#17「哀歌(エレジー)」
(♂2:♀1:不問0)上演時間30~40分
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彬
【彬(あきら)】男性
バンドマン。亮太の友人で七瀬の元恋人。
亮太
【亮太(りょうた)】男性
バンドマン。彬・七瀬の友人で、七瀬と同じバンドに所属しているベーシスト。
七瀬
【七瀬(ななせ)】女性
亮太と同じバンドに所属しているボーカリストで、彬の元恋人。
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―七瀬の家
(ドアの外で亮太がチャイムを鳴らしている)
亮太:七瀬、いるのか?七瀬?
(少しの間)
亮太:……いるんだろ、居留守使ってないで出て来いよ。
(ドアが開く)
七瀬:亮太……。
亮太:体調は?
七瀬:最悪。
亮太:だよな。ひでえ顔。
七瀬:放っておいて。
亮太:また一晩中起きてたのか。
七瀬:だって
亮太:だっても明後日もねえよ。上がるぞ。
(亮太、室内に入る)
七瀬:ちょっと勝手に。
亮太:どうせ何も食わずにいたんだろ。サンドイッチ作ってきたから、食えよ。
七瀬:食欲ない。
亮太:食わないと死ぬぞ。
七瀬:死んでも、いい。
亮太:人間ってのは、死ぬときに勝手に死ぬんだ。それまでは生きろ。
七瀬:その時を、少し早めたっていいじゃない。
亮太:「その時」ってのは、周りがそれを認めたり、あきらめたりした時だ。俺は認めてもいないし、あきらめてもいない。
(亮太、リュックから小さなランチボックスと水筒を出す)
亮太:ほれ、たまごサンド。お前好きだろ。スープもある。食え。ほれ、口開けろ。
七瀬:嫌なやつ。
(七瀬、しぶしぶ口を開ける)
亮太:お前の悪態には慣れたよ。やれ酒を飲んでスタジオに来るなだの、やれコーラスのピッチが安定してないだの、な。
(七瀬、サンドイッチを咀嚼する)
七瀬:……いつの話だっけ。
亮太:ほんの数週間前だよ。
七瀬:それしか経ってなかった?
亮太:そうさ。それしか経ってないのに、こんなになっちまって。
亮太:もう、彬(あきら)のことは忘れろ。あいつはもう、ここには来ない。
七瀬:だって、私たち
亮太:あいつは根っからの、しょうもないバンドマンだ。お前より夢を取った。それだけだ。
七瀬:……私が、いけなかったんだ。
亮太:七瀬……。
七瀬:家族に、なりたかったんだ。
亮太:……好きなだけ話せ。食いながらでいい。聞いてるから。
【間】
―以下回想/彬の家
(彬がギターを弾くのを七瀬が傍らで寝そべりながら聴いている)
七瀬:ねえ、彬。
彬:ん?
七瀬:今弾いてたのって新曲?
彬:そうだよ。
七瀬:すんごいかっこいいね!バックヤードベイビーズみたいな色っぽい荒さっていうかさ。
彬:お、分かるか。
七瀬:うん、彬に勧められて聴いたんだけど、良かった。キッズなのにセクシーで。
彬:だろ?実家のお袋も同じこと言ってた。
七瀬:そうなんだ。ねえ、彬ってよくお母さんの話するよね。
彬:……まあ、親父が出て行った後、女手ひとつで育ててくれた人だからな。
七瀬:強い人なんだ。
彬:ああ。その上俺の音楽も理解して、全力で応援してくれてる。ありがたいことさ。
七瀬:いいね、家族って。ほら私、両親がもういないからさ。親戚だってほとんど縁がないし。あー、でも彬のお母さんの話聞くと、なんだか私、女として自信なくしちゃうな。聞けば聞くほどすごい人なんだもの。
彬:七瀬もいい女だろうが。これだけ綺麗な顔であんだけ強い歌声してんのに、蓋を開けりゃ案外健気で尽くすタイプなんて、男からしたらたまらねえよ。しかも、ベッドでも最高なんて、さ。
(彬、七瀬に覆いかぶさる)
七瀬:ちょっと彬ったら。待って。
彬:そういう恥ずかしがり屋なところも良いんだよな。オスの本能をくすぐるっていうかさ。俺ほんと、オスで良かったって思うわ。
七瀬:馬鹿。生殖の決定権を持つのは、最終的にはいつもメスなんだからね。
彬:そうさ。だから俺は必死に、他のオスと一緒になって七瀬を口説いたんじゃねえか。
七瀬:他のオスなんて言い方、ひどくない?
