた。なんだっけ、サムライって言うんだっけ?
クラウス:それがどうしたよ。
ハルベルト:何か熱いものを胸に秘めて、今にも目の前の全てを斬り捨ててしまいそうな。
クラウス:……
ハルベルト:ごめん。僕、詩は苦手だから、うまく表現できない。
(クラウス、笑い出す)
ハルベルト:クラウス?
クラウス:あっはははははは!
ハルベルト:笑わないでくれよ。
クラウス:目の前の全てを斬り捨てる、ね。そいつは最高だ、ハルベルト!気に入ったよ!
(クラウス、笑い続ける)
ハルベルト:クラウス!
クラウス:俺が髪を伸ばしている理由を教えてやろうか?
ハルベルト:え?あ、ああ。
クラウス:願掛けさ。
ハルベルト:願掛け?
クラウス:親父に次に会ったら、俺と同じ色の髪の親父に会ったら、俺は絶対にあいつを殺してやるんだ。それまで、俺は髪を伸ばし続けよう、ってな。
ハルベルト:なんだって?
クラウス:あいつは、母が他の男と消えた後、おかしくなった。
ハルベルト:……
クラウス:俺を女として育て、母と同じ名前で呼び始めた。そう、フロイライン……「令嬢」とも呼んでたっけな。
ハルベルト:あ……
クラウス:髪を切ることを禁じ、女性らしい優雅な仕草を教え、女の恋歌を歌わせた。毎日俺の髪を梳かしながら、この首筋にキスをした。
ハルベルト:もういい、クラウス。僕が悪かった。もういいよ。
クラウス:でもやがて、俺の背はあいつを追い越し、華奢だった身体は段々と筋張っていった。声も低くなって、女の恋歌が歌えなくなった。そして三年前、あいつは母の故郷のこの国に俺を連れてきた。あいつが最後に俺に言ったセリフを教えてやろうか?
クラウス:「お前はあの女(ひと)じゃない」
ハルベルト:そんな……
クラウス:そしてこの寮に放り込んで、全てを「なかったこと」にした。それでおしまい。
ハルベルト:ごめん、クラウス。僕
クラウス:お前が俺の中に見た、「内に秘めた熱」は、親父への憎悪さ。
(少しの間)
ハルベルト:……クラウス、さっきの詩には続きがあるのを、知ってるかい?
クラウス:そんなもの知るかよ。
ハルベルト:だと思った。この先はね、こう続いてるんだ。……「やさしく白き手をのべて 林檎をわれに与えしは 薄紅の秋の実に 人こい初めし はじめなり」
クラウス:それがどうした。
ハルベルト:この部分でさ、この詩の主は初めて恋を知るわけ。林檎を受け取って、恋に落ちるわけだ。
クラウス:で?
ハルベルト:僕らはまだ人生を半分も生きていない。僕なんてまだ誰かと恋仲になったこともない。だけど、僕らの未来には、この詩のような瑞々しく美しい世界を味わえる道が、確かにあると思うんだ。僕らがそれを選ぶか選ばないか、ってだけで。
クラウス:なんだ、またお説教か?
ハルベルト:いいや。
クラウス:じゃあ
ハルベルト:僕はさ、クラウス。君にもっと生きることを……この世を嘲笑うんではなく、美しいものを愛でたり、優しく甘い胸のうちを味わったり、そういうことを楽しんでほしいな、って思ったんだよ。
クラウス:何が言いたい。
ハルベルト:僕にも分からない。ただ、今僕が君に対して抱いている想いを伝えたくなっただけ。
クラウス:想い?
ハルベルト:そう。まだはっきりと名前を付けられないこの気持ちを、さ。君の中にも確かにある、お父さんに向かう――君が認めようとしない気持ちにも、きっと似ていると思って。
クラウス:……
ハルベルト:ごめん、よく分からないね。
(少しの間)
クラウス:ナイフ、持ってるか?
ハルベルト:え?
クラウス:ナイフだよ。持ってるなら出せ。
ハルベルト:ペーパーナイフでよければ……
(クラウス、ナイフをひったくり、髪に当てる)
ハルベルト:クラウス!何を!
クラウス:お前と話してたら、この長く伸ばした髪が、なんだか馬鹿馬鹿しく鬱陶しくなってきたんだよ。
ハルベルト:クラウス、やめろ!
クラウス:要らないんだよ。お前の言うところの「親父へ向かう気持ち」なんてのは。絶対に満たされず、腐っていくだけなんだ。分かってるんだよ、俺も。
ハルベルト:だからって、そんな風に切ることはないだろう!?そんなもんで切ったら、髪がぼろぼろになるぞ!
クラウス:それにハルベルト。
ハルベルト:何!?
クラウス:お前が伝えようとした「俺への想い」ってやつを知ろうとするにも、邪魔なんだよ、この髪は。
ハルベルト:どういうこと?
(クラウス、ハルベルトに顔を寄せる)
クラウス:お前の顔が、よく見えないからな。
ハルベルト:え?
クラウス:「わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな」
ハルベルト:君!さっき先は知らないって!
(クラウス、笑う)
クラウス:ハルベルト、勤勉な委員長のことだ。意味はもう分かっているんだろう?今俺はまさに、恋の盃を酌み交わしていると思えたのさ。
ハルベルト:クラウス!?
クラウス:じゃあな。
(クラウス、部屋を出ていく)
ハルベルト:クラウス!ばかやろう!待てったら!煙に巻くような言い方ばかりして!君ってやつは本当に……!
(ハルベルト、くすりと微笑む)
ハルベルト:本当に、僕を振り回してばかりなんだから。
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【幕】