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​​#44「獏と蜃気楼」

(♂2:♀1:不問0)上演時間40~50


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

かじか

【かじか】女性

什三を愛する女。

什三

【什三(じゅうぞう)】男性

いつも面をかぶっている不思議な男。

十塚

【十塚(とつか)】男性

作家。什三とは古くからの知り合いのように振舞う。

​――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―什三の家

 

(什三が眠っている)

(かじかがやってくる)

 

かじか:什三さん、おはようございます!

 

(什三、起きる)

 

什三:……でけえ声出すなよ。

 

かじか:だってそうでもしないと、什三さん、起きてくれないでしょう?

 

什三:つまり起こすなってことだよ、馬鹿野郎。……なんだお前、まだ夜が明けたばかりじゃないか。

 

かじか:ふふふ、来ちゃいました。

 

什三:来ちゃいました、じゃねえよ。お日さんの出ている間は、俺の貴重な睡眠時間だ。とっとと帰れ。

 

かじか:そうつれないことを言わないで。そのお面をひっぺがさないだけ、マシというものではないかしら。

 

什三:お前それ、本気で言ってるのか?

 

かじか:いいえ。私はそのままの――面を頑なに外そうとしないあなたを好きになったのだもの。だから、正直それをどうこうするなんて、私にはこれっぽっちも興味のないことだわ。

 

什三:そうかよ。そいつは良かった。とにかく、つれようがつれまいが、そんなこと俺は知らねえ。今は眠いんだ。ほれ、帰った帰った。

 

かじか:あらひどい。そんなに邪険にすると知らないんだから。

 

什三:この部屋の鍵をやってるんだ。それでじゅうぶんだろうが。

 

かじか:あら什三さんってば、もしかしてすごく考え無しなのかしら。

 

什三:はあ?

 

かじか:だって部屋の鍵を渡すなんて、何時何時(いつなんどき)でも其処に入られて良いと言う覚悟がないと、できないことでしょう?特に相手が異性であれば余計に。それがこんな、ねえ。だから、考え無しに他の女にもほいほいと鍵を渡しているんじゃないかしら、って。

 

什三:……

 

かじか:……

 

什三:嫌な女だよ、お前は。

 

かじか:ふふふ。

 

什三:俺が鍵を渡したのは、正真正銘お前だけだ。これで満足か?

 

かじか:いいえ。

 

什三:まだなんかあるのか。

 

かじか:思わぬ告白に確かにこの胸は踊ったけれど、私はそれを聞きに来たわけじゃないんです。

 

(什三、ため息をつく)

 

什三:俺がその理由ってやつを聞くまで、帰らねえつもりだな。

 

かじか:だって大切な御用なんですもの。

 

什三:そうかよ。

 

かじか:朝ご飯を食べに行きましょう。

 

什三:はあ?

 

かじか:私どうしても、あなたと行きたいお店があるの。

 

什三:あのなあ

 

かじか:ね、いいでしょう?そこのね、トーストがとっても美味しいらしいの。あつぅく切った食パンに、バターがとろりと

 

什三:かじか。

 

かじか:はい。

 

什三:お前、俺の話を聞いてたか?

 

かじか:ええもちろん。

 

什三:うそつけ。

 

かじか:あら、私と什三さんの仲だというのに、どうして今更そんなことを疑うの?

 

什三:分からねえようなら、もう一度言ってやる。俺の商売の時間は夜。お日様が沈んでから、また昇るまで、だ。だからお日様の出ている間ってのは、貴重な睡眠時間ってことになる。

 

かじか:ほぼ毎日「閑古鳥だ」なんて言っておいて、よく言うわ。きっと居眠りばっかりしているのでしょう?

 

什三:本当に嫌な女だ。

 

かじか:だから、ね。トーストを食べに行きましょう?

 

什三:夜じゃだめなのか。

 

かじか:今がいいんです。朝にトーストを、什三さんと食べることに意味があるんですから。

 

什三:……

 

かじか:……

 

什三:ああ、ああ、分かったよ。行きゃあいいんだろ行きゃあ。

 

かじか:そうこなくちゃ。

 

【間】

 

―道中

 

什三:ちくしょう……陽射しが染みる。

 

かじか:お面をつけていても、やっぱり眩しいもの?

