#26「電脳空間のサナギたち」
(♂1:♀1:不問0)上演時間20~30分
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白井
【白井カオル(しらいかおる)】(女性)
黒川の姉を殺害した罪で「電脳刑」となった男。被害者遺族である黒川の要望により、
電脳空間に女性として収監されている。
黒川
【黒川ジュン(くろかわじゅん)】(男性)
姉を白井に殺害され、事あるごとに電脳空間に収監された白井のもとを訪れ、白井を責め苛む。
電脳空間では男性として存在しているが、ケーブルで接続された本来の肉体は女性。
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―電脳空間内/白井の部屋
(白井は椅子に座って本を読んでいる)
(扉を開け、黒川が入ってくる)
黒川:こんにちは。
白井:……いらっしゃい。
黒川:またその本読んでるの?
白井:……好きだから。
黒川:「変身」……えっと、朝目覚めたら虫に変身していた男の話、だっけ?
白井:ええ。
黒川:そっか。
(白井、本をぱたんと閉じる)
白井:不条理、よね。
黒川:そうかな?
白井:理由も分からずに虫になった挙句全てを失い、そして死んでゆく。そんなの嫌だわ。
黒川:本当になんの理由もなければ、そうだろうね。
白井:何が言いたいの?
黒川:本人が気付いていないだけで、虫になるのに相応しい理由があったとしたら?
白井:虐げられ、ごみのように死んでいくのも致し方ない、と?
黒川:そういうこと。
白井:乱暴ね。
黒川:乱暴っていうのは、こういうことを言うんだ……よっ!
(黒川、白井の頬を殴る)
白井:うっ……!
(白井、椅子から転げ落ち、床に倒れる)
黒川:もしかしてあんた、自分の今の状況を、「理不尽だ」って思ってる?
白井:そんなこと
黒川:じゃあなんでそんな目をしているの?
白井:目?
黒川:哀れっぽい、「被害者」の目だよ。
白井:……違う!
黒川:あんたはきっと正しい。あんたが殺した僕の姉さんは、そりゃあろくでもない女だったからね。男を、ただ利用し使いつぶすための存在としか見ていなかった。姉さんを間近で見続けてきたあんたが殺意を抱くのは、仕方ないと思う。
白井:……。
黒川:酒乱で借金癖もあって、本当にどうしようもない人だった。……でもね、姉さんは僕のたったひとりの肉親で、そして僕にはいつだって優しくて、あたたかくて、美しい……最高の女(ひと)だったんだ。
(黒川、静かに涙を零す)
白井:……そう。
黒川:だから僕は、あんたを許せない。僕はあんたに、僕の考えうる全ての苦痛を与えなければ気が済まないんだよ。
白井:私があなたの大切な人を殺したのは事実よ。だから私は「ここ」にいる。理不尽だなんて、思っていないわ。
黒川:へえ。
(少しの間)
白井:……それで、今日は何をするの?
黒川:あれ、叩かれるのも蹴られるのも、もう慣れちゃった?
白井:いいえ。しかたがないと分かっていても、痛いのはやっぱり怖いわ。
黒川:それでも、あんたは泣かなくなった。
白井:……。
(黒川、小さくため息をつく)
黒川:やっぱり、姉さんと同じ思いをしてもらうのがいいのかな。
白井:……え。
黒川:ナイスタイミングだよ。そろそろ頃合いかなって思って、僕用意してきたんだよ。……あんたが姉さんを刺したのと同じナイフを、さ。
(黒川、ナイフを取り出す)
白井:あ……ああ……
黒川:ああ、久しぶりに見たよ、その顔。痛いのなんかより、もっと怖いよね。死ぬのは、さ。
(白井、震えながら後ずさる)
白井:や……めて……
黒川:姉さんも、きっとそう言ったよね。
白井:ごめんなさい……ごめんなさい……!
黒川:本当は僕も、こういうのは好きじゃないんだけど。だから、僕のほうこそ……ごめんね?
(黒川、白井の腹にナイフを深々と突き立てる)
白井:あ……っ!ぐっ……う……あ……っ!
(悶え苦しむ白井)
黒川:それじゃあ今日はこれで。バイバイ。またね。
【間】
―翌日/白井の部屋
(白井、ベッドにけだるそうに横たわっている)
(黒川、部屋に入ってくる)
黒川:おはよう。
白井:……おはよう。
黒川:元気?
