#16「カサノヴァ」
(♂2:♀2:不問0)上演時間30~40分
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ロレンツォ
【ロレンツォ・フィオリーニ】男性
ジャーナリストと名乗ってはいるが、その正体はイタリア保安庁対外調査課「R局」の諜報員。
メキシコからやってきた新種のドラッグ「林檎」とその製法「エデンの林檎(マンサーナ・デル・エデン)」の正体を探るべく、カルメンシータのもとへやってくる。
カルメンシータ
【カルメンシータ・パウラ・コット・アロンソ】女性
メキシコでの麻薬戦争終結後に突如現れ、「林檎」という新種のドラッグで成り上がった裏社会の「女帝」。
「死の国の女王(エンペラトリース・デ・ラ・ムエルテ)」と呼ばれる謎多き美女。
マルチェロ
【マルチェロ】男性
カルメンシータの右腕である腕の立つ強面の男。
ルカ
【ルカ】男性(演者さんは女性でお願い致します)
カルメンシータの屋敷で働く美少年。屋敷内のことはルカに任されている。
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―カルメンシータの屋敷/居間
(ロレンツォとカルメンシータがテーブルを挟んで対面している)
(カルメンシータの傍らにはマルチェロが立っている)
ロレンツォ:まさかあなたから直接ご招待頂けるとは思いませんでしたよ。「エンペラトリース・デ・ラ・ムエルテ」、「死の国の女帝」ことセニョーラ・カルメンシータ。
カルメンシータ:とぼけないで、セニョール・ロレンツォ・フィオリーニ。あなたを呼んだのは決して好意じゃあないのよ。コルテスのシマで散々私のことを嗅ぎまわっていたそうね。
ロレンツォ:おや、やはりご存知でしたか。
カルメンシータ:しまいにはシマの若い子たちと何度も揉めたらしいじゃない。うるさくて商売の邪魔だ、って、あのコルテスが泣きついてきたわ。
ロレンツォ:それは申し訳ないことを。
カルメンシータ:ちっともそう思っていないくせに。むしろそれを狙っていたのでしょう?
ロレンツォ:滅相もございません、セニョーラ。
カルメンシータ:カルメンシータ、でいいわ。涼しい顔で嘘を吐ける男は好きよ。
ロレンツォ:嘘とはなから決めてかかるなんて、厳しいお人だ。
カルメンシータ:それじゃあセニョール・ロレンツォ。一介のジャーナリストであるあなたがわざわざイタリアから、そんな茶番を繰り返してまでここへやってきた理由を聞かせて頂戴。私、あなたの見え見えの嘘を暴くためにこうしているわけじゃないのよ?
ロレンツォ:僕はこうしてカリブ海のターコイズブルーを眺めながら、美しいあなたと他愛もない駆け引きをしているだけで、十分楽しいのですが。
カルメンシータ:大した度胸ね。
ロレンツォ:テキーラでもあれば最高だったのに。
カルメンシータ:そうね。テキーラがあれば、あなたのその調子のいい軽口と嘘も、少しはマシになったかも。
マルチェロ:お持ちしましょうか?カルメンシータ。
ロレンツォ:おっと、そんな怖い顔で睨まないでおくれよ。えーと、マルチェロだっけ?その銃を下ろしてくれ。僕は別に彼女を口説こうとしているわけでも、殺そうとしているわけでもないんだから。
マルチェロ:怖い顔は元からです。
カルメンシータ:マルチェロ、銃を下ろして。あと、今はテキーラはいいわ。
マルチェロ:……
カルメンシータ:マルチェロ。
マルチェロ:失礼致しました。
(マルチェロ、しぶしぶ銃を下ろす)
カルメンシータ:銃を向けられても動じない。大したジャーナリストね。ますます気に入ったわ。
ロレンツォ:光栄ですね。ではそのお言葉に甘えて、ひとつ教えて頂けないでしょうか?
カルメンシータ:何かしら?
ロレンツォ:「マンサーナ・デル・エデン」――「エデンの林檎」を持つのはあなたですよね、イヴ・カルメンシータ?
マルチェロ:こいつ……!