 

什三:俺みたいな夜の住人はな、お日様浴びただけで身体が痛むんだよ。ちくちくとな。

 

かじか:なんだか吸血鬼みたい。

 

什三:あんな悪食と一緒にするのはやめろ。

 

かじか:怒られますよ?吸血鬼に。

 

什三:望むところだ。返り討ちにしてやる。

 

かじか:ふふ。

 

什三:なんだ。

 

かじか:大人げないなあ、と思って。

 

什三:うるせえよ。朝も早くから人のことを叩き起こしに来るお前には、言われたかないね。

 

かじか:私はいいんです。

 

什三:棚上げってやつか。

 

かじか:だって私は、あなたのその小面(こおもて)の面のような小娘だもの。あなたが言ったんじゃないですか。出会った日に。

 

什三:そんな昔のことは忘れた。

 

かじか:あらひどい。

 

什三:そんなのは、どうでもいいこった。

 

十塚:あらひどい。

 

什三:なっ

 

かじか:……

 

十塚:どうも男がそらっとぼける姿ってのは、好きになれないねえ。

 

什三:十塚、お前どこからわいてきやがった。

 

十塚:いやなに、ちょいと朝の散歩に出てみたら、路地の向こうになんとも珍しい光景が広がっていたもんだから。

 

什三:……

 

十塚:なんとあの什三がこんな時間に、しかも可愛らしいお嬢さんを連れて歩いているじゃないか、と。

 

什三:その言葉、そっくりそのまま返すぜ。ああそうだ、きっと今日という日そのものが珍妙な日なんだろうな。お前が朝に出歩くくらいだ。だから俺が朝に出歩いていたって、なんにも不思議じゃねえ。

 

十塚:おや、こう見えて私は健康志向なんだよ。朝は五時には起きて、丁寧に作られた朝食を丁寧に頂き、腹ごなしにこうして散歩するのが日課でね。

 

什三:そうかよ。

 

十塚:人間にはね、健康が何よりも肝要なんだ。そうだろう?

 

什三:しょっちゅう夜中にほっつき歩いては、俺らの店を冷やかすだけ冷やかして、お代も落としていかねえお前の言う事としては、些(いささ)か以上に説得力がねえな。

 

十塚:あらひどい。

 

什三:かじかの真似はやめろ。

 

十塚:ほう。かじかさんと言うんだ、その子。

 

什三:……

 

かじか:什三さん、その方は。

 

什三:こいつは

 

十塚:ああすまない、私は十塚。十塚鏡(とつかきょう)。什三の古い友人、とでも言っておこうか。

 

かじか:まあ什三さんのお友達。

 

什三:ただの腐れ縁だ。

 

十塚:腐れ縁も、十数年続けば立派な縁だよ。

 

什三:今日は珍妙な日どころか、とんだ厄日だ。朝早く出かけることになった上に、お前まで現れるなんてな。

 

十塚:まあそう言いなさんな。で?二人はこれからどちらに向かうのかな。

 

かじか:この先の喫茶店に、朝食を食べに行くんです。

 

十塚:へえ、この先に喫茶店なんてあったんだねえ。知らなかったよ。

 

什三:おい

 

かじか:とっても美味しいんですって。だから、どうしても什三さんと食べたくて。

 

什三:かじか、その辺にしておけ。

 

十塚:そいつは素晴らしい。私も是非食べてみたい。ああそうだかじかさん、私もご一緒させていただいてもいいかな。

 

什三:そう来ると思ったよ。お前は邪魔だ、帰れ。

 

十塚:おや、余程そのお嬢さんが大事と見える。

 

かじか:什三さん?

 

什三:お前はいつだって邪魔だよ。かじかがいようといまいとな。

 

十塚:やれやれ、とんだ言われようだ。

 

かじか:什三さん、私は別に大丈夫よ。

 

十塚:いい子だねえ。実にいい子だ。什三が私を近づけたがらないのも、よく分かる。

 

什三:……何が言いたい。

 

十塚:いいや?言葉通りの意味だよ?

