top of page

​​#2「100メートル、逃避行。」

(♂0:♀2:不問0)上演時間20~30分

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

麻音

【麻音(まのん)】

十代の少女のみ発症する「病気」により、海辺の隔離施設に入院している。
​​

千咲

【千咲(ちさき)】

十代の少女のみ発症する「病気」により、海辺の隔離施設にやってきた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

―ある夜

 

千咲:(泣いている) 

 

麻音:ねぇ 。

 

千咲:(泣いている) 

 

麻音:もしもーし? 

 

千咲:(泣いている) 

 

麻音:ねぇってば! 

千咲:……え? 

麻音:ごめんね。ここ、壁が薄いみたいで。

ここんとこずっと泣いてるのが聞こえて、その、気になっちゃってさ。 

千咲:うるさかった……?ごめんね。 

 

麻音:ううん、いいの。ただ、大丈夫かな、って。 

 

千咲:両親が、来ないの。 

 

麻音:うん。 

 

千咲:ここに入ってから、全然来ないの。 

 

麻音:……私、麻音。あなたは?。 

千咲:千咲。

 

麻音:千咲はさ、この病院に来たのは、多分最近だよね。 

 

千咲:うん。麻音は? 

 

麻音:もう覚えてないな。そんなに経ってない気もするし、もう何年もいるような気もする。 

 

千咲:何年も!? 

 

麻音:(笑う)さすがにそれは冗談だよ。 

 

千咲:そか……。そうだよね。 

 

麻音:うん。そんなにもたないからね。この病気。 

 

千咲:……ここに送られたら、もう「最後」って言われた。 

 

麻音:ここは病院というより、隔離施設とか、研究施設に近いからね。 

 

千咲:原因もなんにも分からないもんね……。 

 

麻音:分かってるのは、私たちみたいな「十代の少女」しかかからない、ってことだけ。 

千咲:ねえ、麻音。麻音はさ、その、今どんな感じ? 

 

麻音:ああ……病状? 

 

千咲:うん。 

 

麻音:そうだな……片目はもう見えてない。こないだ腐って落ちたよ。 

 

千咲:……私も、いつかそうなるのかな。 

 

麻音:「変化」のしかたは個人差があるみたいだから、なんとも言えないけど。 

 

千咲:でも、身体がどんどん溶けて崩れていくのは間違いないんだよ、ね? 

 

麻音:まあね。千咲だって、ここに来たってことは、もうそれなりに進んでるんでしょ? 

 

千咲:うん。まだ見えるところは変化してないけど……。 

 

麻音:……私も、ここに来てからは親に会ってないよ。 

 

千咲:え? 

 

麻音:別に嫌われてたわけじゃないよ。でも、「こんな」姿見るのは、やっぱり嫌なのかな。

一度も会いに来ない。 

 

千咲:そんな。

 

麻音:別に私は、そんなに悲観してないけどね。捨てられたわけじゃない、って信じられるくらいには、普通の家族、だったから。 

 

千咲:私のところは……どうかな。 

 

麻音:私は千咲のご両親のことは知らないから、適当なことは言えないけどさ。ちゃんと面会に来る家族もいるし、まだ分からないよ? 

 

千咲:うん……。 

 

麻音:せっかく隣同士になったんだしさ、話し相手くらいにはなるよ。だから、あんまり泣かないで。 

 

千咲:……ありがとう。 

 

麻音:なんかかっこよさげなこと言ったけど、今までお隣さんなんていたことなかったから、単純に嬉しいんだ。 

千咲:そっか。 

麻音:ここにいて、ただぼんやり腐ってるのも、退屈だからね。 

千咲:身体も気持ちも腐るだけ、だね。(笑う) 

麻音:(笑う)そういうこと。だから、よろしくね千咲。 

 

千咲:うん、よろしくね麻音。 


【間】 


―またある夜 


千咲:(壁をノックする)麻音、こんばんは。 

 

麻音:改まってなあに?(笑う) 

 

千咲:えへへ、なんとなく。 今日は元気? 

 

麻音:あぁ……うん。相変わらず腐ってるよ。 

 

千咲:どこまでが冗談か、分からないよ。(笑う) 

 

麻音:ごめんごめん。 

 

千咲:でも、声が元気そうで良かった。 

 

麻音:千咲はどう? 

 

千咲:うん……。足が、ちょっと。 

 

麻音:そっか。 

 

千咲:やっぱり少しショックだね。 

 

麻音:そりゃあ、ね。少しずつ身体が腐っていって、やがてはただの肉の塊になって死ぬ、なんてね。 

 

千咲:それもあるけどさ。 

 

麻音:ん? 