(マルチェロ、再び銃を抜こうとする)
カルメンシータ:やめなさい、マルチェロ。
ロレンツォ:どうやら、正解のようですね。
(カルメンシータ、ため息をつく)
カルメンシータ:「林檎」のことは、裏の世界にいる者なら皆知っているわ。
ロレンツォ:……通称「林檎」。麻薬戦争を数年で終わらせ、それまでのカルテルの勢力図を一気に塗り替えた新種のドラッグ。しかしその製法である「マンサーナ・デル・エデン」については、誰も知らない。しかし、「林檎」の登場と共に裏社会に颯爽と現れたあなたが鍵を握っていることは想像に難くない。そうでしょう?
カルメンシータ:そうね、そこまでは簡単。だけどそれほどのものを、今日会ったばかりのあなたに教えると思って?
ロレンツォ:それもごもっともです。ですので、僕が個人的に調査することの許可を頂けないかと思いまして。
マルチェロ:どこまで図々しい。カルメンシータ、彼は今すぐ海に沈めた方がいい。
(カルメンシータ、思案する。しかしその顔に浮かぶのはあくまでも美しい微笑みである)
カルメンシータ:……
マルチェロ:カルメンシータ。
カルメンシータ:構わないわ。好きになさい。寝泊りなら、この屋敷の部屋を使うといいわ。マルチェロや他の使用人に話を聞くのも結構よ。その代わり、屋敷からは一歩も出ないでね。その素振りを見つけたら、即カリブ海に永遠のダイビングに出てもらうわ。
(ロレンツォ、にやりと笑う)
ロレンツォ:これは、してやられたかな。
カルメンシータ:マルチェロ、ルカに二階の部屋の支度をするように伝えて。
マルチェロ:……かしこまりました。失礼致します。
(マルチェロ、部屋を出る)
ロレンツォ:あなたの狙いは?僕を軟禁したところで、大したメリットにはならないと思いますけど。
カルメンシータ:恐らくあなたはまだ何かを握っている。けれどそれを出さないのは、何か策があるから。そうでしょう?
ロレンツォ:どうでしょうか。
(カルメンシータ、席を立ち窓から外を眺める)
カルメンシータ:このカンクンがメキシコ屈指のリゾート地であることは知っているわね。
ロレンツォ:ええ、本当に開放的で、美しい街です。
カルメンシータ:マヤ語で「カン」は「蛇」、「クン」は「巣」という意味なの。つまりここは「蛇の巣」。パウダースノーのような砂浜にも、青い海の底にも、ハネムーナーで賑わう街の路地裏にも、そこらじゅうで蛇が舌を出しながら獲物を待っているわ。……私のような、ね。
ロレンツォ:つまり、僕が外に出て、よその蛇に食われては困る、というわけですか。
カルメンシータ:そういうことよ。この屋敷にいる限り、不自由はさせないわ。
(ロレンツォ、席を立ちカルメンシータに近付き、その腰に手を回す)
ロレンツォ:では、夜にあなたのベッドにお邪魔するのも?
カルメンシータ:……カサノヴァ気取りね。小賢(こざか)しくて食えない好色なイタリア男。
ロレンツォ:ジャコモ・カサノヴァをご存知とは。博識でいらっしゃる。
カルメンシータ:裏社会こそ、馬鹿では生きていけない場所なの。知識は力よ。
ロレンツォ:そういうところ、ますます僕好みだな。
(ノックの音と共にドアが開く)
マルチェロ:(咳払い)
ロレンツォ:……マルチェロ、もう戻ってきたのかい?君は本当に優秀だね。
(マルチェロの後ろからルカがおずおずと顔を出す)
ルカ:あのぅ、お部屋の準備が整いました。
カルメンシータ:あらルカ、早かったのね。
ルカ:普段から手入れはしておりましたので。
ロレンツォ:それじゃあカルメンシータ
マルチェロ:セニョール・ロレンツォ、ルカが部屋までご案内します。どうぞゆっくりお過ごし下さい。
【間】
―カルメンシータの屋敷/ロレンツォの部屋
ルカ:こちらがお部屋です。足りないものがあったらいつでもおっしゃってください。
ロレンツォ:君は確か……ルカ、だったね。
ルカ:はい。屋敷内のことは、全て僕に任されています。
ロレンツォ:まだ若いのに立派だね。
ルカ:僕は与えられた仕事をこなしているだけです。
ロレンツォ:この家の使用人は、君とマルチェロだけかい?