 

かじか:十塚さんって

 

十塚:ああ、その辺の話はトーストでも齧りながらゆっくりするのが良いと思うんだけど、どうかな?こんな暑い道端で長らくの立ち話ってのは、あまりにも無粋だ。

 

什三:……

 

かじか:什三さん、私は本当に平気よ?十塚さん、それほど悪い方には見えないし。

 

十塚:ああ本当にいい子だねえ。そう、私は別に悪人じゃない。ただ己の欲に正直なだけの男だ。確かに私は少し前に朝食を済ませたばかりだけれど、かじかさんの話を聞いたらどうしてもそのトーストが食べたくなった。どうしても、どうしても。ね?それだけの話なんだ。

 

かじか:ふふ。素直な方なんですね。ねえ、什三さん。十塚さんの仰るのももっともです。私は什三さんのように夜行性ではないけれど、それでも今日の陽射しには、ちょっとくらくらしてしまいそうだもの。

 

什三:……

 

かじか:ね?

 

什三:ちっ、分かった。分かったよ。

 

かじか:ありがとう。なんだかとっても楽しみだわ。什三さんのお友達に会うのも、什三さん以外とお話するのも、初めてなんだもの。

 

十塚:へえ?

 

什三:余計なことを言うんじゃない。あと、こいつは俺の友達じゃない。

 

かじか:はぁい。ふふふ。

 

【間】

 

―件の喫茶店

 

十塚:ほう、これが噂のトーストか。

 

什三:……

 

かじか:ね?美味しそうでしょう?

 

十塚:そうだね。まったく、絵に描いたように綺麗なきつね色だ。それじゃあ、いただくとしようか。

 

かじか:さ、什三さんも。手を合わせて。

 

(什三、無言で手を合わせる)

 

かじか:いただきます。

 

(三人、トーストをかじる)

 

十塚:ほう、これは……

 

什三:……

 

かじか:ああ美味しい。どうしてこんなに美味しいのかしら。そりゃあパンもバターも一級品なのでしょうけど、なんだかそれ以上の美味しさを感じるわ。不思議ね。

 

十塚:それは、什三と一緒だからじゃないかな。

 

かじか:いやだわ、十塚さんったら。

 

十塚:いやいや、何らおかしなことはないよ。快感という括りのなかでは、君にとってトーストも什三も、さほど変わらないだろう?

 

かじか:快感……ですか。

 

十塚:人間の脳というのはね、情報を「食べる」んだ。

 

かじか:「食べる」。

 

十塚:そう、味覚だけでなく、視覚・聴覚・嗅覚・触覚で得た情報を「食べ」て、「美味さ」として吐き出し、君に認識させる。

 

かじか:ええと、つまり?

 

十塚;ああいけないね、私の悪い癖だ。自分が面白いと思うことにはつい饒舌になってしまうんだ。要は、今君の脳が「食べている」情報には、美味いトーストだけでなく、大好きな什三の情報も含まれている。大好きな人といるのは身も心も安らぐ。それはまさに快感だろう?それらの情報が全て「美味さ」として、まとめて吐き出されているのさ。

 

かじか:なるほど。なんだかすごく納得しちゃったわ。ねえ什三さん、十塚さんってすごいのね。

 

什三:……そうだな。

 

かじか:それにしても、一体どうしてそんな知識を?

 

十塚:私が作家だから、かな。

 

かじか:まあ作家さん。

 

十塚:だから、見聞だけは広いんだ。私はそれこそ、自分の脳が「食べて」、「美味い」と感じた情報しか書かない主義でね。

 

かじか:あら。じゃあこのトーストの事も、いつかは十塚さんのお話になったりするのかしら。

 

十塚:そうなるかもしれないね。……ところで、什三。

 

什三:なんだよ。

 

十塚:そのトースト、「美味い」かい?

