​​＃42「箱庭遊戯」

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ムツミ

【坂井睦（さかいむつみ）】女性

6畳のワンルームマンションにクイーンサイズのベッドを置いて生活している女。

高校時代にイジメにあっていた。同窓会で再会したカツラを自分の部屋に誘う。

 

カツラ

【横谷桂（よこやかつら）】男性

ムツミの高校の同級生。同窓会で再会したムツミに誘われ、そのまま彼女の部屋にやってきた。

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―夜／ムツミの部屋

 

（ムツミの部屋に入り目を丸くするカツラ）

 

カツラ：なあ、これ……

 

ムツミ：ああ、適当に座って。

 

カツラ：いや、「座って」ったって……

 

ムツミ：なに？

 

カツラ：だから、これ。

 

ムツミ：ベッド？

 

カツラ：うん。この部屋、ベッド以外座るところないんだけど。

 

ムツミ：だから、ベッドの上。適当に座って。

 

カツラ：いいの？

 

ムツミ：だって他に座るところないでしょ？

 

カツラ：堂々巡りだな。

 

ムツミ：そうだね。だから、座っていいのよ。

 

カツラ：じゃあ……失礼して。

 

（カツラ、ベッドの上に腰掛ける）

 

ムツミ：お茶飲む？

 

カツラ：飲む場所、なくない？

 

ムツミ：それ、また堂々巡りするやつだけど。

 

カツラ：……だね。でも一応聞くよ。いいの？

 

ムツミ：いいから言ってるんだけど。

 

カツラ：だよね。

 

（ムツミ、カップに紅茶を入れてやってくる）

 

ムツミ：淹れてから聞くのもおかしいけど、紅茶で良かった？

 

カツラ：ああ、うん。

 

（二人、カップに口をつける）

 

カツラ：それにしても。

 

ムツミ：ん？

 

カツラ：大きいな。このベッド。

 

ムツミ：うん、クイーンサイズ。本当はキングサイズが良かったんだけど、さすがに6畳じゃ無理があって。

 

カツラ：クイーンサイズでも十分無理があると思うけど。

 

ムツミ：そう？

 

カツラ：だって生活する空間がほぼないわけだし。

 

ムツミ：でもこれが良かったんだもん。

 

カツラ：食事とかどうしてんの？

 

ムツミ：ベッドの上で食べるよ。小さいテーブル乗せて。

 

カツラ：あんまり衛生的じゃないな。

 

ムツミ：そうね。でもいいの。

 

カツラ：そっか。

 

ムツミ：その顔、どういう意味？

 

カツラ：いや、玄関開けて即ベッドだったからびっくりしただけ。

 

ムツミ：大抵みんなびっくりするよ。普通普通。

 

カツラ：そうか。

 

ムツミ：でも正直、この部屋に来るお客さんなんてベッドがあれば十分な人ばっかりだから、なんでそんなに驚くんだろうなー、って思う。

 

カツラ：え。

 

ムツミ：だってどうせエッチするだけなら、ベッドがあればよくない？他のことなんて、どうでも。

 

カツラ：……

 

ムツミ：横谷（よこや）君だってそうでしょ？

 

カツラ：いや、俺は

 

（ムツミ、くすりと笑う）

 

ムツミ：いいって、別に今更カッコつけなくて。普通のことじゃない。

 

カツラ：……あんまり普通って連呼するなよ。

 

ムツミ：どうして？

 

カツラ：あんまり、いい気はしない。

 

ムツミ：変なの。

 

カツラ：いや、大抵はそうだと思うけど。

 

ムツミ：じゃあやっぱり普通じゃない。

 

カツラ：……坂井って、結構きつかったんだな。

 

ムツミ：きついことを言ったつもりはないんだけど。気を悪くしたならごめんね。

 

カツラ：別に気を悪くしたわけじゃないから、謝らなくていいけどさ。

 

ムツミ：私からしたら、「普通」ってとっても羨ましいことだから。

 

（少しの間）

​

カツラ：なあ。

 

ムツミ：なあに？

 

カツラ：坂井はどうして今日同窓会に来たの？

 

ムツミ：さあ、どうしてだろ。

 

カツラ：10年間一度も来なかったじゃん？まあ、来たくもないだろうとは思うけど。

 

ムツミ：うん、来たくはなかった。

 

カツラ：じゃあなんで？

 

ムツミ：うーん、「復讐」？

 