ルカ:食事や掃除は街の人がその時だけ来てやってくれますが、基本は僕たち二人だけです。
ロレンツォ:「エンペラトリース・デ・ラ・ムエルテ」の隠れ家にしてはやけに不用心だね。
ルカ:マルチェロさんは強いですから。それに、このカンクンはリゾート地なので、あまり物々しいと逆に目立ちます。
ロレンツォ:なるほど、それも一理ある。……よし、それじゃあ早速、君にもいくつか質問させてもらおうかな。
ルカ:お話できることなんてありませんよ。
ロレンツォ:そうつれないことを言わないで。綺麗な顔が台無しだよ。
(ロレンツォ、ルカの額に口づける)
ルカ:……っ!何を!
ロレンツォ:額へのキスは友情の証さ。それにね、ある程度積極的に僕に話した方が、カルメンシータにとってもメリットになるはずだよ。
ルカ:それは……どういう意味ですか?
ロレンツォ:カルメンシータは僕がまだ手札を隠し持っていると思っている。
ルカ:子供の僕相手なら、あなたもいくらか口が軽くなるんじゃないかと目論んでいる、そういうわけですね。
ロレンツォ:なかなか筋がいいじゃないか。
ルカ:それじゃあ僕からはひとつだけ。
ロレンツォ:十分だ。
ルカ:「林檎」には「青林檎」と「赤林檎」があります。
ロレンツォ:「青林檎」?
ルカ:恐らくあなたがご存知なのは、「赤林檎」の方です。
ロレンツォ:それじゃあ「青林檎」っていうのは?
ルカ:ひとつだけ、と言ったでしょう?これ以上はご自分でどうぞ。
ロレンツォ:意地が悪いね。
ルカ:この国は表向きこそ開放的で美しいかもしれませんが、一度日陰に入れば、蒸し暑くて息苦しいだけです。生きていくには、これくらいでないと。
ロレンツォ:麻薬戦争が終わってカルメンシータの時代になってもまだ、かい?
ルカ:終わってなんかいませんよ。勢力図が変わっただけです。事実今だって、蛇たちが「林檎」をめぐってあちこちで隙を伺っています。
ロレンツォ:……
ルカ:あなたはそんな均衡状態の中に吹いてきた風だと、僕は思っています。どうぞしっかり見届けてください、セニョール。
ロレンツォ:ああ、そうしてみせるさ。
【間】
―カルメンシータの屋敷/今
(カルメンシータがソファでくつろいでいる)
(傍らにはいつも通りマルチェロが控えている)
カルメンシータ:「林檎」の輸出状況は?
マルチェロ:アメリカ、グアテマラ、コスタリカ、カナダ……ヨーロッパではイタリアから注文が殺到しています。
カルメンシータ:そう、イタリア……
マルチェロ:あの男が気になりますか?
カルメンシータ:彼は恐らく保安庁R局の人間よ。
マルチェロ:対外諜報課ですか。まあ「林檎」の流通には、麻薬戦争時代のコカイン・コネクションをそのまま使用していますからね。国が動くのも早いでしょう。
カルメンシータ:彼、コルテスのところの若い子たちとやり合った、って言っていたでしょう?
マルチェロ:ええ。
カルメンシータ:コルテスのところは、この麻薬戦争中に軍事組織化して大きくなった武闘派組織よ。末端の構成員とて馬鹿にはできないというのに、誰も歯が立たなかったそうよ。
マルチェロ:でしょうね。
カルメンシータ:やっぱり分かるもの?