 

什三:ああ、「美味い」よ。

 

十塚:へえ、そうか。

 

什三:何が言いたい。

 

十塚:いやなに、私にはまるで砂を噛んでいるようで、全く味がしないものだからさ。君はどうかと思ってね。

 

かじか:え?

 

什三:お前の舌がどうかしてるだけだ。かじか、真に受けるな。

 

かじか:でも

 

十塚:此処はまるで、夢の中のようだ。

 

什三:あ?

 

十塚:私たちが店に入ってきたら、既にカウンターの上には熱いコーヒーと焼きたてのトーストが用意されていた。だというのに、先ほどから店員の姿を一人も見かけない。いや実に不可思議だ。しかも、君もかじかさんも、それに何の疑問も抱かずに、トーストを齧っている。味のしないトーストをね。

 

かじか:いいえ、ちゃんと味はします。店員さんも、きっと厨房が忙しいんだわ。

 

十塚:私たち以外に客の姿もないのに?

 

かじか:……

 

十塚:ああそういえば、ここまでの道中でも、誰にも会わなかったっけな。

 

什三:朝が早いからだ。

 

十塚:嫌だな什三、さっき私が朝の散歩を日課にしているって話をしたばかりじゃないか。朝の光景については、私の方が君より余程詳しい。大半の人間は、朝から一日を始める。だから朝はね、君が思っているよりもはるかに忙(せわ)しなくて賑やかなんだよ。

 

かじか:十塚さん、一体何を仰りたいの。

 

十塚:あまりにも静かすぎる朝の町、店員も客もいないのに用意されていたトースト――私だけが味を感じないトースト。もう一度言おう。

 

什三:やめろ。

 

十塚:まるで「夢」のようだ。

 

什三:やめろ。

 

十塚:君と、かじかさんのね。

 

什三:やめろ!

 

かじか:什三さん……?

 

十塚:あくまで仮説だ。そう怒らないでおくれ。

 

什三:だとしても、お前のその粘っこく探るような口調は不愉快だ。かじか、帰るぞ。

 

かじか:は、はい。

 

十塚:まあ待ちなさいよ。

 

什三:もうお前と話すことは

 

(十塚、什三の袖を引き、什三にくちづける)

 

かじか:十塚さん!?

 

(十塚、そのまま自らの口に含んだ何かを什三に飲み下させる)

(什三、激しく咳き込む)

 

什三:お前……何を……!

 

十塚:どうだい?私もなかなかやるもんだろう?こんなのも、花街の女たちには結構悦ばれたりするんだが、ああでも、それは私がまあまあいい男だからかもしれないけどね。

 

什三:そうじゃねえ!お前、一体何を飲ませやが……うっ!

 

かじか:什三さん、どうしたの!ねえ、しっかりして!十塚さん、あなた一体何をしたの。

 

(十塚、コーヒーカップを手にして中身を啜る)

 

十塚:やだねえ、コーヒーまで味がしない。

 

かじか:十塚さん!

 

十塚:「蜃気楼」って、知っているかい?

 

かじか:……は?

 

什三:うっ……!うえっ……

 

十塚:まあ簡単に言えば、光の屈折で不可思議な光景が見えたりする現象のことなんだけどね。実はあれの正体は、蜃(しん)という大きな蛤が吐いた「気」なんだ。

 

かじか:意味が、分かりません。

 

十塚:奴らに人をだまくらかそうとか、そういう意図はない。あくまでも呼吸のように「気」を吐き、ありもしない楼閣を映し出す。まあそんな生態の生き物ってことだ。

 

かじか:什三さんは、どうなってしまうの。

 

十塚:ああいけない、また喋り過ぎた。本題に戻ろう。私が什三に飲ませたのは、その蜃の殻を磨り潰して作られた丸薬でね、体内の悪いものを、砂抜きでもするように吐き出させてくれる妙薬なんだ。結構いい値段したんだよ?

 

かじか:薬?

 

十塚:吐き出させるためさ。什三が、その腹の中に溜めこんだ「悪い夢」をね。

 

かじか:また、夢……

 

十塚:かじかさんは、什三が何者で、どんな商売をしているか知っているかい?