白井:ええ。
黒川:一晩ですっかりやつれちゃったね。
白井:……
黒川:ごめんね。もう昨日みたいなことはしないよ。
白井:悪いのは私だから……別にいいの。
黒川:別にあんたに同情したわけじゃないんだけどね。単純に気が済んだんだ。一度あんたを殺したら、なんかもういいや、って。それに……
白井:それに?
黒川:いくら「ここ」であんたを傷つけたところで、あんたの本体は、刑務所内のカプセルで安らかに寝息を立てているだけでしょう?だからなんだか馬鹿馬鹿しくなっちゃった。
白井:ネットワークを介して感覚は共有しているはずよ。だから私は――私の精神と肉体は、何度でも死の恐怖と苦痛を味わえる。
黒川:まるで何度でも殺されたがっているような口ぶりだね?
白井:それが私への罰だから。あなたのお姉さんを殺してしまった……ね。
黒川:自罰的で大いに結構。
白井:死刑が廃止された今、もっとも重いとされているこの「電脳刑」の刑期はほんの数年。それが何を意味するか――被害者にはその期間徹底的な復讐が許されている、ということよ。だからあなたはこうやって毎日、私を苛みにやってくる。そうでしょう?
黒川:そうだね。
白井:刑期を終えた時に脳がダメージを負いすぎて、廃人同然になっていたとしても構わない。なんならそれを推奨してさえいる。これは、そういう刑だもの。
黒川:……それでもやっぱり、痛いのはもうやめるよ。
白井:なぜ?
黒川:僕自身も苦手なんだよ、そういうの。怒りをそのままぶつけ続けるのは、すごく疲れる。それこそ「リアル」の僕の肉体にも、あんたを殴ったり蹴ったり……刺したりした時の感覚は残っててさ、戻った時に一気にそれがやってくるんだ。結構それも嫌なもんなんだよ。諸刃の剣ってやつ。
白井:……じゃああなたはこれから、一体どうするの。
(黒川、小さく微笑む)
黒川:今僕らはさ、頭のスロットとコンピュータをケーブルでつないで、ここ……電脳空間にいる。
白井:そうね。
黒川:それって要はさ、ケーブルでつなぐことさえできれば、他の人間もここに入ってこられる、ってことなんだよね。
白井:え?
黒川:そしてこの「電脳刑」においては、ここで君に何をするのか、それは被害者遺族である僕が決めていいことになっている。
白井:……
黒川:痛いのが続くと、心が死んでいくよね。殴ったら殴った分だけ、蹴ったら蹴った分だけ涙を流していた君も、最近は泣かなくなってきたでしょ?
白井:……だから?
黒川:だから、死へ向かう苦しみでなくて、生(せい)を嫌でも実感させられる苦しみってのも、悪くないかなぁって思ったんだ。
白井:どういう、こと?
黒川:それなら僕も少しは楽かもしれない。そんな気がしたんだ。……あぁ、入って。
(扉を開けて男が入ってくる)
黒川:君の今日の「お客さま」だよ。
白井:まさか……!
黒川:今日から君には、ここで客を取ってもらうね。男に抱かれるの、嫌でしょ?
(男が下卑た笑いを浮かべ、白井ににじり寄る)
(布団で身体を隠し、後ずさる白井)
白井:そんな……嫌……
黒川:嫌悪感しかないはずだよね。でも、嫌悪すればするほど、身体の感覚ってのは研ぎ澄まされていく。
白井:やめて……
黒川:死にたくなるはずさ。でもあんたは死ねない。自殺はこの空間での唯一の禁則事項だからね。だから今日からあんたには、生きていることを、吐き気を催しながら身体全体で感じてもらうよ。
(男がベッドに片足を乗せ、白井の肩に手を掛ける)
(白井、さめざめと泣く)
黒川:泣かないで。いっそ楽しんでみる努力でもしてみたら?そうすれば、案外悪くないかもよ?
白井:そんなこと……できるわけがないでしょう!
黒川:そうだよね、ごめん。それじゃ、あとは彼に任せたよ。またね。
(ベッドのきしむ音)
白井:いやあぁぁぁぁぁぁ!
【間】
―数時間後
(白井、ベッドにぐったりと伏している)
(男と入れ替わりに黒川が部屋に入ってくる)
黒川:あーあ、ボロボロだね。
(白井、すすり泣いている)
黒川:やっぱり嫌だった?
白井:嫌に……決まっているでしょう?
黒川:そうだよね。
(黒川、ベッドに腰掛ける)
白井:……何をする気?