マルチェロ:同業のようなものですから。
カルメンシータ:そうね。
マルチェロ:彼が本当にR局の人間であるなら、彼をこの家に閉じ込めておくのは正解です。
カルメンシータ:ルカがどれくらい探ってくれるか、ね。
マルチェロ:……そうですね。
(マルチェロ、時計を確認する)
マルチェロ:カルメンシータ。そろそろ薬の時間です。
カルメンシータ:あらもう?
(マルチェロ、キャビネットから小さな瓶をひとつとグラスを二つ出し、瓶の中身をグラスに注ぐ)
(マルチェロ、グラスの片方をカルメンシータに差し出す)
マルチェロ:さ、これを。私も、失礼して。
(マルチェロ、グラスの中身を一気に飲み干す)
カルメンシータ:……ロレンツォは本当に私のベッドに来るかしら?
マルチェロ:来るでしょうね。イタリア男は手が早い。ベッドでの諜報活動にも自信があるでしょう。
(カルメンシータ、くすりと笑う)
マルチェロ:いずれにせよ、これで彼の口もふさげて一石二鳥です。
カルメンシータ:そうね。彼のこと、結構気に入っていたのだけれど。残念だわ。
(カルメンシータ、薬を飲み干す)
カルメンシータ:……相変わらず生ごみを煮詰めたようなひどい味ね。
マルチェロ:故郷を思い出す味で懐かしいのでは?
カルメンシータ:嫌な男。どうせ私はごみ溜めで生まれた女よ。
マルチェロ:皮肉なものですね。あなたを散々苦しめたものが、今あなたを女帝たらしめているのですから。
カルメンシータ:これ以上余計なことを言ったら、殺すわよ。
マルチェロ:あなたに私は殺せないでしょう?
カルメンシータ:本当に、嫌な男ね。
【間】
―カルメンシータの屋敷/深夜の廊下
(ロレンツォ、音を立てずに廊下を歩いているが、ふと足を止める)
ロレンツォ:……ルカ、君だろう?出ておいで。
ルカ:こんばんは。やっぱりバレちゃいましたか?
ロレンツォ:君はマルチェロみたいに気配を消すのが上手じゃないからね。
ルカ:そりゃあ彼は、特別だから。……カルメンシータの寝室に行くんですか?
ロレンツォ:どうせ彼女も待っているだろうさ。ここからは大人の駆け引きの時間だよ。
ルカ:どうせ僕は子供です。
ロレンツォ:……君はどうしてこの屋敷に?
ルカ:なんですか、急に。
ロレンツォ:見たところ、君は本当に普通の子供だ。それなのにカルメンシータの懐にいる。何か理由があるはずだと思っているんだけどね。
ルカ:……
ロレンツォ:カルメンシータやマルチェロが怖いかい?それなら二人の秘密に
ルカ:僕が怖いと感じるのは、僕自身だけですよ。
ロレンツォ:君自身?
ルカ:僕は呪われているんです。
ロレンツォ:呪い?
ルカ:だからカルメンシータの元にいます。僕がそれを望まなくとも、それしかないんです。
ロレンツォ:そこまで言っておいて、核心は教えてくれないのかい?それとも、この僕に暴いてほしいのかな。
ルカ:さあ、どうでしょう。
ロレンツォ:君は意外に強(したた)かだね。最初にその姿を見た時は、ずいぶんと気弱そうな、小鹿のような子だと思ったのに。
ルカ:期待に沿えなくてごめんなさい。
ロレンツォ:じゃじゃ馬も好きだよ。
ルカ:本当に見境のない人ですね。さすがカサノヴァ。
ロレンツォ:君、昼のカルメンシータとのやり取りを聞いていたのか。
ルカ:はい、マルチェロさんと一緒に。
ロレンツォ:子供の聞くようなものじゃないぞ。
ルカ:それじゃあ僕が大人になったら、中断されてしまったその続きを聞かせてくれますか?
ロレンツォ:君になら、喜んで。
(ルカ、小さくため息をつく)
ルカ:……どこまでも子ども扱いですね。
ロレンツォ:それじゃあ子ども扱いついでに、ひとつ僕の嘘偽りない本音の話をしようか。
ルカ:へえ?
ロレンツォ:君は自分を呪われた子と言ったね?