 

かじか:え?

 

十塚:自分がどこの生まれでどうやってここまで育ってきたのか、どのような経緯(いきさつ)で、什三と共に過ごすようになったのか、は?

 

かじか:あ……

 

什三:十塚……やめ、うえぇ……っ!

 

十塚:答えられないよね。答えられようはずがない。君の悪い夢は、それまでの記憶は、全て什三が「食べて」しまったのだから。

 

什三:やめろ……

 

かじか:食べた?

 

什三:う……おえぇぇぇぇ……!

 

十塚:潮時だよ、什三。君は蜃じゃない。楼閣を見せることなんか、出来やしないんだ。だからほら、観念して全て曝け出しておしまい。楼閣の代わりに、真実を見せるんだ。

 

かじか:什三さん……っ!

 

【間】

 

―回想

 

什三:かじか。

 

かじか:にい、さん……?

 

什三:目が覚めたか。具合はどうだ?

 

かじか:今日は、いくらかいいみたい。

 

什三:起き上がれるか?

 

かじか:手を、貸してくれる?

 

什三:もちろんだ。よ……っと。

 

かじか:けほっ……

 

什三:ああ、少し力が強かったか。悪い。

 

かじか:ううん、平気。

 

什三:……

 

かじか:いやだ、兄さんたら。そんなに背中を撫でまわしたりして。

 

什三:痩せた、な。

 

かじか:そりゃあ、長患いもすれば痩せもするわ。

 

什三:すまねえな。俺にもう少し学や能があれば、きちんと病院にも入れてやれたのに……

 

かじか:それは、言わない約束。でしょう?

 

什三:……

 

かじか:ねえ、兄さん。

 

什三:うん?

 

かじか:少しだけ、わがままを言ってもいい?

 

什三:お前のわがままが、わがままだった例(ためし)はねえよ。

 

かじか:……あのね、私、トーストが食べたいの。

 

什三:トースト?

 

かじか:窓の外でね、あれは誰だったのかしら、お隣の山川さんだったような気もするわ。とにかくね、聞こえたの。この先にある喫茶店のトーストが、とっても美味しいんですって。

 

什三:食いたいのか。

 

かじか:父さんと母さんが行方をくらましてしまうまでは、よく四人で食べていたなあって。

 

什三:ああ。

 

かじか:だからね、久しぶりに兄さんと食べたくなったの。

 

什三:よし、買ってきてやる。持ち帰りも、頼めばきっとしてくれるだろう。

 

かじか:嬉しい、ありがとう。

 

什三:いい子で横になって待ってろよ。すぐ帰るから。

 

かじか:うん。

 

【間】

 

―喫茶店

 

(什三が激しく咳き込んでいる)

 

十塚:美しいねえ。いやあ実際にこうして見ると、悪夢どころか、なんとも美しい夢じゃないか。

 

かじか:にい、さん……?什三さんが……?

 

十塚:まだ信じられないかい?

 

かじか:だって、そんな。

 

十塚:だってさ、什三。

 

什三:かじか……こんなものはただのまやかしだ。そう、蜃気楼だ。全て嘘っぱちだ。

 

十塚:焦れったいねえ。この面の下を晒してもまだ、そう言えるかな。

 

(十塚、什三の仮面に手をかける)

 

什三:よせ……!

 

十塚:小面(こおもて)の面とは、なんとも未練がましいじゃないか。涙が出てしまうよ。

 

什三:やめ……っ

 

(十塚、什三の面を外す)

 

かじか:あ……

 

十塚:どうだい、かじかさん。これで信じる気になったかな?さっき什三が吐き出したのは、紛れもなく、什三と君の「夢」で「記憶」なのだ、と。

 

かじか:でも……でも、それなら私は何故、何も覚えていないの。どうして、今の私は什三さんと……

 

十塚:什三、君はまだ、その腹に溜めこんでいるよね。いつまで経っても消化されることのない「悪い夢」を、ね。

 

什三:絶対……絶対に……吐いてなぞやるものか……

 

十塚:それはかじかさんのため?それとも、君自身のためかな?