カツラ：復讐……

 

ムツミ：今まで私のこと、みんな「男好き」だの「くそビッチ」だの、好き勝手言ってくれてたから。

 

カツラ：綾野とか、菊川のこと？

 

ムツミ：言いだしたのはあの辺の人たちだけど、結局彼女たちが言いだせば、それがクラスの常識になっていったじゃない。本当のところなんてどうでもよくて――暗黙の了解っていうのかな、そういうの。

 

カツラ：まあ……そうか。

 

ムツミ：地味で成績も大して良くない私なんて、わざわざ目の敵にする必要もなかったのにさ。なんで？って思ったよ。

 

カツラ：それはその……

 

（ムツミ、ふっと微笑む）

 

ムツミ：横谷君、私達もういい歳なんだからさ。今更そこ言うのためらう？

 

カツラ：ほっとけよ。

 

ムツミ：無駄にカラダがエロかったから、って言うだけじゃない。

 

カツラ：言われたくないだろ、もう。

 

ムツミ：優しいんだ。

 

カツラ：優しかったら、今頃こんな気まずい思いはしてない。

 

ムツミ：それもそっか。

 

カツラ：……それで、なんでそれが今日の「復讐」につながるんだよ。

 

ムツミ：あの時はさ、凄く嫌だったんだよね。先生と付き合っているだの、セフレが何人もいるだの、ないことばっかり言いふらされて。しかもそれが本当のことみたいに尾ひれがついてさ。

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：しまいにはトイレのゴミとか、汚いものを投げつけられたり。ほんと嫌だった。

 

カツラ：……うん。

 

ムツミ：でも高校を出て大学に進んで、大人になっていくうちに分かったの。「ああ、あの人たち、悔しかったんだ」って。

 

カツラ：実際あの当時も、坂井のことをいいなって言ってたやつ結構いたからな。

 

ムツミ：菊川さんの彼氏で、斎藤くんっていたじゃない？

 

カツラ：ああ、サッカー部の。

 

ムツミ：彼と私、同じ大学に進んだんだけどね。学部の説明会で顔合わせるなり、すごく馴れ馴れしかったの。連絡先交換しようとか、今度遊びに行こうとか。いつも私のいやらしい噂話ばっかり菊川さんとしてたのに。

 

カツラ：……言いたいことはなんとなく分かってきた。要は菊川や綾野は、自分の好きな男が坂井を気にしてたから面白くなかったってことか。

 

ムツミ：そういうこと。で、なんとなく同じような感覚を持っていた女子と、私に対して下品な感情を持っていたけど行動には移せない男子が、免罪符としてそれに乗っかったんじゃないかな。

 

カツラ：……

 

ムツミ：でも大人になればなるほど、みんな免罪符なんか使わずに正直になっていったよ。

 

カツラ：まあ、大人になるにつれ余裕なんてなくなっていくからな。

 

ムツミ：そうなのかもね。斎藤くんとか、本当にしつこかったし。

 

カツラ：さっきも、なんかすごかったもんな。みんな。

 

ムツミ：ね、笑っちゃう。ちょっとメイクとオシャレを覚えただけで、みんなして「見違えたな」って。ずっと下品な目で私のこと見てたくせにね。おっかしい。綾野さんたちの面白くなさそうな顔も、それなのに何も言えずに作り笑いで「ねー、可愛くなったねー」とか言ってるのも、本当におっかしかった。

 

カツラ：今坂井を悪く言っても、きっとあの頃のようにはいかないからな。

 

ムツミ：そういうこと。

 

カツラ：坂井はさ、ざまあみろって言いたかったの？

 

ムツミ：なのかな。割と漠然とした感情だったから、うまく言葉にできないんだけど。でもちょっとだけすっきりしたのは事実。

 

カツラ：やっぱり坂井、きついな。

 

ムツミ：そう？本当に全然、そんなつもりないんだけどな。

 

カツラ：もしかして、このベッドだけの部屋もその一環？

 

（少しの間）

 

カツラ：いや、答えたくなければそれでいいんだけど。

 

ムツミ：この部屋はね、「箱庭」なの。

 

カツラ：「箱庭」？

 

ムツミ：知らない？箱庭。

 

カツラ：いや、箱庭がなんなのかは知ってるけどさ。

 

ムツミ：小さな箱の中に好きなものを置いて、自分の世界を作るやつ。

 

カツラ：だから知ってるって。

 