ルカ:ええ。事実ですから。
ロレンツォ:……僕の住む街には立派な教会堂(ドゥオーモ)があるんだ。
ルカ:それで?
ロレンツォ:そこの壁画に、とても愛らしい天使が描かれていてね、君はその天使にそっくりなんだ。だから僕には、君が呪われた子には到底見えない。何か事情があって裏の世界にいるのなら、救い出したいとも思っているよ。
ルカ:……
ロレンツォ:あとね。
(ロレンツォ、そっとルカに耳打ちをする)
ロレンツォ:……ドゥオーモの壁画の天使は、僕の初恋なんだ。
ルカ:……あなたはずるい人だ、セニョール・カサノヴァ。
(ロレンツォ、くすりと微笑む)
(ルカ、ポケットからハンカチを取り出し、ロレンツォに差し出す)
ルカ:これを。
ロレンツォ:君のハンカチ?
ルカ:マルチェロさんが飲んでいる薬を、ほんの少しだけ染み込ませたものです。
ロレンツォ:薬?
ルカ:麻薬の類(たぐい)ではないので、大丈夫。一度鼻に当てて大きく深呼吸をしてから寝室に行ってください。本当は飲み薬なんだけど、さすがにそんな量は持ってこられなくて。でも、これだけでも違うと思います。
ロレンツォ:一応、理由を聞いても?
ルカ:僕はあなたに、死んでほしくないだけです。
ロレンツォ:……そうか。ありがとう。
ルカ:ブエナ・スエルテ。あなたに神の加護があらんことを。
【間】
―カルメンシータの寝室
(ノックの音と共に、ロレンツォがドアを開ける)
(ベッドにはカルメンシータが腰かけている)
カルメンシータ:遅かったのね。
ロレンツォ: すみません。ちょっと覚悟を決めていたもので。
カルメンシータ:よく言うわ。
ロレンツォ:おや、僕だって人間ですよ。ベッドに入った途端ズドン!なんてされたくありませんから。
カルメンシータ:R局相手にそんなことしないわ。その前に気付かれて、返り討ちにあうのがオチだもの。
(カルメンシータ、立ち上がり服を脱ぎ始める)
カルメンシータ:ほら、見て。これでも、私が銃を隠し持ってるように見えて?なんなら枕の下も確認する?
ロレンツォ:そんな無粋なことはしませんよ。
(ロレンツォ、カルメンシータに近付き、その唇に口づける)
ロレンツォ:……やっぱりバレていたんですね。僕の素性。
カルメンシータ:当り前でしょう?それより……ねえ、いつまで女に裸のままでいさせる気?
ロレンツォ:それじゃあ続きはベッドで聞かせてもらい、ま……うっ……
(ロレンツォの身体がぐらりと傾く)
カルメンシータ:あら、どうしたの?
ロレンツォ:いいえ、少しめまいが……あなたの魅力に当てられたかな……ははっ……
(ロレンツォの呼吸が少しずつ荒くなっていく)
(カルメンシータは妖艶に微笑む)
カルメンシータ:本能のままにすればいいわ。
ロレンツォ:……っ!この昂揚感と浮遊感……まさか「林檎」……!?
カルメンシータ:「林檎」はね、私のフェロモンから精製したものなの。
ロレンツォ:つまり……あなたが、あなたの身体そのものが「エデンの林檎」だった、というわけ、ですか……。
カルメンシータ:そう、私はこの特殊な身体一つで「女帝」に成りあがったのよ。
ロレンツォ:昼はなんともなかった……のに、何故……
カルメンシータ:日常からこんな状態では困るでしょう?だから、昼はマルチェロの作る薬でフェロモンの分泌を抑えているの。フェロモンの影響を受けても、せいぜい口説きたくなるくらいね。でも夜は……この通り。私に近付いただけで、セックスのことしか考えられなくなって、その性欲に支配されたまま廃人になる、ってわけ。
ロレンツォ:つまり「林檎」の作用も同じようなもの、か……
カルメンシータ:そうね。昂揚感と強い性欲。そして、死。
ロレンツォ:さすがにフェロモンは……想像していなかった、な……
カルメンシータ:ねえ、もう我慢はやめたら?あなたは今私を抱きたくて仕方ないはず。
(ロレンツォ、苦笑する)
ロレンツォ:それは否定、しない……けれど……
カルメンシータ:私がセックスで流した汗や涙からは、さらに濃厚なフェロモンが抽出できるの。つまり私が悦べば悦ぶほど、いい「林檎」が実るってわけ。だから、私も思う存分楽しみたいのよ。そしてあなたは、幸せなままあの世へ行けばいい。なんにも悪いことはないわ。
ロレンツォ:抱きたいのはやまやまだけど、今は……そうは、いかない……!