 

什三:……

 

十塚:答えられないのならさ、いっそ私のために吐いておくれよ。

 

什三:は……?

 

十塚:ほら、押すよ。

 

什三:ぐっ……は……っ!

 

【間】

 

―再び回想

 

十塚:おや、君は。

 

什三:なんだよ。

 

十塚:酷い顔色だから、てっきり死人(しびと)かと思ったら人間だね。

 

什三:うるせえな、だったらどうだって言うんだ。

 

十塚:いやね、この夜市に人間が迷い込んでくるのなんざ久しぶりだから、驚いているんだ。

 

什三:夜市?ああ、この先の灯りのことか。

 

十塚:薄暗がりに生きるモノたちが、この世とあの世の狭間で「商い」をする場所、とでも言えばいいかな。

 

什三:要は妖たちの市場か。

 

十塚:恐れないのかい?随分と肝が据わっているじゃないか。

 

什三:俺の目に映るもんは、何もかもがろくでもねえ。ろくでもねえもんなんざ、怖かねえよ。

 

十塚:ふうん。

 

什三:なんだよ。

 

十塚:君はあれだな。来るべくしてここに来た、「お客さん」だね。

 

什三:妖ってのは、なんでも売ってくれんのか。

 

十塚:奴らは神ではない。神ではないが、力がある。神でない分、なんでも売る。しかし神ではないから、お代はきっちり頂くがね。

 

什三:なんだってくれてやるさ。

 

十塚:その手の袋。

 

什三:……

 

十塚:いい香りだねえ。トーストかい?

 

什三:……まあな。

 

十塚:そいつを仲介料に、君の欲しいものを売ってくれそうな奴を紹介しよう。

 

什三:こんなもんでいいのかよ。

 

十塚:そいつを食べさせたい相手が、君にはいたはずだ。でもそれを食べさせに急いで帰ろうとする様子は見られない。つまり、もう食べさせることが出来ないってことなんじゃないのかな。違うかい?

 

什三:かじかは……

 

十塚:かじか?

 

什三:妹は……

 

十塚:ああ、妹さんが亡くなったのか。

 

什三:まだ死んでねえ。でも、もう生きているとも言えねえ。俺がこいつを買って帰ってきた時には、もう意識がなかった。何度声をかけても目を覚まさねえ。あれは、静かに死ぬのを待っているんだ、きっと。

 

十塚:医者には?

 

什三:兄妹ふたりきりで生きてきた。食うのに精いっぱいで、医者に診せる金なんかねえよ。

 

十塚:それはなんとも、悪い夢のようだねえ。

 

什三:ろくでもねえ現実だ。

 

十塚:だってさ、獏(ばく)よ。

 

什三:なっ……

 

十塚:紹介しよう。彼が、君の商売相手だ。

 

什三:……

 

十塚:この男は、悪夢を「食べる」のを生業としていてね。悪夢のような出来事だって喜んで「食べて」くれる。

 

什三:悪夢のような……出来事……

 

十塚:獏って聞いたことあるかい?書物なんかでは、悪夢を食べる幻獣なんて言われているけれどね、その正体はこの通り、ただの悪食の妖だ。

 

什三:こいつが、その獏……?

 

十塚:昔はもう少し見目も良かったんだけど、今はすっかり弱ってしまっていてね。言葉も上手に発することもできなくなってきたもんだから、長らく友人をしてきた私がこうして、時たま商売の手伝いをしてやっているんだ。

 

什三:……それで、俺はこいつに何を支払えばいい?

 

十塚:君に、次の獏になって欲しいんだ。

 

什三:は?

 

十塚:悪いものばかり食べているから、獏ってやつは寿命が短くてね。そもそもの数も少ないんだ。だから獏は、君が次の獏になってくれるのならば、君の悪夢を「食べ」て、綺麗さっぱり「なかったこと」にしてやると言っている。

 

什三:なかったこと……?

 

十塚:妹さんの病気もね。

 

什三:……っ!