彬:人間は結局動物だろ。
七瀬:そうなんだけど。なんだか私まで悪いことしてるみたいな気になるじゃない。
彬:自分で俺を選んだんだろ?何かを選ぶってことは、他を切り捨てるってことだぞ。
七瀬:それも……そうなんだけど。
(彬、にやりと笑う)
彬:悪いことってのは、共有した方が燃えるんだよ。……ああそうだ、この部分の歌詞、見てみろよ。
(彬は起き上がると、傍らに置きっぱなしだったノートを手渡し、七瀬に見せる)
七瀬:She is the queen of queens. You know about it……
彬:ステージの上で歌う七瀬。堂々としてて、まさに「女王」だからな。昔っから言われてたろ?
七瀬:堂々としてないと、下手くそなのバレるから、ってだけなんだけどね。
彬:そのはったりがまたそそるんだよ。ほら、その次。
七瀬:But she is a slave for me. “slave”……「奴隷」って、ちょっと!
彬:違う違う。最高のメスに選ばれたってことは、オスとしてひとつのステータスなんだ、って、俺なりのアピールだよ。
七瀬:子供みたい。
彬:子供の心を忘れたら、音楽なんてできねえって。
七瀬:そういうところが彬の音楽の魅力なのは、認める。永遠の悪ガキ。
彬:そして七瀬はそれが好きなんだろ?だからさ、今夜も口説かせてくれよ。
(彬、七瀬を抱きしめる)
七瀬:……ねえ彬。それなら私、彬と家族になりたい。動物なら動物らしく、命を繋ぎたいよ。
彬:……それもいいな。俺がギターを弾いて、七瀬と子供が歌って。うん、悪くない。
七瀬:彬……。
【間】
―回想終了/七瀬の家
亮太:……
七瀬:家族に、なれるはずだったのに。
亮太:馬鹿野郎。
七瀬:私が、焦りすぎたのかな。
亮太:どっちも馬鹿野郎だ。
七瀬:彬が音楽を捨てられるわけ、なかったのに。
七瀬:それに彬のお母さんが反対すれば、切り捨てられるのは私、ってどこかで分かってたのに。
(七瀬、一枚の写真を取り出し眺める)
亮太:その写真……
七瀬:私の夢の残骸。これしか、残らなかった。残せなかった。
七瀬:亮太。私、人殺しになっちゃった。
亮太:人殺しは、彬もだろ。
七瀬:それでも、決断して手術台に横たわったのは私だよ。
亮太:だから、彬の罪は重いんだ。オスの身軽さを、都合よく使いやがって。
七瀬:違う。私が、世間知らずの馬鹿だったんだ。
(少しの間)
亮太:ほら。スープ飲め。今はちゃんと栄養取らなきゃだめだ。
七瀬:どうして人殺しの私は、まだ死ねないんだろう。
亮太:罪を背負うため、だろ。簡単に許されると思うな。
七瀬:亮太は、優しいね。
亮太:……七瀬、曲を作れ。作って歌え。
七瀬:え?
亮太:どんなに雑なメロディでも、どんなに支離滅裂な歌詞でもいい。俺がきっちり演奏してやる。歌え。
七瀬:なんのために。
亮太:お前が、お前自身の死ぬその時までにできることが、それしか思い浮かばないからだ。俺にはそれしか言えないし、できない。
七瀬:もう人前には出たくないの。
亮太:それでも、生きている限り出ていかなきゃならないんだ。怖くなったら俺を呼べ。いつだって引っ張りだしてやるから。
(七瀬、ふっと笑う)
七瀬:彬も、そう言った。
亮太:え?
七瀬:そう、言ったの。
【間】
―以下回想/彬の部屋
(ベッドで彬と七瀬が眠っている)
七瀬:(うなされている)
彬:おい、七瀬。
七瀬:嫌だ……!お父さん、お母さん!
彬:七瀬!
(七瀬、彬に揺さぶられて目を覚ます)
七瀬:あ、きら……
彬:また事故の時の夢か。
七瀬:うん……ごめん。
彬:いいって。それだけ辛い思いしたんだろ。
七瀬:ねえ、彬。
彬:ん?