 

千咲:私ね、陸上部だったの。たいした選手ではなかったけど、走るの、好きでさ。 

 

麻音:…… 

千咲:少しずつスピードを上げるとさ、風とひとつになって、一緒に空まで駆け上がっていけそうで、

好きだった。 

 

麻音:うん。 

 

千咲:だから、やっぱりショック。 

 

麻音:そう、だよね。 

千咲:……あのさ、こないだ私、親が来ないって泣いたじゃない? 

麻音:うん。 

千咲:本当はね、来ないの分かってたんだ。麻音のところと違って、私はそんなに、両親と仲良くなかったから。 

 

麻音:そうなの? 

 

千咲:うん。ネグレクトっていうのかな?二人とも、私になんの興味もないの。テストでいい点を取っても、何度万引きで捕まっても、なんの反応もない。だから、私がこの病気で近い将来死ぬ、って分かっても眉ひとつ動かさなかったよ。
だから、来ないよ。絶対。 

 

麻音:……それでも、寂しいものは寂しいでしょうが。 

 

千咲:わかんない。 

 

麻音:そか。 

 

千咲:でも。 

 

麻音:ん? 

 

千咲:走っている時は、すごく自由で、解放された気がして、幸せだった。何に囚われているのか分からないし、そもそもそんな実感もなかったのに、ね。 
だから……やっぱり寂しかったのかもしれないなぁ。 

 

麻音:そっか。 

 

千咲:ねえ、麻音の話、聞かせてよ。今日は私ばっかり話してるから。 

 

麻音:うちは、この間も話したけど、本当に普通の家庭だったんだ。お父さんがいてお母さんがいて、お兄ちゃんと犬のテトラがいて。みんながみんなを愛してて。 

 

千咲:幸せだね。 

 

麻音:うん。だから最初は、誰も私に会いに来ないことを理解できなくて、千咲みたいに泣いてたよ。 

 

千咲:うん。 

 

麻音:でも、思ったんだ。家族も、どうしていいか分からないんだろうな、って。だって私が家族の立場だったら、やっぱりどうしていいか分からない。化け物みたいに腐った姿でも愛せるかな、とか、もし愛せなかったらどうしよう、とか、いっぱい悩むと思う。そうしているうちに時間ばかり経って、もっともっと会いに行きづらくなって。 

 

千咲:でもそれって。 

麻音:うん、それが答えなんだよね。きっと今までのようには愛せない、そう思ったんだろうな。 

 

千咲:……うん。 

 

麻音:ひどいなぁ、って思わなくもないんだけど、でも、私は変わらず家族が好きだから。愛していたものを愛せなくなることってつらいんだろうなぁ、きっと家で泣いてたりするんだろうなぁ、とか思っちゃうんだよね。で、逆に申し訳ないなぁ、って。 

 

千咲:優しいね。 

 

麻音:そんなんじゃないよ。そう思わないと、心まで化け物になる気がしたんだ。
化け物みたいなのは、この見た目でじゅうぶんだよ。 

千咲:……私、麻音の顔が見たい。 

麻音:(笑う)やめときなよ。ひどいことになってるんだから。 

千咲:それでも、見たい。 

麻音:どうして? 

 

千咲:同じ化け物の私なら、麻音をちゃんと愛せるような気がするから。 

 

麻音:千咲もじゅうぶん優しいよ。 

 

千咲:今初めてひとりじゃない、って思えて、それが嬉しいだけだよ。 

 

麻音:そっか。 

 

千咲:ねえ麻音。 

 

麻音:ん? 

 

千咲:眠れるまで、もう少し話しててもいい? 

麻音:うん、付き合うよ。 


【間】 


―またある日の昼 

 

麻音:(壁をノックする)ねえ千咲。 

 

千咲:ん? 

 

麻音:海がきれい。 

 

千咲:ほんとだね。 

 

麻音:ここさ、ただの隔離施設だけど、窓から見える景色だけは最高だよね。 

 

千咲:うん、それは思う。 

 

麻音:私、生まれてからずっと海のない場所で育ったから、初めてここに来た時、少しだけ感動したんだ。 

千咲:すぐ目の前だもんね、海。 

 

麻音:うん。 

 

千咲:100メートルあるかないかくらいかな。 

 

麻音:そうだね。 ……だからこれだけは、この病気のおかげ、って言えるかな。 

千咲:そっか。 ……ねえ麻音。 

 

麻音:なあに? 

 

千咲:死んだらさ、海と空のどっちに溶けたい? 

 

麻音:溶ける? 

 

千咲:うん。 

 

麻音:生まれ変わる、とかじゃなくて? 

 

千咲:生まれ変わるよりそっちの方が、自由でいいかな、って。 

 

麻音:ああ……。なんか、分かる。 
いろんなこと考えなくてすむように、自由になりたいよね。 

 

千咲:でしょ? ……で、どっち? 