ムツミ：さっき私「ちょっとだけすっきりした」って言ったじゃない？

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：だけどこの部屋に戻ってきて思った。まだ全然足りないって。

 

カツラ：根深いよな、多分。そういうのって。

 

ムツミ：んー、私頭悪いからそういうのはよく分からないけど。あの時綾野さんたちが作り笑いをしながらぼそっと言った言葉が、今更のしかかってきたの。

 

カツラ：なんか言われたのか。

 

ムツミ：「いい年して男漁りしてるだけじゃない」って。その時は負け惜しみ言ってるなあって思っただけなんだけどな。

 

カツラ：……

 

ムツミ：単純にね、自分って結局「それ」だけなんだよなあって思わされて、なんかちょっとだけ虚しくなった。

 

カツラ：「それ」？

 

ムツミ：だから、このエッチ特化の見た目。

 

カツラ：じゃあなんでこんな部屋にしたんだよ。

 

ムツミ：「それ」だけしかないから「それ」で勝負するのってそんなに変？

 

カツラ：それだけ聞くと変じゃない。

 

ムツミ：普通？

 

カツラ：普通どころかすごい。

 

ムツミ：そっかぁ。

 

カツラ：坂井のそれは、笑うとこじゃないけど。

 

ムツミ：そう？

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：変なの。

 

カツラ：で？続きは？なんで今更「それだけ」なんて思ったわけ？

 

ムツミ：あ、うん。……あのね、自分が他より強いところで勝負してるつもりで生きてるから、このベッドはリングでもあるわけ。

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：私は色んな男の人をリングに上げて、屈服させてるの。

 

カツラ：え。

 

ムツミ：ああ勘違いしないで、そういうプレイをしてるってことじゃないから。

 

カツラ：そうか。

 

ムツミ：男の人が勝手に盛り上がって、勝手に私をモノにした気分になってるのを見てるのが好きなの、私。

 

カツラ：趣味……

 

ムツミ：悪いって思った。？

 

カツラ：一瞬だけ。でも、それが坂井の言う「戦い方」なんだろ。

 

（ムツミ、ふっと笑う）

 

ムツミ：……やっぱり横谷くんはすごいなあ。

 

カツラ：なんで。

 

ムツミ：そこまで聞いても、まだ私を押し倒してこない。

 

カツラ：そんな話聞いたら、むしろそんな気なんて失せると思うけど。

 

ムツミ：普通は？

 

カツラ：……普通は。

 

ムツミ：私さ、この部屋結構気に入ってるんだ。

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：でも最近、盛り上がった後に煙草を吸ったり、いびきをかいて寝てる男の人を見てるとね、屈服させて満足したはずなのに、なんだか無性に蹴り飛ばしたくなるんだよね。

 

カツラ：ちょっと意味が分からないんだけど。

 

ムツミ：結局、ご丁寧に時間をかけて、自分で自分を「それ」だけにしちゃっただけなんじゃないかなあ、って。

 

カツラ：……

 

ムツミ：私自身は、戦ってちょっとした優越感を抱いたつもりでも、結局周りから見たら「ただのビッチ」でしょ。

 

カツラ：そりゃあ……立ち位置が違えば、うん、そうもなるだろうけど。

 

ムツミ：この箱庭で遊ぶのが安心できて、ずっと好きだったはずなのに、いい年になってから見上げたこの箱庭の宇宙はすごく虚しくて。所詮これは、小さく切り取られて外から遮断されてしまった箱庭の宇宙なんだよ。

 

カツラ：坂井は本当は、綾野たちの側（がわ）でいたい、ってこと？

 

ムツミ：できればそうでいたかった。今更どうにもならないけど。

 

（少しの間）

 

カツラ：……なあ。

 

ムツミ：ん？

 

カツラ：坂井さ、なんで俺を誘ったの？

 

ムツミ：今更？

 

カツラ：その……聞くタイミングがずっとなくて。ああいや、違うか。ごめん、なんかずるいな。ここまで坂井に話させて、確かに今更だ。

 

（少しの間）

 

ムツミ：横谷君は、誰の側（がわ）でもなかったから。

 

カツラ：……

 

ムツミ：あれ、違った？

 

カツラ：そりゃ、綾野たちには乗っからなかったけどさ。

 

ムツミ：だよね。

 

カツラ：単にそういう話をするような友達がいなかったってだけとも言える。

 

ムツミ：それでも、私には大きなことだよ。

 