(ロレンツォ、カルメンシータをベッドに押し倒す)
カルメンシータ:なっ……!
ロレンツォ:なるほど……確かに少しは効き目があるみたいだな。
カルメンシータ:あなた、一体何を
(ロレンツォ、カルメンシータに口づける)
カルメンシータ:……っ!
ロレンツォ:セックスでそのフェロモンが濃厚になるのなら、恐らく普段からマルチェロが君の相手をしているのでしょう?「林檎」のためにね。しかしマルチェロ自身がフェロモンにやられるわけにはいかない。つまり、普段から彼も何かしらの薬を服用しているってことです。
カルメンシータ:ルカね……!
ロレンツォ:フェロモンで我を忘れた男のセックスか、「林檎」のための義務的なセックスしか知らないのでしょう?なんなら僕がこのまま、あなたを満足させてあげましょうか?
カルメンシータ:やめて!
(ドアを乱暴に開け、マルチェロが銃を構えて入ってくる)
マルチェロ:そこまでだ、イタリア男!カルメンシータから離れろ。
カルメンシータ:マルチェロ!
ロレンツォ:ああ、待っていたよ。君からも話を聞きたいと思っていたんだ。
(ロレンツォ、身を起こし、カルメンシータを盾にする)
ロレンツォ:カルメンシータを傷つけられたくなかったら、僕の話に付き合ってもらうよ、マルチェロ。
マルチェロ:イタリア男は女性を傷つけないんじゃなかったのか?
ロレンツォ:本来ならそうしたいところだけどね、任務のためだ。遠慮はしない。さあ、銃を下ろしてもらおうか。
マルチェロ:……ちっ!
(マルチェロ、銃を下ろす)
ロレンツォ:マルチェロ、君は軍の人間だな。
マルチェロ:何を馬鹿げたことを。
ロレンツォ:気配の消し方や動きが洗練され過ぎている。何よりカルメンシータのフェロモンから麻薬を精製したり、ましてやフェロモンに対抗しうる薬を調合するような技術がマフィアにあるものか。
マルチェロ:ほう?
ロレンツォ:あとは、メキシコ政府の動きかな。
マルチェロ:と言うと?
ロレンツォ:政府が重い腰を上げてカルテルの取り締まりを強化したことで、当時一番の勢力を誇っていたハリスコ・カルテルのボス、クレト・キケ・アレハンドロが逮捕、麻薬戦争が終結した、ってのが公式の発表だったけれど、実際は違う。アレハンドロは殺されたんだ。それはイタリア当局でも押さえてる情報だよ。
カルメンシータ:それで?
ロレンツォ:アレハンドロはあなたが殺したんでしょう?カルメンシータ。恐らくこうして、ベッドの上で。
カルメンシータ:……。
ロレンツォ:あなたの過去を洗わせてもらいました。ところが、ハリスコ・カルテルのシマの娼婦から生まれたというデータだけで、そこから先は分からなかった。それは、政府が意図的に隠ぺいしているから。そうだろう?マルチェロ。
マルチェロ:それと俺が軍の人間であることと、何の関係がある。
ロレンツォ:カルメンシータを拾ったのは政府で、そのフェロモンを「林檎」として利用することに決めたのも政府。軍事利用することまで考えていたとしてもおかしくはない。証拠の残らない殺人兵器と言えるからね。そうなると邪魔なのはハリスコ・カルテルだ。だから政府は、カルメンシータ、あなたをアレハンドロの元に送り込んだ。
マルチェロ:わずかな証拠からよくそこまで推理を広げられるものだ。
ロレンツォ:そう考えると全ての辻褄が合う。それだけの話さ。仮にも「女帝」の隠れ家だというのに、君とルカしかいないというのも、それなら頷ける。政府がついているなら、これほど強いことはないからね。君はカルメンシータの右腕であり、監視役でもあったんだろう?