 

麻音:うーん……海、かな。 

 

千咲:どうして? 

 

麻音:やっぱり初めて見た時の感動って忘れられないじゃん? 
海なら安心して眠れる気がするんだ。すごく大きくて、優しくて、綺麗だから。しっかり抱きしめてくれそう。 

 

千咲:私は、空だなぁ。 

 

麻音:そう言うと思った。 

 

千咲:どうして? 

 

麻音:「風と一緒に空まで駆け上がっていけそうで、だから走るのが好き」って言ってたから。 

 

千咲:そうだったね。……そう、空の方が自由な気がするから。 

 

麻音:うん。 

 

千咲:あと、『銀河鉄道の夜』。 

 

麻音:宮沢賢治の? 

 

千咲:うん、好きなの。空に溶けたら宇宙にも行けるだろうし、

そしたら銀河鉄道にも乗れるんじゃないかな、って。 

 

麻音:「誰だってほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねぇ」 

 

千咲:カンパネルラの台詞だね。 

麻音:うん。この言葉、好きなんだ。

他人のために生きることこそが生きる意味なんだ、って意味の台詞でしょ、これ。 

 

千咲:うん。 

麻音:そういう優しい人になりたいな、って思ってたから。ずっと。 

 

千咲:麻音、優しいじゃん。 

 

麻音:そう、かな? 

 

千咲:うん。だって、私に声かけてくれたじゃない? 

 

麻音:そりゃあ泣き声が聞こえたら、放っておけないでしょ。 

 

千咲:それに、家族のこともさ。結局見捨てられたのかもしれない、って思っていても、そういう決断をさせてしまって申し訳ない、とか言っちゃうし。 

麻音:……。 

 

千咲:いつも他人のこと考えてる。私には、麻音がカンパネルラに見える。 

 

麻音:それなら千咲はジョバンニ? 

 

千咲:そう。だから麻音に惹かれるの。 

 

麻音:ジョバンニ、素直で好きだよ。 

 

千咲:……銀河鉄道、一緒に乗れるね。 

 

麻音:そうだね。 

 

千咲:でも、麻音が海に溶けちゃったら無理かなぁ。 

 

麻音:海面から水蒸気になって空の千咲に会いに行くよ。

そして銀河鉄道に乗って旅をして、雨になって海に戻る。 

 

千咲:そっか。うん、一緒に乗ろうね、銀河鉄道。 

 

麻音:うん……(激しく咳込む) 

 

千咲:麻音!? 

 

麻音:ご……めん、ちょっ、と……(さらに激しく咳込む) 

 

千咲:麻音!麻音! 
……誰か!ねえ誰か!早く来て! 


【間】 


―その日の夜 

千咲:(壁をノックする)麻音……麻音? 

 

麻音:(つらそうに)千咲、どうしたの? 

 

千咲:どうしたの、じゃないよ。 

 

麻音:あは、は……そうだね……。
昼はごめんね。千咲が人を呼んでくれて、助かった。 

 

千咲:そんなこと、別にいいよ。それより、大丈夫? 

 

麻音:……いよいよ、って感じかな。 

 

千咲:え? 

 

麻音:内臓がだいぶ溶けてきてて……。外側が崩れたら、全部零れて終わり、だってさ。 

 

千咲:……! 

 

麻音:まあいつかこんな日が来るのは、分かっていたことだしね。覚悟を決めるよ。 

 

千咲:分かっていても……いやだよ……。 

 

麻音:千咲は、さみしがり屋だからなぁ。(笑う) 

 

千咲:…… 

 

麻音:ねえ、千咲。 

 

千咲:なあに? 

 

麻音:私、海が見たい。 

 

千咲:うん。 

 

麻音:海に、溶けたいなぁ。 

 

千咲:うん…… 。

 

麻音:最後くらい、抱きしめられたいなぁ、なんて。(笑う) 

千咲:……行こう。 

麻音:え? 

千咲:海、行こう。 

麻音:でも…… 

 

千咲:ここの個室、鍵は全部一緒。職員の持ってるカードキーだから、それさえなんとかできれば、出られるよ。 
行こう、麻音。 

 

麻音:うん……。 

 

千咲:大丈夫、まかせて。 

 

麻音:うん……。ありがとう、ね……。(眠る) 

 

千咲:まかせてね、麻音。 


【間】 


―翌日 

 

千咲:(壁をノックする)麻音、起きてる? 

 

麻音:うん。昨日はごめんね。寝ちゃってた。 

 

千咲:いいって。 

 

麻音:今日もいい天気だね。 

 

千咲:海日和だね。 

 

麻音:(笑う)そうだね。 

 

千咲:ねえ麻音。 

 

麻音:ん? 