カツラ：そうか。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：……あと、あのクラスの「普通」が好きじゃなかった。

 

ムツミ：「普通」って言葉、やけに嫌うね。

 

カツラ：俺ずうっと中二病こじらせてるんだよ。自分は他とは違う、「普通」なんかじゃない何かがあるはずだって思いたくてさ。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：だから、俺もどこかで坂井のことを免罪符に利用してたんだよ。「普通」じゃないって言われて、それなりに結構ひどいこととかされながらも、坂井は絶対学校休まずに来てたろ？俺は綾野たちには乗らずにこっそり坂井を見守ることで、その……坂井の救世主みたいな気になってたんだ。

 

ムツミ：ちょっと気持ち悪いね。

 

カツラ：だろ？俺もそう思う。……でもとことんそうなんだよな。救世主気取りたいなら、あいつらと喧嘩でもすればよかったんだ。

 

ムツミ：……ねえ。

 

カツラ：なに？

 

ムツミ：卒業式間近の時期にさ、綾野さんと桐谷さん、斎藤君に、あと桐谷さんの彼氏だった川島君が誰かに襲われた事件があったでしょ？

 

カツラ：……あったな。て言っても、別に暴力振るわれたとかじゃなくて、確か白いペンキをぶっかけられたって話だったと思うけど。

 

ムツミ：そうそう。それでも結構ショッキングな事件だったじゃない。皆大騒ぎでさ。

 

カツラ：まあ、事件なんか起こらない街だったからな。

 

ムツミ：……あれ、横谷君でしょ？

 

カツラ：……見てたのか？

 

ムツミ：ってことは、やっぱり横谷君だったんだ。

 

カツラ：あ……

 

ムツミ：横谷君って、結構簡単だ。

 

カツラ：……だから、俺を誘ったの？

 

ムツミ：ううん。今の話を聞いて、単純にそうかなって思って聞いただけ。

 

カツラ：それを知ってどうするんだよ。もう時効だろ。

 

ムツミ：そうだね。でも別に私、横谷君をどこかに突き出したいわけじゃないんだ。

 

カツラ：じゃあなんで。

 

ムツミ：なんで白いペンキだったの？

 

カツラ：……ひとつは、俺がまともに喧嘩しても勝てる相手じゃないから。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：で、もう一つは……

 

ムツミ：……はっきり言ってよ。気になるじゃん。

 

カツラ：……あいつらが坂井に向けるいやらしい視線に一番近いものだと思ったから。その……色とか、匂いとか。

 

ムツミ：ぶっかけられる側にしたかったってこと？

 

カツラ：平たく言えば。

 

ムツミ：すっきりした？

 

カツラ：ちょっとは。でも、結局自分が何者なのかを思い知らされただけだった。

 

ムツミ：私と似てるね。

 

カツラ：もっと汚いよ。

 

ムツミ：何者だと思った？自分のこと。

 

カツラ：しょうもない――それこそ「普通」にチンケな倒錯者だと思った。

 

ムツミ：へえ。

 

カツラ：興奮したんだ、俺。普段「いかにもお綺麗です」みたいな顔をしたやつらが、真っ白にどろっどろに汚れるの見てさ。坂井のことなんか、その時はちっとも頭に浮かばなくて。自分が汚した奴らの姿を見てるのが、ただただ気持ち良かった。

 

ムツミ：ふぅん。

 

（少しの間）

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カツラ：あれ以来俺、セックスの時に女を徹底的に汚さないと興奮できなくなったんだ。

 

ムツミ：汚す？

 

カツラ：……これ以上は言いたくない。

 

ムツミ：ん、分かった。

 

カツラ：だからさ、俺は全然、坂井の思っているような綺麗な人間じゃないんだよ。

 

ムツミ：そうだね、びっくり。……てことは、横谷君は私のことを汚しにここに来たってことでいいの？

 

カツラ：……いいや、違う。俺は単に……

 

ムツミ：単に？

 

カツラ：単に、坂井と話がしたかっただけなんだ。

 

ムツミ：話？

 

カツラ：俺、坂井だけは抱けない。抱きたくない。

 

ムツミ：それ、私の存在全否定だね。

 

カツラ：坂井にとってはそうだよな。ごめん。

 

ムツミ：まあでも、私も私の中でお綺麗だった横谷君を試すために誘ったみたいなもんだから、おあいこか。

 

（カツラ、ふっと笑う）

 