マルチェロ:……
カルメンシータ:それであなたはどうするの?私とマルチェロを殺す?
ロレンツォ:僕の任務は捜査と報告です。そこまでの権利はありませんよ。
マルチェロ:つまり、今貴様の口を塞いでしまえば、全ては元通り、というわけだな。
ロレンツォ:困ったことにそうなるね。
ルカ:そうはさせません。
ロレンツォ:ルカ!
カルメンシータ:ずっと聞いていたのね。
マルチェロ:なんだって!?
ルカ:セニョール・ロレンツォ、ごめんなさい。僕もこれくらい気配を消すことができるんです。
カルメンシータ:……私を殺すためにロレンツォを利用したのね。大したものだわ。
マルチェロ:ルカ!それは本当なのか!
カルメンシータ:ルカこそ、誰よりも私の命を狙っていた蛇よ。そうでしょう?
マルチェロ:……
ルカ:マルチェロさん、ごめんなさい。でもあなたを殺すつもりはありません。これからも、あなたには僕のそばにいて欲しいから。
マルチェロ:やめろ!カルメンシータを殺すんじゃない!お前だけはいけない!
ルカ:今さら何を。
ロレンツォ:……そうか!君が「青林檎」なんだな。
マルチェロ:「青林檎」?
ロレンツォ:ルカがそう言ったんですよ。「林檎」には「赤林檎」と「青林檎」があるって。「赤林檎」が麻薬の「林檎」、そして君は自身を、これから熟す「青林檎」に例えたんだろう?――カルメンシータとマルチェロの子供である、君を。
マルチェロ:やめろ!
(ルカ、くすくすと笑う)
ルカ:その通りです。政府の飼い犬同士が愛し合うなんて、三文芝居にもほどがありますよね。
ロレンツォ:なるほど、あながち義務だけじゃなかったってことか。
カルメンシータ:……どういうこと?
マルチェロ:……
ロレンツォ:子供ができたのは、ほんの一夜の過ちだったのかもしれないけれど、何故マルチェロが子供を産むのを許したと思います?その体質を受け継げば、政府だけでなく他のカルテルからも狙われることになる子供を。
カルメンシータ:……
ロレンツォ:あなたが産むことを決意した時の気持ちと、同じだと思うんですけどね。
マルチェロ:……俺が全て守ればいい、俺にはそのための切り札がある、そう思っただけだ。
ロレンツォ:そうか、「エデンの林檎」の本当の持ち主は君だったのか。
マルチェロ:そういうことだ、セニョール。俺への調査が足りなかったな。俺は軍人になる前は研究者でな。ついでに言えば、カルメンシータの噂を聞いて彼女を拾ったのも俺だ。
カルメンシータ:嘘よ。マルチェロが私を愛していたなんて。
ロレンツォ:ずっとそばにいたんだ。何も不思議はありませんよ。その体質故に心から愛されることのなかったあなたには、彼の愛が分からなかったんですね。実に皮肉な話だ。
ルカ:あなたたちはそれでいいかもしれない。でも、そうして生まれた僕はどうなります?生まれ落ちた瞬間から、どう頑張っても表には出られず、しかも呪われた体質まで受け継いで。
ロレンツォ:ルカ、もしかして君は
ルカ:だから僕は、カルメンシータ……母さん、あなたを殺して、すべてに復讐することにしました。政府も利用するだけ利用して、いつか食いつぶしてやります。本当はマルチェロさんも殺してしまいたいけれど、「エデンの林檎」はマルチェロさんの頭の中にしかないし、新たに政府から派遣される男と抱き合うのも嫌なので、仕方ありませんね。
マルチェロ:それなら俺と……、ということか。
ルカ:あれ、もっと嫌悪すると思ったのに。計算が外れたかな。
マルチェロ:この国は全てが狂っている。今更、一人だけ綺麗でいようとは思わない。
カルメンシータ:マルチェロ……!