七瀬:抱きしめて。
彬:言われなくたって。
(彬、七瀬を抱きしめる)
七瀬:……あのね、私たまに幻を見るの。
彬:幻?
七瀬:すごく賑やかな大通りなんかを歩いている時に、よくあるんだけどね。突然どこからともなく銃弾が飛んできて、私の胸を貫くの。
彬:なんだよそれ。
七瀬:でね、周りの人たちは倒れる私のことなんて、なんにも気に留めず、笑顔で通り過ぎていって。
彬:どうして。
七瀬:私が、お父さんとお母さんの命を犠牲にして生き残ってしまったから、かな。
彬:犠牲?
七瀬:あの時お父さんとお母さんがとっさに私を庇わなければ、私はそこで死んでいたはずだったんだって。
彬:それは犠牲にした、ってのとは違うだろ?
七瀬:皆そう言うよ。でも、たまに思うの。私は本当は死んでいるのに、何かの間違いで魂だけ違う時間軸に迷い込んじゃっているんじゃないか、って。
彬:何を
七瀬:だから、死神がそんな私を追って、もう一度殺しに来るの。魂だけだから、私の姿は誰にも見えてない。私の声も聞こえてない。そう考えればつじつまが合うなぁ、なんて思いながら死ぬ、幻。
彬:嫌なもんだな。
七瀬:うん、怖い。それが真実なように思える時があって、怖いの。だから私は、彬と抱き合うのが好き。彬は、今まで出会った誰よりも私を求めてくれる。痛みや快感や、ほんのちょっとの切なさで「ちゃんと生きてる」「生きていいんだ」って実感させてくれるから。
彬:いつでも言えよ。
七瀬:え?
彬:幻と現実の境目が分からなくなったら、俺を呼べよ。「抱いて」って一言言えばいい。いつだって抱くから。
七瀬:彬……。
彬:そう。そうやって呼べばいい。簡単なことだろ?
【間】
―回想終了/七瀬の家
亮太:だから今も呼んでいるのか、彬を。
七瀬:うん。
亮太:……それでもいい。
七瀬:え?
亮太:彬を呼ぶ歌でもいい。それを音にできるのが他にいないから、って理由でもいい。俺を呼べよ。あいつより早く飛んでいくから。現実に引き戻してほしければ、いくらだって俺が抱く。
七瀬:それをしたら、私いよいよ最低じゃない。
亮太:どうせならとことん最低になればいい。死ぬよりましだ。
七瀬:無茶言わないで。
亮太:お前がそれをしないのは、分かってる。それでも、伝えたかっただけだ。気にするな。
七瀬:……
亮太:よし、ちゃんと食ったな。明日もスクール終わったらまた来るから。
(亮太、空になったランチボックスと水筒を片付ける)
七瀬:そっか、亮太、今クラフトのスクールに通ってるんだっけ。
亮太:ベーシストじゃ食っていけないって分かったからな。それでもせめて好きな音楽とベースにずっと関わっていたい、っていう未練だな。
七瀬:それでも、素敵なことだと思うよ。
亮太:サンキュ。食いたいもの、考えとけよ。
七瀬:食欲ないから分からないって。
亮太:そうしたらまたたまごサンドになるぞ?俺、それくらいしか作れねえから。
七瀬:それでもいいよ。
亮太:……そっか。それじゃ、また明日な。
七瀬:亮太、ありがとう。
亮太:ん。
(亮太、部屋を出る)
(少しの間)
七瀬:……ごめんね。卑怯で。
【間】
―とある夜の彬と亮太の電話
亮太:もしもし。
彬:何の用だよ。
亮太:分かってるだろ。
彬:……七瀬のことか。
亮太:ああ。
彬:お前が何を言おうと、俺はもう七瀬と寄りを戻すつもりはねえぞ。
亮太:……今更そんなこと言わねえよ。
彬:じゃあ何の用で電話してきた。
亮太:俺にもよく分からないけど。
彬:はあ?
亮太:お前の正直な気持ちを、聞きたかった。
彬:俺の気持ち?
亮太:俺の目から見ての話だけど、お前がそう簡単に七瀬を切れるとは思えないんだ。
彬:それを知ってどうする。どういう理由があれ、結果は同じだ。俺は七瀬を捨てた。
亮太:七瀬は、まだお前を信じてるんだ。
彬:だからなんだよ。俺にできることは……もうない。
亮太:子供ができたって聞いたとき、一度は結婚を決めたんだろう?それなのになんで。お前のなかで、何があったんだ。
彬:……七瀬から聞いてないのか?