カツラ：やっぱり、そうだったのか。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：試すまでもなかったな。

 

ムツミ：横谷君はさ。

 

カツラ：ん？

 

ムツミ：なんで私とエッチできないの？お綺麗じゃなくて、汚しがいがないから？

 

カツラ：不服そうだな。

 

ムツミ：言ったでしょ。私の存在を全否定してるようなもんだって。引き返せなくなった私が「それ」を否定されちゃうの、結構来るものがあるんだけど。

 

カツラ：おあいこ、って言う割には突っかかるのな。

 

ムツミ：悔しいんだもの。

 

カツラ：悔しい、か。坂井らしいな。

 

ムツミ：そう？

 

カツラ：強いなって思って。

 

ムツミ：強かったら、こんな箱庭は作らないと思うんだけど。

 

カツラ：でもそれが、坂井の生き延び方なんだしさ。すごいじゃん。周りがどう見ようと、坂井の中で、ここでセックスした男は全部屈服させた扱いなんだろ？ 

​

ムツミ：……

 

カツラ：俺は駄目だ。これだけ「普通」を嫌っているくせに、「普通」からほんの少しずれただけで劣等感を拭えない。

 

ムツミ：私だって、劣等感がなかったわけじゃないよ。綾野さんたちがやったこと、私に劣等感を植え付けるには十分だったもの。セックスのセの字も知らない頃に牛乳を入れたコンドームを投げつけられたりしたら、「何だか分からないけど自分って汚いんだ」って思うって。

 

カツラ：そうか。そうだよな。

 

ムツミ：でもさ、それじゃ生き抜いていけないでしょ。どうせ卒業したらなかったことになるようなことで、死にたいとは思えなかった。だってむかつくじゃない。

 

カツラ：だから戦おうと思った？

 

ムツミ：戦うしかなかったの。

 

カツラ：納得した。……坂井が自分のカラダを武器にしながら、自分はそれだけなんだってネガティブな言い方するのも。

 

ムツミ：イメージ壊した？

 

カツラ：それこそ「お互い様」だろ。

 

ムツミ：そっか。

 

カツラ：でも、それを聞いてもやっぱり俺は、坂井を抱けない。

 

ムツミ：同情？

 

カツラ：……前、付き合いで観に行った舞台でさ。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：いかにもな女たらしのキャラクターが言ってたんだ。「僕の初恋は壁画の天使で、君はその天使によく似てる。さすがの俺も、壁画の天使は抱けないよ」って、そんな感じのこと。

 

ムツミ：それで？

 

カツラ：俺が坂井を抱けないのは、多分それに近い。

 

ムツミ：私が壁画の天使？

 

カツラ：俺にとっては。壁画の天使を汚すわけにはいかないだろ。大罪だ。

 

（ムツミ、吹き出す）

 

ムツミ：冗談やめてよ。

 

カツラ：そりゃ昔から坂井はちょっと……エロいカラダしてたけど、俺はそれより、何を言われても何をされても表情ひとつ変えない坂井から目が離せなかった。多分坂井がそんなカラダしてなくても、きっと同じだったと思う。

 

ムツミ：だから、壁画の天使。

 

カツラ：なんか恥ずかしくなってきた。もうその話はいいよ。

 

（少しの間）

 

ムツミ：……ねえ。横谷君って、もしかして私のことが好きだったの？

 

カツラ：今思い返すとそうだったのかも。あの時はなんだか漠然としていて、全然自覚なかったけど。

 

ムツミ：……

 

カツラ：中二病が邪魔をしてたし。

 

ムツミ：そっか。

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：そっかぁ。

 

カツラ：……うん。

 

ムツミ：で、そういうことを話したくて、この部屋まで来たってこと？

 

カツラ：まあそんなところ。ここまでぶっちゃけることになるとは思わなかったけど。

 

ムツミ：そうなの？

 

カツラ：坂井の「箱庭」に圧倒されて、つい喋りすぎた。

 

ムツミ：横谷君も、箱庭の住人なのにね。

 

カツラ：え。

 

ムツミ：自分の好きなものだけを自分の世界に閉じ込めたくせに、箱庭から見える切り取られた宇宙にはちょっと違和感がある。でも箱庭からはまだ出られない。

 

カツラ：……

 

ムツミ：変なの。

 

カツラ：そっか、変か。

 

ムツミ：うん。変なの。

 

カツラ：うん。

 