 

千咲:体調はどう? 

 

麻音:相変わらずかな。千咲は? 

 

千咲:私も、相変わらず腐ってる。でも、気分は良いよ。 

 

麻音:なら、おんなじだね。 

 

千咲:うん、おんなじ。 


【間】 
 

千咲:ねえ麻音。 いいこと教えてあげようか。 

 

麻音:うん。 

 

千咲:ちょっと待っててね。 

 

麻音:なあに、気になる。(笑う) 

 

千咲:いいから、少し待ってて? 

 

麻音:……?うん。 


【間】 


麻音:え? 

 

千咲:(息切れしながら)え、へへ…… 

 

麻音:どうして? ドアの鍵は?

 

千咲:私、手癖悪いんだ。 

 

麻音:万引き常習犯だったね、そういえば。(笑う) 

 

千咲:(笑う)麻音。 海に、行こう。 


【間】 


―施設外 


千咲:……っはぁ、はぁ……はぁっ……!(息切れ) 
あはは……100メートルって、結構距離あったんだねぇ……(笑う) 

 

麻音:そうだねぇ……(笑う) 

 

 

千咲:病気になる前は、あっという間だったのになぁ。 

 

麻音:ねえ千咲。私、歩けるからさ……下ろしていいよ? 

 

千咲:やぁだよぉ、だ。今日は私が、麻音を助ける番なんだもん。 

 

麻音:でも、千咲……。 

 

千咲:大丈夫大丈夫。100メートルなんて、あっという間だよ。 
ほら、もう少し……もう目のま、え……あぁっ!(転ぶ) 

麻音:……っ!千咲! 

 

千咲:あ、はは……足、もたなかったみたい……。 

 

麻音:だから無理しちゃだめだって。 
ほら、手、出して。……よっ、と……(千咲に肩を貸す) 

 

千咲:麻音!?  

 

麻音:……海、行こう。絶対、行こう。 

 

千咲:……うん!


【間】 


千咲:ねえ麻音。 

 

麻音:(息切れ)ん? 

 

千咲:みんな逃げていくね。 

麻音:そりゃあそうだよ。私たち、どう見ても化け物だもん。(笑う) 

 

千咲:そうだね。私は足がないし、麻音は片目がない。しかも身体は腐ってる。 立派な化け物だね。 

 

麻音:それに……感染もしたくないだろうしね。 

 

千咲:私たち、完全に悪者だね。ウイルスをばらまく腐った化け物。(笑う) 

 

麻音:海を見に行くだけなのに、ね。(笑う) 

 

千咲:……ねえ麻音。 

 

麻音:なあに? 

 

千咲:初めまして。 

 

麻音:そっか……。顔を見たのは初めてだったね。 

 

千咲:ずっと、声しか知らなかったから、さ。 

 

麻音:うん。初めまして、だね。 

 

千咲:でね。思ったの。 

 

麻音:何を? 

 

千咲:麻音、やっぱり私のイメージ通りだった。 

 

麻音:え? 

 

千咲:優しくて凛としてて、綺麗な人だなって。 

 

麻音:……ありがと。千咲も、イメージ通りだった。さみしがり屋で素直そうな顔。 

 

千咲:えへへ、そか。 

 

麻音:……あ!

 

千咲:海!海だよ、麻音!着いたよ……! 

 

麻音:うん、海、だ……(倒れる) 

 

千咲:麻音! 

 

麻音:海のなかに入るのは、間に合わなそうだなぁ……。

 

千咲:ま、のん……?

麻音:でも、千咲と並んで海を見られた……。 

 

千咲:うん……。 

 

麻音:ずっと、ずっとこっちのがいい、ね。 

 

千咲:麻音! 

 

麻音:海と、空と……ちさ、きが、だきし、めて……し、あわせ、だなあ……。 

 

千咲:うん……うん……! 

 

麻音:ぎんが、てつ、ど……ま、って、る……ち、さ……(溶ける) 

 

千咲:うん……。
待っててね、麻音……。一緒に銀河の果てを、見に行こうね……。 (泣く) 


【間】 


―エピローグ 


千咲:なぜ私が宇宙科学や天文学の道に進まなかったのか、って? 
……私はね、銀河鉄道に乗らなきゃいけないの。 
あれからすぐに病気の原因と治療法が分かって、私は助かってしまった。だから私は麻音を、ずいぶんと待たせてしまっているのよ。 
……麻音が待ってる。宇宙の謎なんか知らなくていいの。 
私の行きたい宇宙は、あの空に、たった100メートルの逃避行の先に見た空にしか、ないのだもの。 


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【幕】

#1「あまなつ」: 全商品のリスト
bottom of page