亮太:お前の夢のことも含めて、お袋さんに反対されたらしい、ってのは聞いた。
彬:なんだ、知ってるんじゃないか。
亮太:お前にとってお袋さんは、そんなに大きな存在なのか?
彬:結婚って、普通は双方の家族に認められないとできねえもんだろうが。
亮太:日頃ロックだなんだってアウトローぶってるお前のセリフとは思えないな。
彬:……
亮太:意地を通す素振りすら見せなかったのは、何故なんだ。
彬:……俺を女手ひとつで苦労して育ててくれた人だ。裏切れねえよ。
亮太:そうか。
彬:お袋が認めないものは、たとえどんなに欲しいものであっても選べない。それが俺の人生だ。
亮太:なんで七瀬は駄目だったんだ。
彬:「あなたが音楽を脇に置いてまで、そばにいる必要のある女の子とは思えない。子供だなんて、もってのほかよ。順序を守れないなんて、はしたない子。ご両親がいない子って、やっぱりそうなのね。あなたにはふさわしくないわ」。
亮太:は?
彬:「その子の何が良かったの?あなたはまだまだ子供だから、騙されたのね。可哀想に。あなたには音楽で成功できるだけの才能がある。成功したらもっと素敵な女の子が見つかるから、その子はやめておきなさい。あなたのためよ」。
亮太:なんだよ、それ。
彬:お袋がそう判決を下したら、俺はそれに従うしかできない。
亮太:お前の意志はないのか。
彬:さっきも言っただろ。俺はお袋を裏切れない。
亮太:裏切れないんじゃない。お前はただ、支配されているだけの子供だ。
彬:お袋にとっては、俺は永遠の子供で、玩具なのさ。甘やかして支配して、それで満足。
亮太:分かっているのなら、なんで
彬:お前に何が分かる。
亮太:なっ……
彬:お前に、生まれた時から玩具だった人間の何が分かる。幸せに愛されて育ったお前の「常識」は、俺らの非常識だ。七瀬もお前も俺も、三人がそれぞれに対して非常識なんだよ。結局。
亮太:……
彬:お前が七瀬をずっと好きで、なんとかしたいと思っているのは分かるけどな、お前がお前の「常識」でしか物を見ない以上、お前に七瀬は救えない。
亮太:お前にそれを言われる筋合いはない!
彬:そうさ、俺にその権利はない。だから俺も七瀬を救えない。俺はそれを分かってる。
亮太:……お前と腹を割って話そうとした俺が馬鹿だったよ。
彬:そうさ、大馬鹿野郎さ。俺らみんな、な。
亮太:俺は俺のやり方で七瀬をまた笑顔にしてみせる。
彬:それもお前のエゴさ。動けなくなっている七瀬を認められないようじゃ無理だ。
亮太:知ったような口を利くな。もういい。
(亮太、電話を切る)
彬:だからお前は選ばれなかったんだよ。ばーか。……くそったれ。
【間】
―数日後/七瀬の家
(亮太、チャイムを鳴らす)
亮太:七瀬。いるか?
(少しの間)
亮太:七瀬。
(少しの間)
亮太:……七瀬?
(亮太、ドアノブを掴む。鍵がかかっていないことに気付く)
亮太:鍵が、開いてる……?まさか!
(亮太、ドアを開け家の中へ)
亮太:七瀬!
(七瀬は部屋の真ん中でイヤホンをして歌を口ずさんでいる)
亮太:……なんだ、音楽を聴いてただけか。久しぶりだな、お前が音楽聴くなんて。うん、いいことだ。
(七瀬は返事をせずに歌を歌い続けている)
亮太:でも玄関の鍵開けっ放しで、外の音も聞こえないレベルの音量ってのは危険だぞ。
(七瀬は歌い続けている)
亮太:なあ、何聴いてるんだ?良かったら俺にも聴かせてくれよ。
(七瀬は歌い続けている)
亮太:なあ、七瀬。聞こえてるんだろ。
(亮太、イヤホンが接続されていないことに気付く)
亮太:……!?七瀬!
(亮太、七瀬のイヤホンを奪う)
七瀬:やめて!
亮太:やっぱりランプがついてない……。これ、充電切れてるじゃねえか……。
七瀬:やめて!今彬の新曲聴いてるの!返して!