ロレンツォ:やっぱり、君は女性だったんだね。ルカ。
ルカ:ふふ、カサノヴァを騙せるなんて、僕もなかなかやると思いませんか?ああそれとも、僕が子供だったから性別なんて意識もしなかったとか?
ロレンツォ:いや、恐れ入ったよ。今僕は、君を子ども扱いしたことを猛烈に後悔している。君はしっかりカルメンシータの娘だ。
ルカ:その言い方はやめてください。不愉快です。
ロレンツォ:ちゃんと口説けば良かったな、って意味だよ。
ルカ:相変わらず調子のいい人ですね。
カルメンシータ:その銃で私を撃つつもりなのね、ルカ。
ルカ:ええ。
(カルメンシータ、大きくため息をつくとロレンツォの腕をほどき、ルカの前に立つ)
カルメンシータ:……なんだかどうでもよくなったわ。好きになさい。
マルチェロ:なんだって!?
ロレンツォ:……
ルカ:止めないんですね。ロレンツォ。
ロレンツォ:君がカルメンシータを殺してその後釜に座ったとしても、僕の仕事は変わらないからね。それとも、止めて欲しいのかい?
ルカ:いいえ。そんなことを望むようでは、この国では生きてはいけませんから。
(カルメンシータ、声を上げて笑う)
カルメンシータ:全くその通りだわ。言ったでしょう?ここは蛇の巣よ。弱みを見せた蛇は、他の蛇に食い殺されるだけ。
(ルカ、銃をカルメンシータに向ける)
マルチェロ:ルカ!やめろ!
ルカ:さようなら、カルメンシータ。……母さん。
(銃声)
マルチェロ:カルメンシータ!
(カルメンシータ、ゆっくりとその場に崩れ落ちる)
(マルチェロ、カルメンシータに駆け寄り、その身体を抱きしめる)
ルカ:良かった。あなたが身を挺してカルメンシータを庇うんじゃないかと、実は冷や冷やしていたんですよ。
マルチェロ:フェロモンを抑える薬は、俺にしか作れない。俺が死ねば、お前とカルメンシータを待つのは、今よりひどい地獄だ。
ルカ:優しいんですね。
マルチェロ:カルメンシータもそう望んだだろうさ。
(ルカ、鼻で笑う)
マルチェロ:……ルカ、お前はいつ、俺が父親だと分かったんだ。
ルカ:さあいつだったか。あなたが僕を見る目を、そしてカルメンシータがあなたを見る目を見れば、嫌でも分かります。
マルチェロ:それだけで……?
ルカ:それでじゅうぶんです。それに、僕を表向き男として、そして使用人として育てることを決めたのはあなただと、カルメンシータから聞いていました。それが、あなたなりの守り方だったのでしょう?
マルチェロ:……そうだ。
ルカ:ロレンツォ、あなたはこれを、ありのままイタリア政府に伝えるわけですよね。
(ロレンツォ、ベッドから立ち上げる)
ロレンツォ:ああ。政府が「林檎」の開発元だと分かれば、本格的に国同士の話になる。ルカ、この先は面倒なことになるぞ。
(ルカ、ロレンツォに近寄る)
ルカ:ねえ、このままこの国に残って、僕のパートナーになる気はありませんか?
ロレンツォ:魅力的なお誘いだけどね、いくらカサノヴァでも、壁画の天使は抱けないよ。
ルカ:初恋の話、嘘じゃなかったんですね。
ロレンツォ:言っただろう?本音だって。
ルカ:残念です。僕は結構、あなたが好きだったのに。
ロレンツォ:君がカルメンシータを凌ぐ「女帝」になった時、また来るよ。
ルカ:その時はベッドの上で殺し合いましょう。
ロレンツォ:楽しみにしてるよ。
(ルカ、背伸びしてロレンツォに口づける)
ルカ:アディオス、セニョール・ロレンツォ。……僕のカサノヴァ。
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【幕】