 

十塚:ただし、君の人生そのものが悪夢であるならば、それが全て「なかったことになる」わけで――この意味は、分かるかな。

 

什三:俺の存在も、「なかったことになる」わけだな。

 

十塚:そういうこと。それでも、決して悪い話ではないと思うよ。他にも君の望みをかなえてやれる妖は、確かにこの夜市にはいる。しかし、もっとずうっとタチの悪いお代を要求してくるだろうね。

 

什三:……

 

十塚:それとも、来た道を引き返して「現(うつつ)」に帰り、妹さんの死を待つかい?

 

什三:考えるまでもねえよ。

 

十塚:そうか。それじゃあ、始めようか。まず獏が君の悪夢を食べる。その後に、君が獏の身体の一部を食べ、内腑におさめる。それで契約成立。誰も損をしない、いい取引だ。

 

什三:おい。

 

十塚:ん?

 

什三:あんたは、一体何者なんだ。妖じゃないのか。

 

十塚:ただの人間だよ。正真正銘のね。

 

什三:それじゃあなんだってこんなところで、あやかしの使いなんかやっていやがる。

 

十塚:私は、人より僅かばかり好奇心が旺盛なんだ。

 

什三:そうかよ。じゃあまた会うかもな。

 

十塚:そうだね。その時はまた、仲良くしておくれよ。

 

【間】

 

―再び喫茶店

 

かじか:獏……

 

(ぜえぜえと息をする什三)

 

十塚:什三は、君になんにも言わなかったんだね。愛し愛された女に隠し事をするなんて、非道い話じゃないか。

 

什三:う、るせえ……。お前さえ余計なことをしなけりゃ、こんなことには、こんなつまらねえ「夢」にはならなかった、はずなんだ……。

 

かじか:夢……。ねえ什三さん。この、私の見ているものは、全て、やっぱり夢だったの?

 

什三:……

 

かじか:ねえ……

 

什三:そうさ。俺に関する記憶を全て失ったお前は、健やかに、幸せに生きる予定だったんだ。それなのにお前まで夜市に紛れこんで、あろうことか、この俺に「惚れた」などと言い出した。

 

かじか:……

 

什三:なんでこんなことに……

 

十塚:魂が惹かれたんだ。それだけの話だろう。

 

かじか:あ……

 

十塚:妹は、兄に己の死にゆく瞬間を見せまいとトーストを買いに行かせ、兄は妹のために、薄暗がりに身を沈めた。もともと深く愛し合っていた兄妹なんだ。兄の記憶をなくしても、魂に刻まれた愛の記憶だけはなくならなかった、と考えるのが自然だろう。ああもしかしたら、獏の食い残しだったのかもしれない。だってそいつは、獏の好物ではないからね。

 

かじか:それなら私の、この「什三さんを、愛している」という気持ちは、錯覚だったの?

 

十塚:錯覚でなぞあるものか。ほんのちょっぴり、質を変えただけさ。

 

什三:……

 

かじか:私は、一体いつから夢の中にいたのかしら?この夢は、什三さん、あなたが吐いた蜃気楼だったの?

 

什三:……

 

かじか:ねえ。

 

什三:ああ、そうさ。俺がこれまでに食べてきた色んな悪夢をうまいこと継ぎ接ぎして作り上げた、お前の「夢」だ。ひとりきりで孤独に生きるより、妖の俺と幸せに、愛し合って暮らしたいという、「夢」だ。

 

かじか:什三さんは、私が妹だと知っていたのよね。

 

什三:……ああ。

 

かじか:それなら何故……

 

(少しの間)

 

什三:……たとえ許されることでなかったとしても、お前が望むものは、なんでも与えたかった。「夢」であろうと、世の摂理と神に背いた……この身体であっても。

 

かじか:なんてこと……

 

什三:……

 

かじか:なんて……こと……。

 

十塚:さて、そろそろ話を結ぶとしよう。什三、このままだと君は遠くないうちに死ぬ。

 

かじか:え?