亮太:返さねえよ!もうやめろ!
七瀬:返して!
亮太:落ち着けよ七瀬!このイヤホンからは、聴こえるはずがないんだ!お前の聞きたいものは、もう聞こえないんだ。
七瀬:聞こえるよ。だって、私の耳が、心が覚えてるもの。だからお願い、返して……!
亮太:そうしてまた閉じこもるのか。永遠に救いのない路地裏に、自分から。そうして、もう来るはずのない彬を呼ぶのか。
七瀬:来るはずがないなんて言わないで。
亮太:……聞いたんだ。
七瀬:え?
亮太:彬から、直接。
七瀬:……
亮太:あいつはもう、お前を救いには来ない。
七瀬:嘘。
亮太:嘘じゃない。
七瀬:嘘!亮太の嘘つき!
亮太:どうして……
七瀬:嘘……ばっかり……!
(七瀬、涙を流す)
亮太:どうして俺が嘘つきになるんだよ。こんな思いをしても、なんでまだ、お前の真実は彬なんだよ……!
七瀬:分かってる……のに……!なん、で……
(七瀬、泣き崩れる)
(少しの間)
亮太:七瀬、すまん。俺には、お前の望むような救いは与えてやれない。だから俺は今から最低のクソ野郎になる。だけど信じてくれ。俺は、お前をまた日の当たる場所に戻したいだけなんだ。
【間】
彬:……それで、俺を呼んだのか。
亮太:ああ……すまない。
彬:ったく、泣くだけ泣いてお前の膝で寝ちまったんなら、そんな必要もねえだろうが。
亮太:七瀬にとって俺の膝は、そこのソファのひじ掛けと同じだよ。そこにあるだけのものだ。
彬:女はお前が思ってるより余程したたかだぞ。
亮太:分かったようなことを言うな。
彬:俺が改めて七瀬に別れを告げることに、一体何の意味がある。
亮太:……
彬:もう一度傷つけるだけなんだぞ。
亮太:……分かってる。
彬:……そうかお前、七瀬がもう一度傷つけばいいと思ってるのか。
亮太:……は?
彬:とことん沈んで口もきけなくなれば、お前が力ずくで引っ張り上げられる、そう思ってるんだろう?
亮太:そんなつもりじゃ……ない。
(彬、大声で笑う)
彬:あっはははは!
亮太:何がおかしい。
彬:俺は嫌いじゃないぜ。そうさ、それでいい。俺たちは所詮動物だ。欲望に忠実に生きりゃいいのさ。良い奴の仮面なんか被ったって、結局いつかは剥がれるんだ。俺みたいにな。
亮太:動物はこんな最低な手は使わない。俺は、動物ですらない。
彬:そうやっててめえに酔って、何か救われるのか?
亮太:いちいち揚げ足を取るな。
(七瀬、目を覚ます)
七瀬:……ん。
亮太:すまん、七瀬。起こしちまったか。
(七瀬、大儀そうに起き上がる)
七瀬:ごめん亮太、私……
(七瀬、彬に気付く)
七瀬:……え?
彬:おう、久しぶり。
七瀬:彬……!?
彬:風の噂にお前がボロボロになってる、って聞いてな。
七瀬:それで、会いに来てくれたの……?
彬:ああ。もううんざりだ、って言いにな。
七瀬:え?
彬:なんてことない別れをそんなに大事(おおごと)にすんなよ。迷惑だ。
七瀬:あ……
彬:それとも何か?俺にあてつけたつもりだったのか?俺にも罪悪感で苦しんで欲しかったか?
七瀬:違う、そんなんじゃ
彬:お前がどれだけボロボロになろうと、俺は罪悪感は抱かない。俺はお袋の言うように、俺の音楽のためにはお前たちが邪魔になるって思っただけだ。お袋の言うことはいつも絶対だからな。だから、悪いなんて微塵も思ってない。
七瀬:そう……。
彬:それを言うために来た。もう二度とお前の前には現れない。ちょうどお袋のすすめで、近いうちに俺はアメリカに行くことになってる。だから、これで本当にサヨナラだ。
七瀬:彬のバンドは?
彬:……仕方のねえことさ。
七瀬:そっか……。私のせいだとしたら
彬:お前のせいじゃねえよ。いちいち悲劇のヒロイン面すんな。
七瀬:ごめん、ね。
亮太:七瀬……
(七瀬、笑顔を作り立ち上がる)
七瀬:……せっかくだから、お茶くらい飲んでってよ。亮太も。二人とも、せっかく来てくれたんだしさ。
亮太:あ、ああ。
彬:亮太!