（少しの間）

 

ムツミ：ねえ、本当に私とエッチしないの？

 

カツラ：しつこいな。

 

ムツミ：ふうん。そっか。

 

（ムツミ、小さく微笑む）

 

ムツミ：そっか。

 

カツラ：なんだよ。

 

ムツミ：横谷君。

 

カツラ：なに？

 

ムツミ：横谷君は、まだ生きるよね？

 

カツラ：はあ？なんだよ急に。

 

ムツミ：生きる予定だよね？

 

カツラ：まあ、そりゃあ。え、どういうこと？

 

ムツミ：死ぬ気がないなら、結局生きるしかないじゃない？私のこのカラダみたいに、変えようのないものがあったとしてもさ。

 

カツラ：……変えようの、ないもの。

 

ムツミ：女を汚さないとエッチできない、って性癖。そういうのって隠すことはできても、なかなか変えられないと思うんだけど。

 

カツラ：……そう、だな。

 

ムツミ：生きていくのに過去は役に立たないし、分かるはずのない未来なんてもっと役に立たないよね。

 

カツラ：何が言いたいんだよ。

 

ムツミ：私もよく分かんない。

 

カツラ：はあ？

 

ムツミ：でも、このベッドの上で横谷君と、エッチをしないでこうやって話すのは、思ったより悪くないなぁって思ったの。

 

カツラ：……

 

ムツミ：だからまたこうして話したいなって。

 

カツラ：坂井はそれでいいのかよ。

 

ムツミ：いいから言ってるんだけどな。

 

カツラ：そうかもしれないけどさ。

 

ムツミ：誰かと一緒に生きていくって選択肢はまだ私のなかにはないんだけど、誰かといるのはちょっとアリかもって思ったんだ。

 

カツラ：それ、何が違うの？

 

ムツミ：私の箱庭に横谷君がたまに来るのはいいけど、横谷君を箱庭の一部にはしたくないかなあ、みたいな。

 

カツラ：ああ、それなら分かる。

 

ムツミ：私の箱庭と横谷君の箱庭は絶対ひとつにならないしさ。

 

カツラ：……そうだな。というか、ひとつにしちゃいけない。

 

ムツミ：だよね。だからさ、とりあえず隣同士に置いてみない？

 

カツラ：行き来しやすいように？

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：そのうち気が変わって、俺が坂井を抱こうとしたらどうする？

 

ムツミ：その時が来たら考える。

 

カツラ：「分かるはずのない未来なんて当てにならない」か。

 

ムツミ：そ。

 

カツラ：……でも、汚したくないのは多分変わらないと思う。

 

ムツミ：私も、もう横谷君を屈服させたいとは思わないんじゃないかな。

 

カツラ：……そうか。

 

ムツミ：ん。

 

カツラ：ありがと。

 

ムツミ：なにが？

 

カツラ：いいや、別に。

 

（少しの間）

 

カツラ：……あのさ。

 

ムツミ：なに？

 

カツラ：ムツミ、ってどう書くの？

 

ムツミ：知らなかったの？

 

カツラ：目にはしてたはずなんだけど、あんまり記憶に残ってなくて。漢字なんて、そんなに重要じゃないだろ。

 

ムツミ：じゃあなんで今更？

 

カツラ：なんとなく。

 

（ムツミ、くすりと笑う）

 

ムツミ：笑っちゃうよ。「睦言（むつごと）」の「睦」でムツミなの。

 

カツラ：「睦まじい」の「睦」だろ。いい漢字じゃん。

 

ムツミ：そう？

 

カツラ：うん。

 

ムツミ：横谷君の「カツラ」って名前、珍しいよね。

 

カツラ：ああ、月桂樹から取ったんだってさ。

 

ムツミ：月桂樹って言うと、オリンピックの冠のイメージくらいしかないなあ。

 

カツラ：親はまさにそれをイメージしたらしい。「栄光」とか「勝利」みたいな。

 

ムツミ：ふうん。かっこいいね。

 

カツラ：……で、最近知ったんだけど、月桂樹の葉の花言葉が、さ。

 

ムツミ：うん。

 

カツラ：「私は死ぬまで変わりません」なんだって。

 

ムツミ：何それすっごい皮肉。

 

カツラ：だろ？

 

ムツミ：ていうかさ。

 

カツラ：ん？

 

ムツミ：なんか高校生のやり取りみたい。

 

カツラ：……だな。

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【幕】