 

十塚:もともと悪夢を食べることしか出来ない獏が、吐き戻しをして綺麗な夢を作り出すなんて前代未聞だ。恐らく、その腹の中は常に飢えに悲鳴をあげているに違いない。夜市で食らう悪夢くらいじゃあ、収支の帳尻も合わないだろう。

 

什三:だからって、そんなのはお前には何の関係もないことだろう。

 

十塚:友人としてのお節介だよ。

 

什三:友人だったことは一度もねえと言ったろうが。お前は、その「前代未聞の話」とやらを面白がっているだけだ。

 

十塚:さあ、どうだろうね。

 

かじか:……わかりました。

 

什三:かじか

 

かじか:私は、夢から覚めてしまった。だからもう、この夢はおしまい。什三さんのためにも、おしまいにしなければならない。そうなのでしょう、十塚さん。

 

十塚:君は、実に聡明だね。

 

かじか:什三さん。

 

什三:なんだ。

 

かじか:この夢を、食べてください。

 

什三:……は?

 

十塚:……

 

かじか:兄と知らずにあなたを愛し、幸せを噛みしめ、全てを捧げてしまったなんて、そんなの、悪夢以外の何物でもないじゃないですか。

 

什三:そう、だな。

 

かじか:だから、食べてください。この夢を、私ごと。

 

什三:何を言って

 

かじか:私は、あなたの悪夢だった。……ろくでもない、悪夢だった。

 

什三:それは違う……

 

かじか:あなたは、悪夢と断じることで妹である私を殺し、悪夢の名残の私を、さらに悪夢に閉じ込めた。

 

什三:……

 

かじか:私は、悪夢の成れの果てです。こんな私が、何もかもと決別して現に帰ることなど、今更できようはずもありません。

 

什三:かじか

 

かじか:だから、食べてください。全て。

 

什三:獏は、夢しか食べない。お前を食うことは、できない。

 

かじか:分かっています。でも、私の存在そのものが悪夢なのです。私の記憶の全てが、悪夢なのです。だからそれを食らうことは、私を食らうことと変わりありません。

 

十塚:残された空っぽの肉体に、神仏の救いの手が差し伸べられることはないよ。導かれるべきモノが、そこにはないのだからね。君は永遠に「かじか」という名の悪夢として、什三の腹の中に閉じ込められることになる。それでもいいと?

 

かじか:悪夢が救いを求めるなんて、ばかばかしい話がありますか。

 

十塚:それもそうだね。

 

什三:なあ、かじか。

 

かじか:なあに。

 

什三:……なんでもない。

 

かじか:さあ、召し上がれ。

 

什三:……いただきます。

 

【間】

 

十塚:腹は満たされたかい。

 

什三:胸がやけそうだ。

 

十塚:命を、繋いだね。

 

什三:何が言いたい。

 

十塚:いいや、何も。

 

什三:これで気が済んだろ。

 

十塚:なにがだい?

 

什三:かじかを夜市に――俺のもとに導いたのは、お前だったんだな。

 

十塚:ああそうか。君、かじかさんの夢を食べたから。

 

什三:俺以外にもうひとり、面の男が見えた。あれは、お前だろう?

 

十塚:君から聞いていたかじかさんの雰囲気によく似ていたから、これはもしかしたら、とんでもなく面白い話になるんじゃないか、って思ってね。

 

什三:面白かったか?俺らの話は。

 

十塚:ああ、最高だったよ。私の読者も、さぞ喜ぶに違いない。

 

什三:最低だな。

 

十塚:君にとってはね。だから面白いのだよ、薄暗がりってのは。最高と最低の境界線さえも曖昧になるのがね。

 

什三:そうかよ。満足したなら、とっとと帰りやがれ。

 

十塚:そうさせてもらうよ。今は一刻も早く現に帰って、この興奮のまま、筆を取りたい。君はどうする。いつまで抱きかかえていても、その木偶(でく)はいずれ腐り落ちるだけだぞ。

 

什三:……

 

十塚:剥製屋か人形師でも紹介しようか。

 

什三:うるせえ。

 

十塚:まあ、好きにするといい。

 

什三:ああ、そうさせてもらうよ。


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【幕】

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