黒川:別に。添い寝でもしようかと思って。大丈夫。ひどいことはしないから。
白井:え……?
黒川: 少しだけ布団に入れて?あんたが眠るまで、話がしたいんだ。
白井:……
黒川:あんたが姉さんを殺した日のこと。
白井:……分かったわ。
(白井、身体をずらして黒川をベッドに入れる)
(少しの間)
黒川:あんたと姉さんと僕で、三人で海に行った帰りだった。
白井:……ええ。
黒川:僕が疲れて眠っている間に、姉さんは殺された。
白井:そう、ね。
黒川:あんたは姉さんと何を話したの?そして何故刺したの?
白井:今は……言えない。
黒川:それ、ずいぶん都合よくない?
白井:ごめんなさい。でも、言えないわ。
黒川:そっか。じゃあいいや。
白井:ごめんなさい……。
黒川:ねえ。
白井:なに?
黒川:僕が今あんたを抱こうとしたら、やっぱりあんたは涙を流す?
白井:そうね。でも、抵抗はしないわ。
黒川:どうして?
白井:言ったでしょう?あなたが私を責めるのは、仕方のないことだもの。
黒川:仕方がない、か。
白井:何が、言いたいの?
黒川:なんでもない。
(白井、そっと黒川に触れる)
白井:ねえ。
黒川:なに?
白井:……こっちに、来て。
黒川:図々しいな。君が僕に指図する権利なんかないんだよ。
白井:それでも、私は望むわ。
(黒川、乱暴に白井を組み敷く)
黒川:もういい。黙って。頭、おかしくなりそうだ。
【間】
―ある夜/白井の部屋
(ベッドの上に横たわる白井と黒川)
白井:ひとつ……聞いてもいい?
黒川:なに?
白井:あれから毎日、あなたは一日の終わりに私と寝ているけれど。
黒川:うん。
白井:一体なんのためなの?
黒川:最初に誘ったのはあんたでしょ。
白井:それは……そうだったけど、それからはいつもあなたが
黒川:あんたに優しくしたいから。
白井:え?
黒川:憎まれて復讐をされているはずの相手に優しくされるの、つらいでしょ?
白井:……
黒川:あ、優しくできてなかった?ごめんね、僕「そういうこと」不慣れだから。
白井:ううん、違う。優しくしてもらっていると思うし、それに確かにそれはつらいけど……
黒川:けど?
白井:言ったでしょ?私はそれを望んでいるって。つらくてもそれでいいと思ってる。でもあなたは?いくら復讐のためとはいえ、憎む相手に優しくするの、私なら吐き気がする。あなたは、それでいいの?
黒川:……それならなんで、君は僕を受け入れるのさ?
白井:あ……
黒川:僕が苦しんでいるんじゃないかって思って、溜飲を下げてた?
白井:そんなつもりじゃ……
黒川:じゃあどんなつもりだったの?
白井:おかしいと思われるかもしれないけれど、こうやって私に優しくしている時が、あなたが一番安心しているように見えたから。
黒川:……ずいぶん都合のいい妄想だね。
白井:そうかもしれないわね。
(黒川、起き上がる)
黒川:……帰る。
白井:それがいいわ。
(少しの間)
黒川:……カオルさん。
白井:なに?
黒川:姉さんを、愛してた?
白井:……
黒川:答えて。
白井:あの人は……太陽だった。世間から見ればただのクズだったのかもしれないけど、それでも、私には眩しかったわ。
黒川:そう。
白井:もっとも、そう言いながら、結局私は彼女を殺してしまった――汚してしまった。……情けないわよね。
黒川:「あの日」も、そういう話をしていたの?
白井:「あの日」?
黒川:海に行った日。
(白井、小さく息を吐く)
白井:あの日、彼女はいとおしそうにあなたの寝顔を見つめた後、こう言ったわ。「この子とあなた、似てるわ。私を愛しながら、私などいなくなればいい、って思ってるでしょう?」ってね。
黒川:……え?
白井:「私がいるから、私を見つめているから安心して生きていけるのに、どこかで私のいない世界の自分を望んでる。ずるくてみっともない。だから私は、あなたたちが特別に大好きよ」。……そう、言ったの。
黒川:そんな
白井:だから、私は彼女を刺した。自分の彼女への愛が途端に陳腐なものになり下がったのが分かって、怖くなったの。
黒川:僕らが姉さんのいない世界を望んでる、なんて、そんな。
白井:じゃああなたは、それをきっぱりと否定できる?