亮太:え?
七瀬:うあぁぁぁぁぁ!
(七瀬、棚から取り出した包丁を二人に向ける)
彬:おい!何してんだお前!
亮太:七瀬!包丁なんかで何をするつもりだ!やめろ!
七瀬:わかんない!わかんないよ!もう自分でも、何がしたいのか、何が欲しいのか!
(七瀬、再び涙を零す)
七瀬:戻りたいよ……。ただただ楽しく過ごしていた時に、戻りたいよ。ねえ亮太、私、どうしたらいい……?
亮太:七瀬
彬:じゃあ俺を刺せよ。
亮太:彬!?
彬:俺が死のうがお前が死のうが、時間は戻らない。割れたものは、元には戻らない。
七瀬:そんなの分かってる。だけど私は、それに何一つ付いていけてない。
彬:今が嫌なんだろ?それなら、その今をぶっ壊して次に進むしかねえのさ。
七瀬:彬らしいね……。
彬:らしくねえよ。俺は、自分が傷つく道は歩きたくねえだけなんだよ。
七瀬:それなら、なんで。
彬:……さあね。
(彬、七瀬の手を掴み、包丁を自分に向ける)
七瀬:手を離して……!
彬:ほら、刺せよ。
七瀬:だめ……!
彬:お前がその包丁を選んだんだ。責任取れよ、ほら。
七瀬:いや……!
彬:刺せよ!
(七瀬、彬の怒号に弾かれたように包丁を振りかざす)
七瀬:ああぁぁぁぁ!
(少しの間)
(七瀬の包丁は、二人の間に割って入った亮太の腹に刺さっている)
七瀬:あ、あぁ……
彬:てめえ……!
亮太:か、はっ……!
(亮太、ゆっくりと膝をつき咳込む)
七瀬:ねえ……ねえ、なんで?亮太、なんで?
彬:てめえ、なんで俺なんか庇った!
亮太:わから、ない……。ただ、七瀬に、七瀬が彬、お前を刺すことだけはあってはならない、そんな、気が……ごほっ……した、だけだ……。
七瀬:意味が分からないよ……!
亮太:分からなくて、いいんだ。俺と七瀬は、違うんだから、な。
彬:待ってろ、今救急車を呼ぶから。
亮太:ごめんな、彬。
彬:うるせえ、黙ってろ。
亮太:ごめんな、七瀬。
七瀬:なんで亮太が謝るの……。
亮太:七瀬、俺の傷口に触れてくれ。
七瀬:駄目だよ、バイ菌が入る……!
亮太:俺の血は、温かいはず、だ。お前がつけた、俺の傷……げほっ……これは「現実」だぞ。俺の、エゴでも、いい……。七瀬、帰って来い……!
七瀬:やだ、亮太……!
亮太:……あい、してる、から……
(亮太、意識を失う)
彬:おい!おい亮太!しっかりしろ!
七瀬:りょ、うた……?亮太!
(七瀬、ぐったりと動かなくなった亮太にすがる)
七瀬:いやぁぁぁぁぁぁぁ!
【間】
―数年後/とある海岸にて
(彬がギターケースを片手に佇んでいる)
彬:よぉ、今年も来てやったぜ。それにしても、どうして海ってのは、こうどこもくそさみぃかね。
(少しの間)
(彬、小さく微笑む)
彬:今日な、亮太と七瀬の結婚式なんだってよ。あいつら本当にひでえよな。今日はお前の命日だってのに。幸せボケもいいところだ。……ま、忘れちまった方がいいこともあるわな。俺のこともお前のことも、あいつらはきっと忘れやしないだろうけど、それでも、忘れちまって欲しいと、俺は思う。お前のことは、俺が忘れなけりゃ、それでいい。
(彬、ケースからギターを取り出し構える)
彬:……さ、今日もやるか。お前のためだけのソロライブだ。この曲はどこのライブハウスでもまだ歌ったことがねえんだ。この先もねえだろうな。くそったれなくらい良い曲なんだが、これはお前と俺のためだけの曲だ。……それじゃ、聞いてくれ。
(彬、大きく息を吸ってタイトルコール)
彬:「哀歌(エレジー)」。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【幕】