黒川:……分からない。
白井:それは肯定と同じよ。
(黒川、小さく震える)
黒川:……姉さんを愛してた。だから、姉さんを殺したあんたに復讐をする。それだけで、よかったんだ……。
白井:ジュンく
黒川:名前で呼ばないで!
白井:ごめん。
黒川:……分かってたんだ。あんたの心も身体も殺しきれない理由。何をしても息苦しくて、満たされなかった理由。あんたに復讐すればするほど、それは確信に変わっていった。
白井:……
黒川:カオルさん。あんたが流す涙には、結局姉さんへの愛と後悔しかなかった。僕とあんたの間にはいつも姉さんがいる。僕にはそれが、いつもたまらなく不快だった……!
(少しの間)
白井: ……君が何故、男の俺を女性にして、女性として振舞うことをを強要してここに閉じ込めたのか、少し分かった気がするよ。
黒川:……
白井:君は、君の姉さんを愛していた「白井カオル」という男を見たくなかったんだね。電脳空間のなかでさえも、存在することを許せなかったんだ。
黒川:……でも、変わらなかった。あんたを姉さんと同じ女にしてみたところで、常に姉さんはそこかしこで笑っていて、あんたの瞳は変わらず姉さんを追っていた。誰も私のことなんか見ていない。
白井:……
黒川:姉さんの陰で卑屈に笑って生きてきた。姉さんがいるから自分の存在を認められた。誰にも優しくない姉さんが優しくする存在、それが私。それが私の存在意義だった。だから、私は姉さんを愛してた。でも、姉さんのそれは愛なんかじゃない。似た者同士のあんたなら、きっとそんな私に、私自身に気付いてくれると、ずっと……どこかで信じていたのに……!
白井:……ごめんね。
黒川:あんたは姉さんを殺した時に、同時に私も殺したんだ。
白井:でも君は死んでいない。「白井カオル」という男を電脳世界で女に生まれ変わらせたように、「黒川ジュン」という少女も生まれ変わらせた。そしてもう一度生き直すために、俺を責め続けているんだろう?
黒川:……
白井:違うかい?
黒川:そんなの……分からない。
(少しの間)
白井:君はひとつ勘違いをしている。
黒川:え……?
白井:「ここ」は――この電脳空間は、君と俺だけの空間だよ。
黒川:だから?
白井:俺は、歪な形でこそあったかもしれないけれど、確かに君の姉さんを愛していた。だから毎日後悔している。それは間違っていない。だけど、俺が罰を乞う相手は、彼女ではなく、君なんだよ。
黒川:……っ!
白井:君の叫びに気付くのは確かに遅かったし、君の望む向き合い方じゃなかったのかもしれない。……最初は確かに恐怖と不安しかなかった。だけど君が泣きそうになりながら俺を痛めつけるのを見ているうちに、俺はいつしか君がやってくるのを、毎日鼓動を早くさせて待つようになった。
黒川:な……んで?
白井:だって君は、全力で俺を打ちのめすから。
黒川:まさ、か……
白井:そう、俺たちは同じだよ。本当に、何もかも。君が与えるものがどれだけ痛くとも、苦しくとも、俺は幸せなんだ。だってそれは、真(しん)に俺だけに向けられたものだからね。
黒川:そんな……そんな……!
白井:皮肉だね。性別を入れ替えた電脳の世界で、俺たちは初めて、君の姉さんから自由になって、純粋な欲望を剥き出しにすることができた。蛹(さなぎ)のなかで、芋虫が蝶へと変態するようにね。
黒川:蝶……?
白井:本当はそんなにきれいなものじゃあないんだろうけどね。容れ物と中身がちぐはぐな状態で、欲望のままあがく俺らの姿は、きっと最高に罪深くてグロテスクだろうから。でも、欲望の走り出しはいつだってグロテスクだ。だから、これが俺らにとって一番冴えたやり方なんだと思うよ。
黒川:あんたは、本当にそれでいいの?
白井:ああ。だから、君は安心して俺に罰を与えてくれ。俺が流す涙は、君だけのものだ。
(黒川、嗚咽を漏らす)
黒川:うん……うん……
(少しの間)
白井:……すっかり口調が戻っちゃったね。
黒川:あ……
白井:ここでの時間はまだある。だから……
(白井、微笑む)
白井:ゆっくりと「変態」していきましょう?
(黒川、白井に取りすがって号泣する)
黒川:あ……あああああああああ!
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【幕】